C as in Cool(涼しいのC)、V
「ただいまー」
いつもより明るい(cheerful)声で部屋に入ってきたのは夫だった。
「どうしたの?」
不貞腐れながら片付けをする子ども二人の微妙な空気を察して、夫が聞く。
見ればわかるでしょうが。
そう喉元まで出かかったが、瑛子はそれを飲み込んで「お帰りなさい」と返事をした。
「チーズ(cheese)買ってきたんだ」
夫が高級食品店の紙袋を軽く持ち上げた。
……チーズ? なんで?
そう思いつつ紙袋の中身を覗くと、ヨーロッパ製のチーズが入っているのが見えた。あと、スモークチキン(smoked chicken)もある。いかにも高級そうなパッケージだ。
「……ありがとう?」
やや釈然としないまま、瑛子はそれを受け取ると冷蔵庫に入れた。ついでに冷蔵庫の中身を確認しながら、「今日の夕食何食べたい?」と聞いた。
「何でもいい」
つまらなそうな返事が息子から返ってきた。
この『何でもいい』というやつが、一番厄介なのだ。
「冷やし中華とかいいんじゃないかな。 涼しげ(cool)で」
夫がのほほんと言う。
「……なるほど」
瑛子は冷たくなり過ぎないように気をつけながら(carefully)答えた。
瑛子が聞いたのだ。
夫はそれに返事をした。
なにも悪いことはない。
だが。
食べる方は涼しげ(cool)かもしれないけど、作る方は熱いんだよ。
麺を茹でるということは、お湯を沸かして熱湯にして、そこに麺を入れて、麺がくっつかないようにくるくるかき回さないといけない。調理をする(cook)とは、熱を用いるということなのだ。
この暑い中、いくら冷房がかかっていたとしても、暑いだろうが。
外の暑さですでに頭が参っているのだ。家の中まで熱気に晒されたら、頭が狂って(crazy)しまう。
ぴくっとこめかみが引きつった瑛子は、それを抑えてニコッと笑うと、夫に鍋を渡した。
「じゃあ、麺を茹でるのお願いね。私は野菜を切る(cut)から」
返事を待たずに、瑛子は冷蔵庫からきゅうり(cucumber)を取り出す。
「いたっ」
シンクに向かおうとして、瑛子は足の小指を戸棚の角(corner)にぶつけた。
筋肉の協調(muscle coordination)が良くないのかもしれない。最近、というか、歳とともにこういうことが増えてきている。
空間認識能力(spatial cognition)が落ちているんだろうなと思いつつ、できることなどせいぜいメガネを変える(change)ことくらいか。
歳を取るということはこういうことか。
瑛子は小指を押さえながら、ややしょっぱい気持ちになる。
うんざりした顔をした瑛子の元に、娘が寄ってきた。
「てかママ、今日パパの誕生日だよ。ケーキ(cake)買ってくるって言ってなかった?」
「あ!」
カレンダー(calendar)を見ると、なんと今日は夫の誕生日だった。すっかり(completely)頭から抜けていた。
瑛子はチラリと夫の入っていった寝室の方を見た。部屋着に着替えるのだろう。
うーんと唸りながら、瑛子はようやく夫の行動に納得がいった。
いつもより早い帰宅。
いつもより明るい雰囲気。
そして、いつもはまずしない、おつまみ的なものを買ってくる心配り。
これは確実に、お祝い(celebration)をしてもらう気満々だったのだ。
「ママ、忘れてたでしょう?」
「……ノーコメント(no comment)で」
なるほど。だから娘もこの時間に家にいるわけだ。いつもなら友だちと外で遊んでいるのに。
父親の誕生日を祝ってあげようと思っていたのね。
ケーキが食べたかったというのもあるだろうが、口ではなんだかんだ言いながら父親のことは嫌いではないのだ。
「こっそりケーキ買ってきてくれる?」
瑛子は小声で娘に言う。
「高いよ?」
ニンマリと笑った娘が手を出してくる。
「……わかった。お小遣いあげるから」
瑛子は財布から万札を出すと、娘に手渡した。
札をペラペラと揺らしながら、娘は「コンビニ行ってくる!」と大きな声で宣言して出て行った。
誕生日が冷やし中華でよかったのか。
せめて夫の好物のカレー(curry)を作るべきか。
でも暑いしなあ。
冷やし中華は夫の提案だからいいだろうと、瑛子は麺を茹で終えた夫をキッチンから追い出すと、クラッカー(cracker)にカット(cut)したチーズ(cheese)を盛り付けていった。
次は息子に協力(cooperate)してもらう番だ。
「パパにこれ持って行ってあげて。あとビールも」と息子に皿を渡す。
息子はじっとその皿とビールを見る。
そして、瑛子を見上げて言う。
「ママ、僕クッキー(cookies)食べたい」
「…………」
足元を見られている。いつもはご飯前におやつは無しだが、パパがおやつを食べて自分は無しなんてずるい、と息子は言外に訴えているのだ。
瑛子は今日だけだからね、と念を押してクッキーを皿に追加する。
息子はソファーでテレビを見ている夫の元へ駆け寄った。皿とビールを渡し、クッション(cushion)を整えてパパの背中に突っ込んでいる。
一応、接待をする気はあるらしい。
「パパ、おめでとう(congratulations)!」
なんとか誕生日会っぽい雰囲気を作り出して、夕食を食べる。食後はケーキでお祝いだ。夫も喜んでくれたようなので良かった。
食洗機を回すと、やっと瑛子は一息ついた。
夫は仕事だか何だかわからないが、スマホにくぎ付けになってある。下の息子はもう寝ていて、上の娘はさっさと自室に引っ込んでいる。
「来年は忘れないようにしないとね。って去年もそんなこと言ってた気がする。ね?」
瑛子はカクテル(cocktail)風の缶(can)チューハイを片手に、窓際のサボテン(cactus)に話しかけた。
角をツンツンと触ると、程よい弾力が指先に伝わる。『瑛子ちゃん、お疲れさま!』と言ってくれているような気がした。
ほんと、お疲れさま。
「Cheers! (乾杯!)」
瑛子はサボテン(cactus)に缶(can)を軽く傾けると、冷たい(cool)液体を喉元に流し込んだ。




