沈黙の収集車(見つめ直す日)
女がいた。
高飛車で、派手だった。
夜の街をヒールで刻み、
シャンパンの泡を吸い込み、
VIP席で誰かの腕に絡んだ。
肩を出したドレスも、爪先の赤も、
誰かに見せつけるための鎧だった。
---
一度だって汚れた場所に立つつもりはなかった。
夜の光に守られて、きれいな自分を演じきる。
それが、彼女に残った最後の誇りだった。
---
ある朝、クラブ帰り。
化粧の隙間から眠気がのぞく。
夜明けの冷たい風が、頬にまとわりついた。
狭い路地を抜けた先、
ゴミ収集車が音を立てて止まっていた。
---
ガタン、ガタンと袋が積み込まれていく。
鼻をつく匂いに顔をしかめた。
「……汚いな。」
低く吐き捨て、
ヒールの踵で地面をつついた。
---
自分はもっと上等な世界の人間だ。
高いグラスに注がれた酒の中にいたい。
こんな朝にゴミと汗にまみれたくない。
---
そう思った、そのとき——
——世界が止まった。
---
街の音が、風が、鳥の声が止んだ。
ゴミ収集車の人も、背を丸めたまま動かない。
---
「何……これ……。」
息だけが白く浮かんだ。
面白半分の悪意が胸をよぎった。
止まった人の横を抜けて、
収集車の後ろへまわる。
---
「せめてタバコでも放り込んでやろうか……。」
嘲るように笑ったその時、
止まった世界の中で見覚えのある後ろ姿を見つけた。
---
額に汗を浮かべて、黙々と袋を積む男。
止まっているのに、その真面目さが滲んでいた。
胸の奥が冷たくなる。
---
——知ってる。
---
中学の頃、隣の席だった。
放課後、机を運んだり掃除をしたり、
面倒を押し付けられても笑っていた奴だった。
彼女はいつも横目で見ていた。
何でも笑ってやるなんて、バカだと思っていた。
---
尖った瓶の首が、袋の端から覗いていた。
彼の手に刺さるかもしれない。
衝動で、瓶の先をそっと押し込んだ。
袋の奥に隠れると、
心の奥で何かがほどけた。
---
こんな朝に、何をしているんだろう。
でも、不思議と後悔はなかった。
---
彼の手の汚れた軍手を、
遠くからもう一度見た。
あの手は、誰かの夜を片付けて、
朝をつなぐ手だった。
---
女はヒールの爪先を揃え、
小さく頭を下げた。
届かないのはわかっていた。
でも、届かなくてもいいと思った。
---
——世界が動き出す。
収集車が音を立てて走り出す。
タイヤが水たまりを跳ね上げる。
彼女の頬をかすめた雫に、
少しだけ笑みがこぼれた。
---
夜の光の奥より、
朝の匂いの中に、
確かなものがあった。
---
女は、口の中で呟いた。
「……ありがとう。」
---
——その日、世界は3分間だけ止まった。




