沈黙の反逆 (パンクロックドリーム)
環状シリーズはいったんストップで
ほかの好きなものをテーマに書いてみました。
男がいた。
若い頃、叫びをパンクロックに変えた男だった。。
安いアンプでかき鳴らすギター。
その音が何よりの武器だった。
誰にも頭を下げない。
何者にも従わない。
それだけが、若い自分のすべてだった。
けれど時は流れた。
家庭を持った。
物置の隅にギターを置いたまま、
代わりに買ったのは子どもの絵本と、小さな歌声だった。
昼間は仕事で頭を下げ、
夜は子どもの寝顔に合わせて声を潜めた。
パンクよりも、童謡を覚えた。
怒りは社会の歯車にすり減り、
誇りは「お父さん」という肩書に置き換わった。
それでいいはずだった。
年月が過ぎ、子どもは大人になった。
妻も趣味を見つけ、自分の時間を歩き始めた。
男だけが取り残された。
散歩だけが日課になった。
ある日、駅前の広場で若者に肩をぶつけられた。
わざとだった。
「おい、道塞いでんじゃねぇよ。」
若者の舌打ちと、仲間の笑い声。
男は自然に頭を下げていた。
謝罪が、呼吸の一部だった。
「すみません。」
そのとき——
——世界が止まった。
街のざわめきが止まった。
若者の口が笑ったまま凍りつく。
看板の光も、遠くの電車も、誰も動かない。
男だけが動いた。
心臓が、久しぶりに暴れる音を立てた。
「……なんでだ。」
喉の奥で誰にも届かない声を吐いた。
なんで、俺は頭を下げている。
もう何も守るものはないはずだ。
頭を下げ続けた日々は、もう終わっていたはずだ。
それなのに。
胸の奥、埃をかぶった魂が目を覚ます。
「……バカにすんじゃねぇ。」
止まった若者の顎を殴った。
動かない世界で、拳だけが熱を帯びる。
誰も知らない反逆。
誰も覚えていない殴打。
それでいい。
男だけが知っている。
まだ、心の中に叫び声が残っている。
世界が動き出す前に、男は背を向けた。
帰らなきゃならない場所があった。
そうして
ーー世界は色を取り戻した。
物置の隅。
ほこりをかぶった、古いテレキャスター。
帰宅するなり扉を開け放つ。
ギターケースを開ける。
硬く張り付いた弦を切り、磨き、ポリッシュをかける。
あの頃の自分の匂いが、ギターから立ち上った。
錆びついた弦のかわりに、新しい弦を張る指先が震える。
アンプに繋ぐ。
何年ぶりかも覚えていない。
指が弦を弾いた瞬間——
心の奥の獣が吠えた。
怒りでもない。
嘆きでもない。
ただ魂が鳴っただけだ。
「まだ終わっちゃいねぇ。」
思わず口をついて出た言葉が、薄暗い物置に響く。
指が覚えていたリフを刻む。
弦が震え、部屋が震え、胸が震えた。
もう誰も聴いていない。
だから、なおさら自由だった。
社会に預けた声を、全部取り戻すように。
男は歌った。
——その日、世界は3分間だけ止まった。




