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星揺星  作者: 逢河 奏
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1.犬なあいつ

「犬飼、お前さ」

「んんん、なぁになぁに?」

 くりくりとした、小型犬のようなあどけない瞳を向けて大きく首を傾ける少年、犬飼鷲彦(いぬかいわしひこ)を見て、俺は深い深いため息を吐いた。

「お前って……」

 犬飼、ってよりは犬そのものだよな、仕草とか、尻尾振ってそうな嬉しそうな顔とか、お手って言ったらやってくれる素直さというか忠実さとか。お前って犬だろ?

「……何でもない」

 何てこと、流石にたまたま同じ班になっただけのクラスメイトに言えるはずもなく、俺は顔を背けた。

 犬飼はなんだよー、言ってよー、気になるじゃないー、とまとわりついて来るが無視を決め込み、机に突っ込んでいた新聞を広げた。

「まぁた新聞。しかもまたその辺で拾ってきたんでしょ、多分北白鳥公園」

「うるせえやい。金がねえんだ、仕方ないだろ」

 バサバサと新聞を捲りながらぶつぶつと文句を返す。もーう、と頬を膨らませてご立腹な犬飼だが……いやなんでお前が怒ってるんだよ、てか毎度のことだがどうしてどこで調達したかわかるんだよ? まあもう散々ツッコンだから今更訊かねえけどよ。

「それ多分犬のおしっこかかってるよ」

「…………」

 丁度開いた面だけが黄色に滲んでいた。ご丁寧に中央のここだけが。てかつまりこのページだけ使って戻したのか。何故? 何故。何故にぃ!

「もっと早く言えやあ!」

 新聞紙を投げ捨て立ち上がる俺。

「だから言ってたでしょー? 拾ってくるのはよした方がいいって」

 特に自慢気ではないが、いつもの調子で返されたのが何だかムカツク。ふへへへ、と緩みきっただらしない顔で笑って安穏と見ている犬飼、という状況が自分でも理不尽だと思うが腹立つ!

「うがあああ――――てい!」

「ひゃん」

 デコピンを食らった犬飼は額を慌てて押さえた。

「痛いよぅ、ヨウ君のばかぁ~」

 ふん、と涙目の犬飼を見下ろして腕を組む俺。痛い視線が、犬飼を擁護する視線が突き刺さるが気にしない。非難の囁きや人でなしコールが聴こえるがあ。

「俺は気にしないのだふはははは」

「ヨウ君って、たまに悪役みたいだよね」

「俺は悪役で良いんだよ。正義なんてクソ食らえだ。ケッ」

「ガラ悪ぅーい」

「何だとお?」

 目を釣り上げて見せるが、犬飼はきゃはは、と笑うだけで逆に楽しそうだ。額はまだうっすら赤いというのに、もうさっきのことは忘れてしまったかのような能天気っぷり。

「お前さぁ」

「おお、さっきの? さっき言おうとしてたやつぅ?」

「…………」

 うれーしそうに振られる尻尾が見えた気がした。目をキラキラ輝かせて下から俺を覗き込んでくる犬飼にまた嘆息。そして渋々口を動かした。

「お前って、なんか大切なことも直ぐ忘れちまいそうだよなって。能天気だし、楽天家だし、なんつーか……悲劇似合わないだろな」

 ってなんで俺はこんなこと言ってんだ? と最後の方は自分で首を傾げてしまった。

「忘れないよー。現にさっきの会話忘れてなかったでしょっ?」

「でもデコピン忘れてねえか?」

「忘れてないよお! でもほら、嫌なことは後腐れなく早く忘れた方がいいでしょ?」

「そうかあ?」

「じゃあねちねち覚えていて怒った方がいいの? ねえいいの?」

「うえっ。いやそりゃあ……」

 でもなんか、嫌なことだと思ったのにあっさり忘れてへらへら笑ってるのってどうなんだろうかとか……いやこんなじゃれあいを延々引き摺られても困るけど……。

「まあ忘れてくれてた方が楽、かなぁ」

「そうでしょそうでしょっ」

 でも何故そこで笑顔になる。えへへっと、楽しげに嬉しげにどうして笑うんだよ。

「いぬか――」

「でもね」

 遮られ、俺はうっと言葉に詰まる。急に笑みの中に神妙さを潜ませた犬飼はあはっと笑った。

「絶対に忘れちゃいけない、違えちゃいけない約束は、あるんだよ」

「そりゃ……」

 何だよ、とは訊けず。訊かせないような笑顔だと感じて、俺は。

「良かったな」

 なんて間抜けな答えしか出せなかった。

「うんっ、ありがとう」

 相変わらず犬飼の笑顔は子犬のようで、眩しくてそして……。

「うわっ」

 くしゃっと撫でたくなるなぁ。

「やめてよぉヨウ君~」

「うるせえ」

「だって犬のおしっこ付いた新聞触って……」

 ピタッと俺は動きを止めると、ズサササ、と後退りした。

 ああ刺さる。刺さってくるぜ、痛い視線。今回は……無視できねえなあ。

 俺は。

「すんませんでしたっ!」

 その後、新聞の片付けと床掃除をさせられましたとさ。

 そして放課後。

 体育館の更衣室の窓からぶらんと手を垂らす俺と、隣で詫びの棒アイスを食べている犬飼がいた。

「はぁ、エライ目に合ったぜ」

「それはこっちの台詞だと思うんだよねー」

「へいへい、すいませんでしたー。アイス一本でどうか手打ちにー、平にー」

「気持ちがこもってない~」

 全くもう、と頬を膨らます犬飼をケラケラ笑う俺。直ぐに犬飼もつられて笑い出す。

「あーあ、ヨウ君のせいで教室追い出されちゃったじゃないかぁ」

「わりぃ。いやぁ、現代っ子の潔癖症には参るねー」

 あの後犬飼は同情されつつも体育館のシャワー室に行くようにと追い出され、俺は片付けを命じられてそれが終わると犬飼に着替え渡せと追い出されるし。六限後のSHRの時間待ちだったが、ゴタゴタしてる間にもう終わってしまっただろう。

「確かに。別に今すぐシャワー浴びなくても良かったのにね。ヨウ君だって、べったりおしっこつけてた訳じゃないのに」

 ぷくーとまた頬に空気を溜める犬飼。意外と不満たらたらだな。

「俺に怒ってるんじゃなかったのか?」

「ヨウ君はいいよ。謝ってくれたもん、直ぐに」

 ニカッと笑ってみせる犬飼は本当に気にしていないようでちょっと安心した。

「そうかい。そりゃ良かった。いや、助かる、かね」

 何となしに空を見上げる。七月の空はまだまだ明るい。そろそろ青春してるやつらが体育館に来るのかね、と憂鬱な気分になる。ふと、校庭の隅に竹が二、三本横倒しになっているのが見えた。

「そういや明日か」

「なにが?」

「七夕だよ七夕。ほれ」

 やる気なさげに竹を指差す。はっきり言って七夕なんてどうでも良いよな、と思いながらも何となく話題に上げてしまう。

「織姫と彦星だっけか。日本の風習ってむっちゃくちゃだよなぁ。二人が再会する、そりゃめでたい、じゃあお願い叶えてちょ、って、迷惑だろどう考えても。俺が彦星だったら喧嘩売ってんのか、って殴りかかるね絶対」

 うんうんと勝手に納得していると。

「そんなことないよ」

 犬飼がふやけた顔でのんびりと反論を口にした。

「きっと年に一度の幸せな日くらい、皆にも幸せになって欲しいなって思うんじゃないかな。それにヨウ君もそんなこと言わないよ、彦星だったとしても」

「そうかねぇ……」

 まあ楽しそうだからいっか、と思う。アイスを食べきった犬飼がゴミ箱に向かったので俺も窓から離れた。すると犬飼が背を向けたまま急にまた話し始めた。

「ねえ、一つ訊きたいことが、あるんだ」

「ん、なんだ?」

「もし、さあ」

「ああ」

 背中を向けた犬飼が小さく俯く。俺は首を傾げ、近付こうとするが、それを止めるようにいつもより強く張った声を犬飼が上げた。

「もし川を渡れない彦星が居たら、どうしたらいいかなっ」

「川を、渡れない彦星? 橋は?」

「橋もだめなんだ。でも川は渡りたいの」

「はぁ? そんなこと言ったらもう……川を埋めるっきゃなくね?」

「埋める!?」

 勢いよく振り返った犬飼は、何故か。

 泣いていた。

「ほんとにそんなこと出来るかなあ! ほんとにそれで、川の向こう行けるかなあ! ねえヨウ君!」

 掴みかかられ、半ば首を絞めるように迫られ、上手く答えられない。酸素が足らず、明滅する視界を振り払うように俺は必死に手を伸ばして――ペチン。

「い、いたあ……」

「ぐへっ、あ、あほかあ、絞め殺す気かよ。死ぬわ息出来なきゃ!」

「ご、ごめんなさい」

 しゅん、と沈む犬飼。やりにくいったらありゃしない。ええい。

「とにかくなんだ? 困ってんのか? 変なたとえ使わずとっとと相談しろよ」

「……えへへへ」

 照れたような嬉しそうな顔。なのにどうして悲しそうで泣きそうなんだ?

「やっぱりヨウ君は優しいや。でもごめんね」

「あ?」

「君には相談出来ないんだ」

「どういう意……待てよ、おい!」

 伸ばした手は届かず、駆けていく犬飼の背中を見送ることしか出来なかった。

「なんなんだよアイツ。どういう意味だよ……」

 言ってくんなきゃ、わかんねえだろうが。

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