2.鬼なこいつ
「あら、落ち込んでいるの?」
「大鷹か……別にー」
「あっはっはっ、落ち込んでる舟渡君って面白いわー、レアよレア」
「うるせー! 落ち込んでる人間捕まえて面白いだあ? 鬼かあんたはあ!」
怒鳴り返すと俺は覗き込んでくる大鷹を振り払うように、顔を反らした。
「なにか悩んでいるの?」
「川を渡れねえ、って泣いてるやつに何て答えてやりゃいいのかわかんねえ……それだけだ」
川岸でふて腐れて座り込んでいる俺の隣に立つ女はどこかのブレザーを着ていた。長い髪は見事な黒で、切れ長の黒瞳によく合っている。大鷹琴織は何故かよくこの辺りをうろうろしているというだけで、どこに住んでるか、どの学校に通っているのかは全く知らない俺の謎の知り合いである。
でも昔は川の近くの林に座り込んでぼんやりしているか、辺りを散策しているだけだった。
でも川からは離れない。
なのに川には近づかない。
そんな妙なやつだった。俺と話すようになると段々水際に俺が居れば近付いてくるようになったが、一人で近づくことはしないようだ。行って川と林の間にある道路まで。全く変な女だ。
しかし変な女が何も言わなくなったのをいぶかしみ、俺は顔を上げた。
「おいどうかし……はい?」
何故か大鷹まで泣いていた。俺の頭は大パニックだ。訳がわからない理由が一日に二人も泣かすってどういうことだあ? タラシだなお前。って片方男! てかタラシちげぇえええ!
「ぬぉおおおおお!」
「っ、ひあ」
しゃっくりを無理矢理止められたみたいなリアクションをした大鷹は、目をぱちくりさせた。俺がいきなり叫び出したのに驚いたらしい。
「な、なによ」
「泣くなよ! てかせめて理由話せよ、訳わかんねえっての! なに、なんなの、犬飼の知り合いなの?」
「夫よ」
「そう夫、なるほど、そりゃよ……うええ!?」
「あんた、コメディアンでも……」
「目指してねえよ! てかはあ? はあぁあああ!? 夫! 夫だとお!」
俺が混乱して地面を叩いたり、無駄に叫んだりしてフラストレーションを発散している間に、大鷹はどんどん冷静な顔、いや、冷たい冷ややかな表情へと変貌していく。俺がぜえはあと荒い息をしていると。
「もう落ち着いたかしら?」
「あ、ああ……だからその目、やめねえ?」
「もうちょっとしたら検討してみるわ」
「あ、そう」
見下した感じ、やめて欲しい、切実に。
しかし。
「夫って……じゃお前妻なのか?」
「当たり前じゃない」
「制服着てるじゃん。お前いくつだよ?」
「女性に年齢を訊くの?」
「うっ、あ、いやでもよ……そう、そうだよ、あいつまだ十八なってねえだろ。無理じゃん」
そうだよそうだよ、と納得して落ち着こうとするが。
「日本生まれじゃないから平気よ。そもそも地球生まれじゃないし」
「お前ら何者だよっ!」
バシッィ、とツッコミ。なかなか上手く入ったな、と自画自賛していたら大鷹にくすりと笑われた。
「だからわたくしは織姫で、ヒコ君が彦星なのよ。おわかり?」
「わかるかあ!」
「まあ転生しているから実際ちょっと違うのだけれどね。でも魂は同じ、そして結婚しているのも魂だけよ。問題ないわ」
「はあ、そう」
なんかもう無茶苦茶だぞこれ。一体なんなんだこの状況。妖艶に微笑む織姫が目の前にいて。普段後ろの席でほえほえしてるのが彦星の生まれ変わりだあ?
一瞬で日常が非日常に早変わりじゃねえかチクショー。
「ならもういいよ、七夕と言わずいつでも会ってイチャイチャしてろよこんちくしょー」
「そんなこと言われても出来ないから困ってるんじゃないのあんちくしょー」
「……そう」
「……白けないでくださる?」
「……へい」
いきなり『あんちくしょー』だなんてキャラ合わねえー、とか思ってませんよ?
大鷹、改め、地上に降り立ったらしい織姫は深々とため息を吐いた。
「でもまさかヒコ君まで川を渡れないとはねぇ」
「そうだよ、それ、そこっ。どうして渡れねえんだよ。橋なんていくらでもあるだろ?」
「ねえ貴方。貴方は川を越えられない生き物をご存知かしら?」
「川を、越えられない生き物?」
つまり水が苦手ってことか? いやしかしこれって少なくとも大鷹に当てはまること、何だよな? え、人間じゃねえの? ちょっと待てよ、何か聞いたことあるぞ。水が苦手で、人間みたいに見えて、そんで。
有り得ない、存在しえないはずのそんざ、い?
ズサー、と俺は飛び退いた。大鷹から一気に距離を取る。口があんぐり開きっぱなしで、上げた右腕も震えまくっている。でも必死に伸ばした人差し指は真っ直ぐに大鷹を指し示していた。
「あら、意外と早かったわね。それに知っていること自体意外だわ。さあ、答え合わせをしましょ?」
にんまりと笑む大鷹。気が付けば俺は震える声で答えを紡いでいた。
「吸血、鬼」
「ご名答ですわ、舟渡揺君」
あまり生きた心地のしない笑顔だった。
「さあ悩みを知ったからには手伝ってくれるんでしょう、優しい優しい舟渡君?」
「いやぁ、あっはっは。俺には荷が重すぎるかなー」
「そんなことないわよ。最悪わたくしの非常食という名誉ある仕事があるわ」
「嫌ですから! てかなんでえ! なんで織姫が転生して吸血鬼!? 訳がわからんのですけど!」
バクンバクンとうるさい心臓を押さえ付けるように叫ぶと、大鷹は耳が痛いとばかりに目を細めた。
「失礼ね、元は人間よ。油断してたら吸血鬼に襲われちゃったのよ」
「な、なんで?」
「知らないわ。でも多分魂が他の人間と違っていたから、美味そうに見えたんじゃないの?」
不満そうに、どこか悲しげに腕を組み、顔を背ける大鷹。俺の目尻が下がる。
「何を悲しんでいます、って顔してるのよ。貴方は解決策を出してくれればいいのよ。ほら」
促されるまま考えるが……全くだ。そもそもさっきまで同じようなことを散々悩んでいた訳で。ろくな答えが出ないから落ち込んでいた訳だ。また追いたてられたって、あまり状況は変わっていないし、どうしていいのやら……。
「……もういいわ」
「あ……」
大鷹が歩き出す。俺も慌てて立ち上がるが、振り返ってももう大鷹の姿はなかった。
「吸血鬼、かぁ」
次会った時、どの面下げて話しゃあいいんだぁ……。
無力な俺は途方に暮れるしかない。




