6.天之川を見上げて
「ヒメちゃん。僕らね、昨日作戦会議をしたんだ。その結論を、決心を、聞いてくれないかな?」
『はい。いくらでも、何でも。貴方の言葉ならいつでも真剣に聞いていますわ』
「ありがとう……あのね、ヨウ君がたくさん調べてくれたんだ。いろんな地図があって、川がどこを流れているかある程度はわかる。でもね」
『実際に見なくてはやってみなくては、わたくし達が渡れるかどうかわからない、ということですか?』
「そう。えへへ、ヒメちゃんはやっぱり頭いいなぁ」
『それほどではありませんわ。つまり、ヒコ君は……』
「そうだよ。僕は君に会いに行く。どんなことをしても。だから僕」
犬飼は息を整えるように言葉を切り、すっと息を吸うと言った。
『わたくしも行きますわ!』
「旅に出るよ」
一瞬早く大鷹の声が割り込み、沈黙が舞い降りた。
「…………えとそれは」
『行きますわ』
きっぱりと言い放つ大鷹。やっぱり大人しく待ってるお姫様役、なんてキャラじゃねえよなぁ、お前は。
「え、えええ? でもだって、その、学校は?」
『そっくりそのままお返しします』
「え? 僕は……だって本来学校行く存在じゃないし」
『ならわたくしだって鬼に学校は要りませんよ。わたくしも学校やめます』
「えええ! や、やめないでよヒメちゃん!」
『じゃあヒコ君もやめないで下さいますか?』
「うんやめない、やめないからやめちゃダメだよ!」
「でも会えた時に帰って来れるのか? そもそも片方は確実に転校せにゃならんだろう。この膠着状態の原因がここに横たわっている限り、両立はお前らの体質的に不可能だ」
「…………」
『…………』
横たわっている原因は、今も大海原を目指して穏やかな旅の途中だ。川を排除するのは無理だろう。てか無理だからこその問題だしな。
「ま、転校するってことでいいだろ」
「……でもヨウ君に会えなくなる」
「電話しろ電話。アドレス教えただろうが」
『わたくしにも教えなさいよね』
仏頂面しながら照れるという高度な技を披露していそうな大鷹の声にニシシと笑った。
「いいぜ。じゃあ二人で会える場所を探しに旅に出るで良いんだな?」
「うん」
『ええ』
「よっし。ならこれを書け」
「へ?]
突き出したのはレターセットだ。家の奥底にたまたまあった、星空の柄の便箋と封筒。
「手紙だ手紙。形があった方が励みになるだろ? 出発は予定通り明日の」
『今日にしましょう』
「……はあ?」
急すぎて付いていけないぞ? と目をしばたたせていると、そうしよう、と犬飼まで言い出した。
「ヨウ君、ヒメちゃんにも地図渡してあげてくれる? ちょっと僕取りに行きたいものがあるんだ」
そう言うと犬飼は返事も聞かずに黒い犬の姿になると走り出してしまった。
「お、おいおい……」
『お願い、舟渡君』
大鷹にまで頼まれる。二対一で勝てるわきゃねえだろが。
「ほんとお前らって人の話聞かねえなあ」
『そういう貴方はお人好しね』
「ケッ、ちげえよ」
お人好しなんてアホ臭い。でも今夜ばかりは。七夕くらいは。
「お人好しな渡し守なだけさ」
それでもいいかと思った。
「ヨウ君には青をあげるね」
「……これ、カップルとか『ニコイチだね!』とか言うやつらが付けるもん、じゃね?」
「いいからいいから」
大鷹への説明を終え、手紙も受け取った俺が戻ると、やたらニコニコした犬飼が待っていてそれを俺に押し付けて来た。何と言うか、ペアストラップ、とでもいうのか? 白と青で一セットになり、星のマークが出来上がるという……俺が持つと罰ゲームにしか見えない代物。
「マジ?」
「うんっ、大真面目だよ! はい手紙。それとこれもヒメちゃんに渡して開けて貰ってね」
何だか嫌な予感のするファンシーな円筒形の包みと、さっき俺が渡した手紙を受け取った。
どうも納得しきれないが……いいか。
「これが大鷹からの手紙。まだ開けずに持ってろよ」
「うん! ありがとぉ」
えへへへ、と照れ笑いを浮かべる犬飼に、やっぱり何か犬っぽいというか、愛玩動物っぽいんだよなぁと思いつつ、再び自転車に股がった。
そして約五分後。
「待ちくたびれたわ。はいこれ」
「俺が待たせたんじゃねえ! これでもかなりマジになってこいでんだからな畜生! で何だよこれ」
大鷹が突き出したのはノートを千切って折り畳んだようなものだ。ホチキスで一応封がされているから……手紙か? ……誰宛の?
「貴方宛の手紙よ。時間が余って余って仕方なく書いたの。有り難く貰っておきなさい」
「まあくれるっつうなら貰うさ。あんがとな。でもってお前の本命からの配達物ですよっと」
すると目を輝かせ、ウキウキと手紙と包みを受け取る大鷹。だから何だよその態度の差は! お前はあれか、ツンとデレが誰に対するかで替わる特殊ツンデレさんなのか!
「こちらの包みは?」
「なんかお前に開けて欲しいらしい」
不思議そうな顔をしながらもどこか嬉しげに封を丁寧に剥がす大鷹。現れたのは。
「何だよ、さっきのと同じじゃん。まあ色違いではあるか」
「『さっきの』?」
と問い返されたのでついさっきの犬飼とのやり取りを説明してやる。すると大鷹は納得してしまったようで、ならわたくしは赤を差し上げますわ、と優艶な笑みと共に赤と白のストラップの赤側を俺に差し出した。どういう意味なんだこれ? と問うが、笑って流されてしまう。
「じゃあアドレス交換しましょ?」
大鷹は愉しげにワインレッドの携帯電話を手に、小さく首を傾げた。
「さて準備は整いました……でいいのか?」
『出発のための準備は多少ありますが、わたくしも直ぐに出発しますわ』
「大丈夫、僕も似たような感じだよ」
ふふふ、と笑い合う二人。長年閉ざされた繋がりは今日回復したばかりだというのに、でもまだ顔を合わせてすらいないというのに、この妙な息の合いようは何だろうか。さっきのストラップの件も、俺が赤と青の、一見ペアに見えてペアじゃないストラップを二つケータイに提げて帰ってくると、犬飼は満足気に頷いた。これで良いらしい。
二人はお互いが見えているのかは定かではないが……まあ見えてそうだ、鬼と犬だし……まるで向かい合うように真っ直ぐ対岸を見詰めていた。別れた直後の大鷹も似たようなことをしていたし、この大きな川を挟んで視線を交わしていたとしても不思議ではないかもしれなかった。
犬飼はケータイを耳に当て、遠く彼方の半身に言葉を紡ぐ。
「また一緒に遊ぼうね」
すると歌うように、何か詩を吟じるように大鷹が応えた。
『また一緒に歌いましょう』
「たくさん話そう」
『たくさん笑いましょう』
「もう甘えないよ」
『もう怠けたりしませんわ』
「支え合って」
『励まし合って』
「『今度こそ』」
息もぴったりに、誓い合うように二人は言った。
「一緒にずっと居ようね」
『一緒に幸せになりましょう』
表現は違えど、願いは同じだ。犬飼は笑って最後に一言だけ告げるとケータイを離した。ただ一言。彼らが叶えられなかった小さな約束を、もう一度繋ぐように。
「また明日ね、ヒメちゃん」
微かに残った夕陽が犬飼の背中を照らして、まるで行ってらっしゃいと背を押しているようだった。
渡し守業もこれにて店仕舞い、かねえ。
俺は過ぎ行く今日を仰ぎ、かつての彼らを遮る障害であったはずの乳白色の帯を微かに見付けると、七夕だねぇ、と独り、呟いた。




