199 荒野の朝
背負子で揺られながら、スンスンと自分の両手を嗅いでみた。
一晩たってもまだ、手の平がいい匂いを漂わせている気がする。
随分布地の多い服は、少々動きづらい。
まだ日が昇り始めたばかり、肌を焼く日が手加減しているうちに、私たちは宿を発った。
「目ぇ覚めたか? 飯はどうする?」
「食べる」
宿の朝食は、何やら円形の平べったいものだった。結構な大きさだけれど、薄いからあれで一人前なんだろう。まだうつらうつらしている私を見て、リトはそれを折りたたんで紙に包んでしまった。
つまり、まだ朝から何も食べていない。
ほらよ、と渡されたのは、クレープのように畳まれた平たい円。
微かに香るのはスパイスとバター? 畳まれているそれをめくってみれば、どうやら内側にバターとスパイスが塗られている。
カサカサした外側と違って、しっとり光る内側は美味しそうに見えた。
「おい、開くなよ。手がべたべたになる」
「りゅー、ちゃんと食べてる」
素知らぬふりでぱくりと食いつけば、食べ慣れた硬いパンよりもずっと、歯切れがよい。
きれいに小さな歯型を残して噛み切れる生地は、案外幼児向けかもしれない。
恐らくトルティーヤのような雰囲気だろう。せっかくなら、ここに野菜やお肉も挟めばいいのに。
とは言え、この雑草すら見かけない荒野でそれが難しいのは明白。
ラザクが覚えて帰って、別の場所で作ればいい。そう思って、肝心のラザクがいないことに気が付いた。
「りと、らざくは?」
「知らねえよ。そのうちどっかから湧いてくんじゃねえか?」
お昼時にいないと困るのだけど。
そろそろ門が見えようというのに、ラザクはまだ現れない。
「おーまーえーらぁ~!」
「あ、いた」
門の側から突進してきたのは、紛れもなく見慣れてしまったずんぐりむっくり。
ちゃっかり荒野を行くための旅装を整えているのが不思議だ。一体、どこから費用を捻出したんだろうか。それとも、旅装の方をどこかから捻出したのだろうか。
リトの溜め息が聞こえた。
「こぉのデタラメとんでもチビガキが!! 俺様を吹っ飛ばして素知らぬ顔をしてるとは! 危うく大怪我するところだと思わねえわけ!? とんでもねえガキだ!」
「りゅー、思わなかった」
「はぁ?! 一体何……ハッ?! あ、あ……そんな。もしかしてお前、悪党どもの手から俺様を逃れさせるために……? わははは! やるじゃねえか! でかした! このラザク、吹っ飛ばされたぐらい屁でもねえわ!!」
素晴らしい想像力と、自己肯定感の高さだ。
その通り、と頷いてみせれば、リトが胡乱な目で私を見ていた。
それはそれとして、どうして竜巻で吹っ飛ばされて怪我ひとつしないんだろうか。悪運の桁が違う。
「つうかリトよぉ、大事な俺様を探すくらいしたらどうだ? この荒野、俺様抜きで行くにはツライ旅程だと思うぜぇ?」
「てめえ付きの方がずっとツライわ」
リトは食に執着がないから。でも、それは今までの話だ。
今ならきっと、乾燥食と黒い肉ばかりの旅程を辛く思うに違いない。
ラザクを連れたまま門を通過すると、途端に画面が切り替わったような荒涼とした大地に目を細めた。
ほかの町と違って、街道とその他が草で分けられていない。
たくさんの人が歩くから、そこだけ色の変わった大地。それが街道。これ、大雨でも降ったら街道の痕跡が消えるのでは。いや、その大雨が降らないからこの大地なのか。
「え、え? つうかさ、この荒野、結構広い気がすんですけど……ま、まさかの歩き……? え、いや俺様はまだ頑丈ですしぃ? でもほら、お子様がいるわけで?」
何やら慌てだしたラザクに首を傾げた。
「普通、歩きなない?」
「よくぞ聞いたお子様ぁ! フツーはアレよアレ!!」
街道の向こうを指す指を追うと、何やら大きな影が見える。
馬……ではなさそう。
「きょーりゅー?」
恐竜、というには貧弱だろうか。そして、その背中に鞍が取り付けられて人が乗っていた。
私が食べられたことのある、マーシュドルに少し似ている。
あれよりもむっちりとして尻尾が短い。
マーシュドルよりも随分大人しそうな小さく黒い瞳がまん丸で、かけられた革製の手綱は随分りりしく見えた。
「てめえ……よくもその口で言えたな。リュウ、大丈夫か? 目ぇつむってろ」
じろり、とラザクを睨んだリトが、気遣わしげに私を振り返って、背負子から下ろした。
抱えられ、ぐいと胸元に顔を押し付けられる。
……なぜ?
トカゲを見たい私はもぞもぞ抗って顔を上げた。
「どうちて? りゅー、目々つむらない」
「お前……怖いだろ」
「りゅー、怖いない」
一体なぜ、と考えて思い当たった。そうか、リトは私が食べられたところを見ているから。
私は作戦通りだったけれど、リトは怖かっただろう。
ぽんぽんと胸元を叩いて慰める。
「大丈夫、怖いない。りと、ちゅよい」
「俺じゃねえよ……。そうか、まあお前だもんな……けどよ、フツー平気ではいられねえぞ」
「どうちて。りゅー、勝ったのに」
「まあ…………そうと言えばそうか」
ある意味、みたいな言い方はやめてほしい。あれは、私の完全勝利だろう。
そう言うわけで、何ら思う所のない私は、道の脇に避けてじっくりトカゲを眺めた。
「これ、乗れる?」
「まあ……乗れんことはねえが」
「乗るでしょぉ?! 金持ってんのにこういう時に使わずいつ使うのよぉ!! 金は使ってこそよ!!」
それはそうなのだけども、ラザクが言うと間違って聞こえるから不思議だ。
むっちりつやつやしたトカゲは、短い脚で案外スタスタと歩く。とんがった顔は朝日を反射して眠そうに見えた。
「りゅーも、乗る!」
「乗りてえのか? マジで怖くねえのか」
何度も頷くと、リトが苦笑した。
欠片も怖くはない。むっちりして美味しそうだと思うから、トカゲの方は私を怖いと思うかもしれないけれど。
「俺様も! 俺様も乗りたい! つうか乗る以外の選択肢はねえ!」
「我はどっちでもいいですねえ~」
やっと起きて来たファエルが、ポケットから顔を出して大あくびをしている。
それはそうだろう。ファエルはいつも私かリトに乗っている。ペンタも然りだ。
「リュウが平気なら、まあ乗ってもいいが……そこまでは歩きだぞ」
「ええ~~~」
こくり、と頷いた私とは対称に不満を漏らすラザク。
ラザク、下手すると一人トカゲに乗れないかもしれないから、大人しくしてるといい。
俄然弾み出した身体を持て余しながら、私は意気込み十分で荒野の朝を歩き始めたのだった。
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