沈黙の環状線 (濡れた出口)
男がいた。
昔、環状を走り抜けた。
速さより、ただ夜が欲しかった。
仲間と並んで、笑い声を風に溶かした。
だが男は降りた。
事故で失った仲間のために、二度と走らないと決めた。
あれから十年。
連れ添った愛車だけが、ガレージの隅で呼吸をしていた。
ある夜、雨が降った。
湿った路面、遠くに環状のテールランプが流れていく。
コンビニの駐車場で、男はハンドルを握りしめた。
エンジンはかけない。
ただキーを挿して、過去を思い出す。
缶コーヒーの残りを飲み干したとき。
一台の車が隣に停まった。
雨粒を跳ね飛ばすタイヤ音。
若い男が降りてきて、会釈をした。
「……すみません、火貸してもらえませんか。」
差し出したライターの火が揺れる。
若い男の後ろポケットから覗く、走り込んだ車のキー。
「走るのか。」
思わず、声に出していた。
若い男は笑った。
「はい。環状、久しぶりで。」
笑い方が、あの頃の仲間に似ていた。
男は視線を落とした。
助手席のダッシュボードに、当時のステッカーが残っている。
それは、もう戻らないと決めた夜の証だった。
そんなことを思い返したとき
——世界が止まった。
雨粒が止まり、コンビニの看板が滲んだまま固まっている。
男はゆっくりエンジンキーを回した。
冷えたエンジンが、一度だけ息を吹き返す。
「……行くのか?」
止まった若者の顔を見た。
凍った時の中に、返事はない。
「……じゃあ、少しだけ付き合え。」
運転席に深く沈む。
窓の外で止まった雨が、かつての夜の匂いを運んでくる。
「……もう一度だけだ。」
言い聞かせるように呟く。
——世界が動き出した。
隣の若者が笑った。
「行きますか?」
男は頷いた。
濡れた路面を、二つのテールランプが滑っていく。
十年ぶりの環状は、街の灯を変わらず背にしていた。
帰るべき場所がある。
それでも、夜の奥でだけ繋がる何かがある。
次の出口で降りると決めていた。
けれど、その出口を一つだけ過ぎた。
——その夜、世界は3分間だけ止まった。




