198 市場をあとに
「ぐあっ?!」
何をどう切ったか知らないけれど、私を捕まえていた男がのけ反った。
ちょっとは切れることを覚悟していたけれど、ナイフは思いのほかきれいに首元を離れてホッとする。
再びナイフが持ち上がるより……私の方が早い。
さっと広げた手の中に、キンタロが飛び込んだ。
「なん――」
「ウェ・スパ! 渦巻くたちゅまき!」
キンタロを抱きしめ、ゴッと立ち上った風を感じる。
そして……一瞬で魔法を止めた。
持ち上がっていた髪がふわ、と頬に降りてくるのを感じて、目を開けた。
誰もいない。
しばらく待って、そろりと後ろを見る。誰もいない。
うん、と頷いて再び前を向くと、リトがいた。
瞬間移動のように現れたリトに、ぱちりと瞬く。
「りと、速い」
珍しく肩で息をしているところを見るに、ものすごく急いだのだろう。
しばし無言で私を見ていたリトが、一気に駆け寄って抱き上げた。
そして、素早くその場から離れて狭い通路に入り込む。
ぎゅうと抱きしめるリトは、何があったか知ってるのだろうか。バレないと思ったのに。
「りゅー、大丈夫」
「……そうだろうよ」
先回りして答えておくと、はあ、とリトの身体から力が抜けた。
「りゅー、自分で何とかちた」
「ああ……まあ、良かったんだけどよ。もう少し何とかならねえのか、目立つわ」
「ふえは? ちゅかったら壊れた」
ぼろぼろに崩れて紐だけになってしまった笛は、竜巻にきれいさっぱり持って行かれてしまった。
「そういうもんだっつったろ。もうちょい早く呼べよ」
「たぶん、結構早かった」
「そうか……? まあ、傷ひとつねえならいいが。何があった」
「そえより、笛、鳴った?」
それよりじゃねえわ! と小突かれながら、空を指すリトの指を追った。
「お前が消したから、もうほとんど残ってねえが」
……なるほど、色のついたのろしのようになるのか。これなら場所がわかる。もっと、派手な音が鳴ると思ったのだけど……不満は口にする前に口を閉じておいた。確か、ぱぁん、ぴるるるる、と音がしたけれど、多分竜巻の音の方が大きかった。
やがて弾むように駆け戻って来たパンとガルーに無事合流し、歩き出す。
「ひとまず、どうせ人さらいか強盗だろ? もしくはラザクが余計なことをしたか。お前が無事ならいい。つうか、アイツはどこ行きやがった」
「とんでいった」
「あー……ならいいか」
いいのか。ラザク、私のおかげで怒られずにすんだのでは。
ひとまず、収納袋はちゃんとパンが死守していたから大丈夫。
「買い物はできたのか? 金や荷物は盗られたか?」
「れきた。荷物は大丈夫」
誇らしげに吠えたパンの背中を見て、賢いなとリトが苦笑した。
「なら、お前がいねえと買えないもんを買うか」
「服?」
「ああ、服やら靴やらだ」
もう食べ物は買ったから、まあいいか。
そういえば、とリトを見上げる。
「りゅーに塗るくりーむ、買った?」
「ああ」
「足りなくなったら、ばたーもある」
「お前を料理するんじゃねえよ?」
「ちやう、そういうばたー!」
へえ、と流すリトに憤慨しつつ、クリームがあるなら遠慮なくバターとして活用しようと思う。
「――お子様が荒野を行くなら、この布地がいいですよ! 過酷な気候に合わせるには――」
「これなんかどうです!? 荒野だけでなく、よその町でも浮くことなく――」
リトの長い脚ですぐさま衣料品の通りへ到達した私たちは、たくさんの布地を差し出す人たちに囲まれていた。
幸い、リトが私を肩の上に避難させてくれたので、安全に困っているリトを眺められる。
なぜ、他にも客がいるのにリトにばかり群がるのかと思ったけれど、多分、今着ているものだろうか。
私が見てもさっぱりわからないけれど、ここは服飾専門。身にまとうものにそれぞれ高い価値があると分かるのだろう。私の靴もよく見られているようだし。
「勘弁してくれ……全然分からん。リュウ、お前選べ」
「何を基準に?」
「何でもいい」
そう言われても、と思いつつ目を閉じて情報を整理する。
ふむ、と頷いてリトの頭を抱え込むように耳元でささやいた。
服の価値はあまり分からないけれど、素材の価値とある程度比例するだろう。
あとは、それが荒野に向いているかどうかと偽物でないかをリトが確認すればいい。
リトは『あっちの赤い首飾りの人』『こっちの黄色い服の人』、と耳打ちする人が差し出すものを手にとって私にあてがい、大して悩む様子もなく購入していく。
まるで逆バーゲンセール会場のようになったその場から、なんとか抜け出した頃には、既に日が傾き始めていた。
「あーー。あんなに集まるとは。参った」
町中とはいえ、旅人しかまず来ないこの町ならではだろうか。観光客を狙う事業といった風情だ。
とは言え、訪れるのが冒険者だからか、値段にそう大きな嘘はないようで助かる。
「りゅー、お腹空いた」
「だな……何食うか」
「しょくしゅ?」
「気に入ったのかよ。あれは飯っつうかつまみだろ」
屋台通りに差し掛かると、随分刺激の強い香りがする。
じわ、と滲んだ唾液にかえって口内の乾燥を感じた。こんなに強い香りなのに、市場中に漂ってはいないのも、乾燥のせいだろうか。
「独特のモンが多いから、お前が食えるかどうか。けど、お前大体何でも食うな」
「食べらえなかったら、りとにあげる」
「……いいけどよ」
パンを番犬代わりに椅子へ置いて、せっせと買っては運ぶこと数回、テーブルの上が色んなもので溢れている。リュウが何食うか分からねえし、なんて呟くリトも買いすぎたと思ってるのだろう。
よだれを垂らしながらお利口に待っていたパンへ、さっそくご褒美をあげながら私たちも席に着く。
パンは硬いだけであまり変わり映えしないけれど、他は見た目から色々違う。
スープでさえ、妙に赤い。
唐辛子が思い浮かんだものの、この世界でも同じように赤が辛いとは限らない。
さっそく肉を頬張るリトを眺めながら、そっと赤いスープを舐めてみる。
「……しゅっぱい」
「ああ、ここらは結構酸味があるな。食えるか?」
少し驚いたけれど、これなら食べられる。
ちなみに、辛くはなかった。するする喉を通って行くスープで、身体が潤っていく気がする。
「お肉、落とちた?」
大きな串焼きを手に、表面にいっぱい貼り付いたものを落とそうとしていると、リトが噴き出した。
「そんなわけあるか。つうか、落ちたと思うもんを食うんじゃねえよ! 取るな取るな、スパイスだ」
これがスパイス? もうちょっと見た目にも配慮すればいいものを。
芝生の上に落とした上で蹴飛ばしたような見た目のお肉に、首を傾げた。
でも、私にとって見た目はそう重要じゃない。
はむ、と小さくかじると、大きな塊がついてきた。リトがあ、と手を伸ばすより先に、串を離して両手で肉を握る。
タレのお肉よりも、カサカサして持ちやすい。
ぐいっと引きちぎって咀嚼して、思わず動きを止めた。
鼻に突き抜けるような、強い香り。
何の香り、とは言えない初めての刺激臭に混乱した。
はらはらした顔で見守っていたリトが、咀嚼を再開した私に安堵して自分の食事を再開する。
「それ、思ったよりスパイス強かったな。食えるか?」
「すぱいすも、美味しい」
こんなに強い香りがつくならば、そこらの雑草でも靴でも食べられそうな気がする。
そうか、と笑ったリトを見上げながら、私は一心にスパイスの香りに包まれていた。




