沈黙の夏祭り(年老いたふたり)
爆音が夜空を揺らした。
ゆっくりと咲く炎の花が、夏の終わりを静かに照らしている。
「今年も、来られたなぁ」
「来られたねぇ……また、ふたりで」
川辺の石段に並んで腰を下ろす。
老夫婦がひと組、肩を寄せ合うでもなく、ただ並んで花火を見つめていた。
何十年も前、この町の祭りで出会った。
数えきれない季節をふたりで越えてきた。
並んで眺めた空の色は、いつも違って、でも変わらなかった。
「言葉がなくても、十分やなぁ」
「うん、うん」
打ち上がる花火の音に混じる会話は、それきりだった。
人波が流れはじめた。
帰り道、灯籠の揺れる道をゆっくりと歩く。
その途中、不意に手が離れた。
振り返ったときには、もう妻の姿は見えなかった。
——ああ。
それだけで、胸の奥がざわついた。
あの細い肩を、どれだけ信じてきたろう。
あの背中を、どれだけ頼ってきたろう。
いなくなるのが怖いんじゃない。
「この人を見失ったこと」が、初めてのことのようで、ただ寂しかった。
彼はなんとなく辺りを見回した。
そうしてゆっくりと妻を、探し始めた。
焦りはなかった。
そのときだった。
——世界が、止まった。
ざわめきが消え、灯籠の揺れも止まる。
動いているのは、自分だけだった。
「……不思議なことも、あるもんや」
誰に届くわけでもない声を漏らしながら、帽子を直す。
焦りはない。急ぐ理由も、怒る理由もなかった。
「どこにおるかなんて、大体、わかるよ」
小さなため息と一緒に、足を踏み出す。
彼女が好む道、よく立ち止まる場所。
言葉を交わさずとも、向かう先は浮かんでいた。
ゆっくり歩いて、やがて見つける。
橋の下、灯籠の光のそば。
妻は立っていた。
止まったままの時の中で、微笑んでいた。
不安など、微塵も感じさせない。
きっと、見つけに来ると知っていた。
その信頼が、彼女を平らな心で立たせていた。
「ほらな、やっぱり、ここやったか」
そう言って、そっと隣に立つ。
触れもしないし、声もかけない。
ただ、その横顔を見て、そっと笑う。
「わしは、毎日この人を選んできた」
「これからも、選び続けたいだけなんや」
そう胸の内で呟いたとき——
世界が、動き出す。
灯籠が揺れ、風が吹き、遠くの屋台の音が戻ってくる。
妻が彼に気づき、ほっと笑った。
「来てくれると思った」
「当たり前やろ」
ふたりはまた、並んで歩き出す。
手をつなぐこともなく、寄り添うこともなく。
けれど、それでも伝わっている。
——大丈夫。ちゃんと届いてる。
駅へと向かうその背中は、
若者のように大きくはなかったかもしれない。
けれど、信頼と誇りを積み重ねたその姿は、
人生の果てにたどり着いた、いちばん強い絆の形だった。
——その日、世界は3分間だけ止まった。




