沈黙の小道(小さな背中)
暖かい日差しのなかに親子がいた。
小さな公園の脇道を、ゆっくりと歩いている。
年老いた母親と、その腕をそっと支える息子。
午後の陽だまりが柔らかくて、二人の影はやけに長かった。
母は昔、誰よりも大きな存在だった。
小さな段差につまずいて泣いたとき、
真っ先に駆け寄って抱きとめてくれたのは、いつも母だった。
あの背中は、どこまでも自分を守ってくれていた。
あれから何十年も経った。
母の背は小さくなり、腕の力も歩幅も、少しずつ削れていった。
それでも笑顔だけは昔のままだった。
最近、母は何もないところでもよくつまずくようになった。
一歩一歩が頼りなくて、息子はそのたびに心の奥が冷えた。
——いつか、この手を離す日が来るのだと。
「大丈夫?」
問いかけると、母は小さく笑った。
「まだまだ大丈夫よ」
そう言って、また歩き出す。
ゆるやかな坂をのぼるとき、母の肩の重みが息子の腕に伝わる。
あの頃、自分を背負った背中は、もうここにはないのかもしれない。
ふと、そんな寂しさが胸をかすめた。
小さな石ころに、母のつま先が引っかかった。
体が前に傾く。
咄嗟に手を伸ばした——その瞬間、
——世界が止まった。
鳥の声が途切れ、木々の影も止まり、母の体が前に倒れかけたまま凍りついていた。
息子の呼吸だけが、小さな小道に響いていた。
ゆっくりと横に回り込む。
母の小さな背を支え直す。
ふわりとした重みが、掌にのる。
骨の細さが、頼りなくて切なかった。
——小さくなったな。
胸の奥で、そっと思った。
泣きながらしがみついた腕。
段差で転んだ自分を何度も起こしてくれた背中。
あの日の公園がふいに浮かぶ。
これから先、母は何度でもつまずくだろう。
この手を握っていても、転ぶかもしれない。
それでも支える。何度でも。
息子はそっと母の背を抱え直した。
冷たい風が吹き抜ける。
止まった世界の中で、母の笑顔だけが残っていた。
——大丈夫。
また立てる。何度でも。
母と同じ言葉を、小さく胸の中で繰り返した。
大きく息を吐いて、母の肩をそっと叩いた。
そして
——世界が動き出した。
母の足が舗道に戻り、つまずいた足は小さく踏み直された。
母は驚いた顔をして、すぐに笑った。
「ありがとう。」
その声を聞いて、息子は小さく頷いた。
二人の影が、小道に並んで伸びる。
母の手の温もりが、遠い昔と同じで、少しだけ切なかった。
その日、世界は3分間だけ止まった。




