5.七夕の三人
七月七日。七夕だ。
「よっ」
「……相変わらず能天気な顔ね」
「まあそう言うなって」
俺はふて腐れたように川に背を向け、膝を抱えて座る大鷹の隣に腰を下ろした。夕暮れ時の川原は無駄にドラマチックな雰囲気だが、大鷹がずしんとわかりやすく落ち込みまくって負のオーラを放っているためあまりそんな気はしない。
これをドラマチックに出来るかは俺次第かねぇ。
そんなことを考えながら俺は口を開く。
「これでもいろいろ調べたんだぜ?」
「……貴方にしては、優しいじゃないの」
「俺は優しいからな。当たり前だろ? てことでハイ」
「ハイ?」
俺は有無を言わさず俺のケータイを大鷹に握らせた。
「いらないわよこんなの」
「こんなの呼ばわりしないでくれ……」
俺がこいつを維持するのにどれだけの犠牲を払っていると思っているんだ、と抗議すると、軽くひいた顔をした大鷹が知らないわよ、と返す。
「とにかく何でもいいから耳に当てろ」
「イヤよ」
「何でだよ!」
「なんか……やらしいわ」
「やらしくないわ! ええい、ならお前のケータイ貸せ」
「やよ。何なの? 元から変なやつだとは思ってたけどとうとう……」
「ストップ憐れみの目! わかったわかったよ、単刀直入に言やいいんだろ」
うろんげな大鷹の視線に胸を張り、ついちょっとにやけてしまう頬を意識しながら、俺は言った。
「犬飼鷲彦と話したくないか?」
「もしもし、ヒコ君なのですか?」
「……わかりやすいやつ」
相手を言った途端これだ。俺のケータイにすがるように、ぎゅっと握り、耳に押し付けている。しかし……。
「なんで犬飼には敬語なんだ……」
納得の行かないものがあるが、大鷹の顔を見てればいいやと思えてくる。今にも嬉し泣きで泣き崩れてしまいそうで、でも今まで見たことがないくらい輝くような笑顔の彼女がいた。
ちったぁ報われたかねぇ。
「ヒコ君……泣かないでください。わたくしはここに居ります。川を隔てた、貴方の直ぐ傍に居るのですよ……」
「あいつ、泣いて話にならないとか?」
すると大鷹が無言でケータイを突き出した。耳に当ててみると案の定だ。ヒメちゃん、ヒメちゃんと泣きながら呟いているだけで、会話なんて成り立ちそうにない。こりゃ駄目だな。
「俺ちょっと行ってくるわ」
こんな時のための自転車だ。俺は自転車に飛び乗ると犬飼のいる橋の反対側までかっ飛ばした。直ぐに背中を丸めて泣きまくっている犬飼を発見し。
「泣くなアホ犬飼! てか嬉し泣きすんのはまだはえぇだろが。まだ会えてないんだから我慢しやがれ!」
「う~、殴らなくたっていいじゃないかぁ」
と今度は痛みで泣かせた。ケータイから熱烈な抗議の声が漏れている気がするが無視だ無視。
「落ち着けって。そんなんじゃ織姫様に呆れられちゃうぜ?」
「うん、うん……がんばる」
涙を拭い、犬飼は再びケータイを耳に当てた。
「もしもし、ヒメちゃん、ですか?」
そうしてゆっくりゆっくりと始まった。織姫と彦星が、大鷹琴織と犬飼鷲彦になって、初めて出会ったのだ。川を挟んでいるとはいえ、こうして会話出来ている。俺には犬飼の声しか聴こえないが、すげぇじゃねえか。…………。
「なあ、拡声ボタン、押して貰ってもいいか?」
と言う訳で盗み聞きスタート。まあ二人の了承を得てるけどな、そんな気分だ。
「話さなきゃいけないことが、あるんだ」
『わたくしもヒコ君に言わなければならないことがあります』
「うん、聞きたいな……」
でも少し戸惑うような、躊躇うような顔を犬飼はしていた。俺は昨日聞いたけど、相当コンプレックスになってるみたいだし、言いにくいんだろう。それに先に言った方が大鷹が楽だろうか、逆だろうかと悩んでいるようにも見えた。
電話越しにもそれが丸わかりだったのか、それとも長年付き合ってきた独特の呼吸なのか。
『わたくしから言わせていただいても、よろしいでしょうか?』
「いい、の?」
『先に言って楽になりたいというわたくしの我が儘ですわ。聞いていただけますか?』
「ううん、我が儘なんかじゃないよ。ありがとう。聞かせて貰えるかな」
『はい』
その肯定をした時の大鷹の笑顔が見えた気がした。
それから話されたのは随分となめらかで、淀みない口調で語られる、大鷹の昔話だった。
平凡な、普通の人間に大鷹は生まれた。平穏な日々を生き、しかしある日吸血鬼に襲われ、必死に抵抗し、返り討ちにまでしたが吸血鬼にされてしまった。そんな話だ。
ずっと、犬飼に会ったら話そうと決めていたのではないだろうか。受け入れて貰えるか不安になりながらも、知って貰いたいからずっとどう話すか考えていた。そんな語り方だった。辛いはずなのにどこか嬉しそうで、不思議だった。
『わたくしは吸血鬼になってしまいました。それでも貴方の傍に居たいと願うことは赦されますか?』
「当たり、前だよぉ、決まってるよお……」
『ありがとう、ございます……』
安堵した声だった。大鷹も泣いているんだろう。二人とも声を震わせ、長年の不安を落とすようだった。
『じゃあ今度はヒコ君のお話、聞かせていただいても良いですか?』
「うん、聞いて欲しいんだ、謝らなきゃ、いけないんだ――」
――約束やぶって、ごめんなさい、ってぇ……。
声にならないけど、そう言っていた。犬飼は口を開く。喘ぐように、辛そうに息をして、それでも話そうとする。伝えたいから。どうしても伝えたい人だから。
「僕は、人間にすら生まれられなかったんだ……」
吐き出すように犬飼は話し出した。
「僕は黒い犬の妖怪として生まれたんだ。不吉の象徴で、出会った人を呪い殺すって言われてて、川も渡れなくて……」
『はい』
優しい相槌があって、犬飼は何とか言葉を続けた。今にも挫けてしまいそうなのに、大鷹の声がすると微かにだけど笑った。あいつにとって心底辛いと思いはずの話をしているのに笑える、その強さは何なんだろう。
「でも、それでも、ヒメちゃんには会いたかったんだ。だから人間に化けて、孤児院で何でもない顔をして育てて貰って、学校通って……」
そうやってチャンスを待っていたのだ。同じように育ち、学校に通い、穏やかな日常を過ごしているはずの大鷹に出会うために。違う生き物として生まれてしまったけれど会いたかったから同じステージに立とうと頑張ったのだこいつは。
単にたった一つの約束を叶えるためにだ。
「人間として、また一緒にいよって、約束したから。きっと会えるって、願って祈って!」
『はい、はい……』
「ずっと、会いたかったよ。今も、会いたいよぉ。でも……僕が、あ、ああ、あって、いいのかな? 会いたいなんて願っていいのかな、不幸にしちゃうだけかも、しれないのに――!」
『いいのですわ』
犬飼は大きく目を見開き、川の向こうの大鷹を見た。俺には見えない大鷹。なのに微笑んでいるとしか思えなかった。
『わたくしは穢れを負ってしまいました。わたくしが貴方を責められる訳がありません』
「でも、僕は違う、居るだけで不幸にしてしまうかもしれないのに……」
『それでも、そうだとしても、わたくしの我が儘を聞いてくださいませんか、ヒコ君。わたくしはどんなことがあろうと、ヒコ君と一緒に居たいのです。わたくしは』
「うん……」
『貴方の隣の、織姫であり続けたいのですわ』
「あり、がとぉ……」
泣いて泣いて泣いて。さめざめと泣く犬飼だが、必死に涙を拭いて、言葉を続ける。
「あのね、ヨウ君にも話したんだ。そしたら教えてくれた、善い黒い犬の伝承もあるから、って。溺れた子供を助けたやつもいるって。だから気にするなって……溺れちゃう僕が善いものだとは思えないけど――」
それで、救われた気がしたんだぁ……。
掠れた声で囁くように、祈るような小さな笑みを堪えて犬飼は言った。弱々しくも、大切な気持ちを包み込むように。
『そう。ありがとう、舟渡君』
「いーえ。つか悲嘆に暮れてるだけなんて嫌だっただけだ」
『ひねくれちゃって、可愛いわねえ』
「うるせー。イチャイチャ続けろよバーカ」
笑ってんじゃないよ犬飼。電話の向こうのお前もニヤニヤしてんじゃねえよな。俺はガシッと犬飼の頭を掴むと乱暴に言った。
「ほら本題入れ」
「……うんっ」
良い顔してんなぁ、と俺は目を細めた。さっきまでの弱々しさなんて信じられないくらいだ。ひっそりと、でも折れることなく真っ直ぐに太陽を目指して咲く向日葵のような笑顔だった。




