表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/94

沈黙のラジオ局(憧れのアイドル)



彼は熱狂的なオタクだった。

いわゆるドルオタ。

好きになったアイドルの声を、夜ごとラジオから聞くのが生きがいだった。


もともと孤独な少年だった。

家では親とほとんど話さず、職場でも声をかけられることは少なかった。

誰かに必要とされる感覚を、ずっと知らずに生きてきた。


深夜のラジオだけが、彼を繋ぎ止めていた。

眠れない夜、イヤホンの向こうで笑うあの声だけが、

自分の存在を肯定してくれているように思えた。


たったいちど、握手をしただけだった。

けれど彼にとっては、世界で唯一の救いだった。


週刊誌の砲弾は、そんな彼の唯一を奪った。

アイドルは裏切った。

笑顔は嘘だった。

マイクの向こうの声は、自分を裏で笑っていたのだと、何度も頭の中で叫んだ。


胸の奥が焼けただれた。

信じていた言葉の後ろに、嘘があった気がした。

誰かに奪われた気がした。


今日は生放送の日だった。

イヤホンを前に、じっと座っているだけでは、気が狂いそうだった。

だから、小さなポケットラジオを握りしめ、ラジオ局に向かった。


ポケットには、彼女の声と白く光る刃があった。


夜のラジオ局は思った以上に厳重だった。

光る制服、無線の声、いくつもの監視カメラ。

彼にとっては別世界のような場所だった。


それでも、あの声に近づきたかった。

壊してやりたいと、心の奥でどこか冷たいものがささやいていた。


ポケットの中の刃を握りしめる。

冷たさが指先に食い込む。


入口が見える影で、息を潜める。

胸の奥で、もう一人の自分が何度も叫んでいた。


——声を奪え。


そのとき


ーー世界が止まった。


誰も動かない。

光も、音も、ドアの開閉も、すべてが凍りついた。


男は戸惑い、けれどすぐに思った。


——チャンスだ。


ポケットの中の刃を握り直し、無人の廊下を走った。

ラジオブースの場所も分からない。

息が切れるのも構わなかった。

走り回り、ついに、

ガラスの向こうに座る、探し続けた声の主を見つけた。


彼女は泣いていた。


声はないのにわかった。

震える肩、握りしめた原稿、マイクの前でうつむく顔。


そのとき


ーー世界が動き出した。


イヤホンから彼女の声が戻った。

謝罪の言葉と、誤解を伝えようとする声だった。


作られた笑顔でも、嘘でもなかった。

震える声が、あの夜のラジオと同じだった。

イヤホン越しに何度も救われた、あの声のままだった。


ポケットの中の刃が、急に重たくなった。


男はゆっくりと手を離した。

非常階段へ、ひっそりと身を滑らせる。

踊り場で、刃をそっとゴミ箱に沈めた。

自分の中の、誰かを傷つけたかった衝動を一緒に埋めるように。


戻る途中、警備員に呼び止められた。

何をしていたと問われ、小さく笑った。


大丈夫です。


とだけ言った。


外に出ると、夜風が頬を冷やした。

イヤホンから、まだ震える声が流れていた。


止まった時間の中で、

一つの声と、一つの狂気がすれ違った。


彼はイヤホンを外した。

もう、その声に縋らなくていい気がした。

そうして、イヤホンを着けることは

もうなかった。



その日、世界は3分間だけ止まった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ