沈黙の電話 (父を想う)
小さな女の子がいた。
まだ5歳。
でも、わかっていた。
最近、お父さんの顔をあまり見ていない。
声も聞いていない。
名前を呼んでも返ってこない。
「パパはおしごとなの」
そう言って、お母さんはそれ以上話さなかった。
話しかけると、少し困った顔になる。
女の子は、わかっていた。
大人が本当のことを言わないときの顔を。
お母さんの声が、ほんのすこしだけ冷たかった。
——でも、お父さんと話したい。
何を話せばいいか、わからないけど。
「げんき?」って言いたい。
それだけでいいのに。
ある日、女の子は決めた。
かくれんぼをしているふりをして、
お母さんのスマホをこっそり持ち出した。
ソファの下。
いつも自分だけの隠れ場所。
スマホを抱えて、たどたどしい指で操作する。
前に、お母さんが触っていた順番を思い出す。
何度も間違えて、違う画面が出た。
でも、あきらめなかった。
そしてついに、画面にお父さんの名前が出た。
ボタンを押した瞬間——
——世界が、止まった。
いつも聞こえるテレビの音が止まり
外の鳥の声も、車の音もしない。
けれど、画面の中の父だけはそこにいた。
ちょっと疲れた顔。
少しだけ笑いかけるような目。
女の子は、ほっとした。
それだけで、胸がぎゅっとなった。
「……パパ」
返事はない。動かない。
でも、ずっと見てくれてるような気がした。
女の子は静かに語りかけた。
聞こえていないのはわかっている。
それでも——言葉があふれた。
「パパ、げんき?」
「おしごと、たいへん?」
「わたし、パパのこと、だいすきだよ」
そう言って、画面の中の父の顔を見つめた。
ずっとずっと、ずっと話したかった。
ただ、これだけのことが。
涙がこぼれた。
でも、泣いている自分が不思議だった。
うれしいのか、さびしいのか、わからなかった。
そのとき——世界が、動き出した。
スマホの画面がかすかに揺れて、
父の目が少し見開かれた。
「……おまえか。びっくりしたよ」
その声が、聞こえた。
女の子は、ふわっと笑った。
心があったかくなった。
なぜか、安心した。
***
数日後。
広い空の下。
キャンプ場の草の上。
1台のスマホが三脚に固定されている。
画面には、3人の笑顔。
少し照れたお父さんと、優しく微笑むお母さん。
そして、そのあいだに、うれしそうに笑う女の子。
カメラのタイマーが点滅して、シャッターが切られた。
スマホの画面には、3人が並んで笑う姿。
まるで、最初からこうだったみたいに。
あの3分は、彼女の小さな声を届けた。
そして、離れていた心が、少しだけ近づいた。
ーーあの日、世界は3分間だけ止まった。




