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ごはん屋 なつこ  作者: K2MA


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10/12

第10話 銅像

 インターネットで一番恐ろしいものは何か。


 少なくとも俺にとっては、通知のアイコンだ。


 スマートフォンが震えた。画面を見る。見なかったことにする。三秒後、やっぱり見る。


『ぜひ弊社の生配信番組にご出演ください。あの切れ味をリアルタイムで!』


 やめてくれ。


 俺の名前は佐藤和也。三十二歳。無職。実家の二階、六畳の自室が生活のほぼすべてだ。


 働いたことがないわけではない。配送会社の事務、家電量販店、倉庫の管理補助。どれも仕事を覚える前に、人とのやり取りでつまずいた。


 上司の説明に分からないところがあっても、質問するタイミングがつかめない。会議で意見を求められると、頭の中にあった言葉が一斉に隠れる。


 業務連絡は全て筆談で済ませる法律でもできないだろうか。


 辞めた。再就職した。また辞めた。


 今は母が買ってきた菓子パンを食べながら、求人サイトを開いては閉じる毎日だ。


 なのに、ネットでは俺を『代弁者』と呼ぶ人がいる。


 しかも、かなり大勢いる。


     * * *


 発端は一年前だった。


 テレビでもよく見かける有名人が、ネットにある意見を投稿した。いつものように歯切れがよく、断言ばかりが並んでいた。


 俺が引っかかったのは、その人が説明の途中で、判断の基準をいつの間にか変えていたことだ。最初の基準のままでは、自分の主張が成り立たない。だから結論の手前で、別の基準に置き換えている。


 気持ち悪かった。


 俺はそれを短く投稿した。少し嫌みな気持ちがあったことは否定できない。どうせ誰にも読まれないと思っていた。


 ところが、数千件の批判の中から、本人が俺の投稿を取り上げた。


 名指しで反論された。


 なんで俺なんだよ。もっとひどいことを書いてる奴がいるだろう。


 削除しようか迷った。だが、反論を読むと、最初の引っかかりはむしろはっきりした。説明が増えているのに、肝心の基準の食い違いは残ったままだった。


 俺は原文を何度も読み返し、過去の発言も調べ、余計な感情を削って、もう一度説明した。


 送信ボタンを押すまで二時間かかった。


 やがて相手から返信が来た。


 訂正と謝罪だった。


 助かった。これで終わりだ。


 ところが、終わらなかった。


『あの人が謝ったの、初めて見たかも』

『あー、違和感の正体それか』

『言われてみればそうなんだけど、自分じゃ説明できなかった』

『この人、俺らの代弁者だわ』


 俺のアカウントに人が集まり始めた。


 数日後、別の有名人に絡まれた。


 無視するのも怖い。応じるのも怖い。だが、相手の投稿を読むと、また何かが引っかかった。今度は比較的すぐに違和感の正体が分かった。


 何度かやり取りしたところで、相手は話題を切り替えた。


『話そらして逃げたwダサいw』

『一番痛いとこをサクッと突くのすごい』

『やっぱ代弁者だわ』


 俺たちが言いたかったことを、代わりに言葉にしてくれる人。そういう意味らしい。


 勝手なことを言わないでほしい。俺は誰の代表でもない。違和感があれば、それがどこから来るのか考えてしまう。見つけたら書きたくなる。それだけだ。


 それからも、議論をふっかけられ続けた。返信までの時間はどんどん短くなったが、投稿直後の胃の痛さだけは変わらなかった。


 フォロワーは二十万人を超えた。


 テレビやネット番組からの出演依頼は、全部断った。


 俺は上司に「これ、どういう意味でしょうか」と質問するのにも一時間悩む男だ。カメラの前で遠慮なく言えるわけがない。


『ネット弁慶かもな』


 かもな、じゃない。そのとおりだ。


 そう思う一方で、別の書き込みに頬が緩んだ。


『出なくてもいいだろ。ここで決着ついてんだから』


 ……まあ、そういう人がいるなら、悪い気はしない。


 怖くなればアカウントを消せばいい、と何度も思った。


 でも、二十万人。


 誰にも見向きされなかった俺の言葉を、二十万人が読んでいる。


 失うには、惜しすぎた。


     * * *


 その日、俺は母に頼まれて郵便局まで出かけた。


 帰りに腹が減った。財布には千円札が二枚。たまには外で食べてもいいだろう。


 裏通りに、小さな看板があった。


『ごはん屋 なつこ』


 引き戸の向こうをのぞく。カウンターが六席ほどと、小さなテーブルが二つ。昼どきなのに客はいない。


 ありがたい。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの中から、女将が声をかけてきた。目が合う前に、俺は壁の品書きを見た。


「今日はカレーライスがおすすめですよ」


 顔を上げると、女将はこちらの返事を待っていた。


「あ、じ、じゃ、そ、それを」


 人は苦手だ。初対面の女性ならなおさらだ。


 それにしても、と俺は思った。


 メニューがあるのに、おすすめを言う。客に選ばせたいのか、選ばせたくないのか。どちらかが、どちらかを否定している。


 いや、待て。


 おすすめは、選ぶ手間を省くための親切だ。メニューは、それでも自分で選びたい客のためにある。否定し合っているのではない。二段構えだ。


 ……隙がない。


 それに、カレーは好きだ。問題ない。


 やがて、白い皿が目の前に置かれた。


「どうぞ、ごゆっくり」


 つやのある茶色いルーが、ご飯の片側にたっぷりとかかっていた。ごろりとしたじゃがいもとにんじん、ほどよく脂のある豚肉。玉ねぎはよく煮込まれて、縁のほうがほとんどルーと一体になっている。


 専門店のような飾りはない。家で作るカレーを、丁寧に仕上げたような一皿だった。


 一口食べた。


 うまい。


 まず玉ねぎの甘さがきた。続いて豚肉の旨みが広がり、少し遅れてほどよい辛さが追いかけてくる。じゃがいもはほくほくしているのに煮崩れておらず、にんじんも芯まで柔らかい。


 特別変わった味ではない。だからこそ、スプーンが止まらなかった。


 メニューとおすすめの関係について、気づけば考えるのをやめていた。


 家のカレーも好きだけど、これは少しだけ贅沢だな。


 大きめの豚肉を一切れ、ご飯に乗せる。立ちのぼる匂いだけは、家の台所の匂いとよく似ていた。


 ルーの艶が、光った。


 光源がない。カレーが光る理由が――


 考え終わる前に、光は視界を覆っていた。


――佐藤千紗の記憶――


 お母さんに手を引かれて、図書館の前に来ている。


 人がたくさんいて、花がいっぱい置いてあった。


 その真ん中に、男の人の銅像が立っていた。


 背筋を伸ばして、胸を張って、遠くを見ている。偉い人の顔だ。


 台のところに難しい字がたくさん書いてある。


 でも、名前なら読めた。


 佐藤和也。


 お父さんと同じだ。


「ねえ、お母さん。これ、誰?」

「誰だと思う?」

「知らない人!」


 お母さんが、おかしそうに私の手を揺らした。


「お父さんだよ」

「うそ!」

「本当よ。町の人たちが建ててくれたの」


 もう一度、銅像を見た。


 お父さんは、知らない人が来ると別の部屋へ逃げる。


 たまに、私からも逃げる。


 お母さんからも逃げる。


 こんなふうに胸を張っているところなんて、見たことがない。


「全然似てない」


 お母さんは、周りの人が振り向くくらいの声で笑った。


「帰ったら、カレーだからね。お父さんが作って待ってるって」


 お父さんのカレーは、おばあちゃんのと同じ味がする。


 だから、銅像より、そっちのほうがいい。


 お母さんの笑い声が、白く遠のいた。


 顔を上げると、女将がこちらを見ていた。


「辛すぎました?」

「い、い。お、おいし、す」


 いつも以上に喋れていない気がしたが、どうでも良かった。


 何なんだ、今のは。


 図書館。銅像。佐藤和也。


 あんな偉そうな顔をした男が、俺だって?


 同姓同名だろう、と思いたかった。だが、女の子は明らかに父親の話をしていた。目線の高さも、お母さんの手の温かさも、妙にはっきり残っている。


 何より、銅像の顔立ちは、鏡で見る俺の顔とそっくりだった。


 ということは、あの子は俺の娘なのか。


 結婚? 俺が? まさか。


 そして、銅像だ。


 ネットで目立つだけでも恐ろしいのに、銅像になんかなったらどうする。知らない人に毎日顔を見られる。写真を撮られる。小学校で、あの立派な人物を見習いましょう、などと言われるかもしれない。


 無理だ。


 だいたい、あの表情が気に入らない。俺はあんな顔をしたことがない。


 残りのカレーを食べるあいだ、また白い光が来ないか気になって仕方がなかった。


 何も起こらなかった。カレーは最後までおいしかった。


「ありがとうございました。またどうぞ」


 女将は変わらぬ様子だった。


 俺は、白い光と女将の間に矛盾がないか探した。見つからない。この人はたぶん、本当にカレーを作っているだけだ。


 ……隙がない。


 俺だけが、おかしなものを見てしまったらしい。


     * * *


 帰宅して、真っ先に自分のアカウントを開いた。


 あれが本当の未来だとしても、原因はきっとネットの人気だ。


 人気がなくなればいい。


 方法は簡単だ。俺が立派な人間ではないと知ってもらえばいい。


 まずは無職だと公表した。実家暮らしの三十二歳。働いても、人とうまく話せなくてすぐ辞めてしまう。職場で何が怖かったのか。なぜ質問も相談もできずに追い詰められるのか。ネットでは矛盾を見つけられるのに、対面ではなぜ黙ってしまうのか。


 全部、正直に書いた。


 さあ、どうだ。


『代弁者w無職なのかよw』

『勝手に有能な会社員を想像してたわ』

『こいつには「働いてから言え」で全部勝てる』

『無職って話と、議論の中身は関係ない』


 いいぞ。最後は余計だが、全体としては悪くない。


 フォロワーが三十人くらい減っていた。


 久しぶりに安心して眠れた。


 翌朝、三千人増えていた。


「は?」


 騒ぎの中心が変わっていた。


『質問できなくなる心理の説明、的確すぎる』

『指示する側は黙ってる人を「分かってる」と思いがちなんだよな』

『うちの新人が急に辞めた理由、もしかしてこれか』

『無職なのに職場のことに詳しいの何なん』


 俺は最後の書き込みを二度読んだ。


 無職だから詳しいんだ。辞める側の専門家だ。


 無職だと告白したんだぞ。


 もっと呆れてくれ。


 昔から俺を追っていた人の中には、離れていく人もいた。


『レスバが見たかったんだけど』

『前と別のアカウントみたい』


 これだ。こういうのを待っていた。


 ところが、その投稿に新しい人たちが反応していた。


『昔は知らないけど、今の投稿は結構読む』

『この人のこと、別に好きじゃない。でも自分でも説明できない感覚を言い当てられると気になる』


 フォロワーは、差し引きで増えていた。


 人気の種類を変えてどうする。


 人気そのものをなくしたいんだ。


     * * *


 母から就職の話をされたのは、そんな頃だった。


「和也、そろそろ何か考えてるの?」

「……考えてる」

「そう」


 それだけだった。


 俺は妙に腹が立った。


 小言を言われたわけでもないのに、責められた気がした。かといって、何も言われないのも居心地が悪い。母が悪いわけではない。分かっているから、なおさら腹が立つ。


 部屋に戻り、扉をわざと大きな音を立てて閉めた。


 そして、その気持ちを投稿した。


 母の何気ない質問を、自分で勝手に非難へ変換してしまうこと。何も言われなくても肩身が狭いこと。その息苦しさを、母の態度のせいにしたくなること。


 母親に八つ当たりする無職の三十二歳。


 こんな息子が、銅像になるわけがない。


『いや、それはお母さんかわいそうだわ』

『俺も実家にいたときそうだった。言われてないことまで言われたと思い込んじゃう』

『娘に言われて車手放したおっさんだけど、親のほうも、言われたことちゃんと聞けてないことあるよ』

『親になってから読むと、ちょっと刺さる』


 俺の投稿をきっかけに、親子の距離感についての議論が始まった。俺を知らなかった親世代にまで広がっている。


 フォロワーは、なぜか増えていた。


 やめてくれ。


「和也ー。洗濯物、取り込んでー」


 階下から声がした。


 取り込んだ洗濯物の中には、俺の靴下が四足あった。


 情けなさなら、まだまだある。


 だが、もう投稿するのはやめようと思った。


     * * *


 二週間、何も書かなかった。


 通知が減った。俺についての話題も少なくなった。


 フォロワーは、何もしなければ増えない。


 それでいい。銅像にならずに済む。


 そう思っているのに、一日に何度も画面を開いた。


 十二日目には、とうとう古い投稿への反応まで見にいった。


 十三日目、少し前の論争が別の場所で話題になっていた。俺の名前はほとんど出ていなかった。


 寂しかった。


 何が寂しいんだ。


 十四日目、我慢できなくなった。


 人目につくのが怖くて黙っていたのに、誰にも見られなくなった途端、自分の存在が薄くなったように感じる。その落ち着かなさについて書いた。


 送信して三秒後、後悔した。


 夕方には、また通知が三桁になっていた。


『生存確認』

『二週間、毎日見に来てた』

『これ読んで「ああ、それで俺は通知切れないのか」ってなった』


 俺は設定画面を開いた。


 アカウントの削除まで進んだ。これまでの投稿やフォロワーとのつながりが失われます、と書いてある。


 指が止まった。


 三十万人以上。


 しかも、まだ増えている。


 俺は設定画面を閉じた。


 くそっ。


     * * *


 出版社の編集者からダイレクトメッセージが届いたのは、その翌日だった。


 これまでの投稿を読んでいて、ぜひ書籍を出してほしいという。


 俺はすぐに断った。


 本なんか出せば、もっと有名になる。あの銅像に一歩近づく。


 翌日、長い返信が来た。要約するとこうだ。


『そこをなんとか』


 企画の説明が添えてあった。出版社側で国内外の問題や議論を選び、資料を用意する。俺には、それを読んで感じた違和感や、見落とされている点を言葉にしてほしい。何でも知っている人を探しているのではない。必要なのは、俺の見方だという。


 末尾に、条件が書いてあった。


 初版二万部を想定。定価は千六百円程度。印税率は十パーセント。


 頭の中で計算した。


 三百二十万円。


 ……えっ。


 電卓を開いた。


 やっぱり、三百二十万円。


 俺は六畳の部屋を見回した。十年以上使っている机。座面がすり切れた椅子。最近、パソコンのファンが妙な音を立てる。


 いや、駄目だ。


 銅像になる。


 画面を閉じた。


 十分後に、また開いた。


 何度読んでも条件は変わらない。


 念のため出版社の公式サイトを確認した。担当者の名前も調べた。詐欺ではなさそうだ。


 顔を出さなければいけないのか。そこだけでも聞いておこう。


 返事はすぐ来た。打ち合わせはメール中心で構わない。取材やイベント出演は必須ではない。著者名についても相談できるという。


 安心した。


 いや、何を安心しているんだ。断るんだろうが。


 俺は契約の細かい条件についても質問した。編集者は丁寧に答えてくれた。やり取りを重ねるうちに、話はどんどん具体的になっていった。


 気づくと、俺は添付された契約書を読んでいた。


 まずい。


 銅像だぞ。あんなふうに、胸を張った銅像だぞ。


 俺は目を閉じた。


 三百二十万円。


 目を開けた。


 承諾の返事を送った。


     * * *


 一度だけ、会うことになった。原稿の最後の確認だけは、紙を前にしたほうが早いと言われたのだ。


 駅前の喫茶店に、約束の十五分前に着いた。


 五分前に、編集者が来た。俺より少し年下に見える女性だった。


 立ち上がった。挨拶をしなければならない。


「あ、さ、佐藤、で、です、その、こ、このたびは」


 言葉が、一斉に隠れた。


 彼女は鞄から原稿の束を出し、テーブルに置いた。


「三章の二つ目の論点なんですが。ここ、基準が途中で入れ替わっているのは、引用元のほうですか、それとも私の要約のほうですか」


 原稿を見た。


「……要約のほうです。元の発言では、最初から最後まで同じ基準で話しています」


「やっぱり。直します」


 彼女は赤ペンで線を引き、次の頁をめくった。


 二時間が過ぎていた。


 言いかけた挨拶の続きは、言わずに済んだ。


     * * *


 それから二十数年がたった。


 本は売れた。


 予想外に売れた。


 一冊目の発売日、駅前の書店をのぞいた。入口の平台に、俺の本が積んであった。手書きのポップに『あの代弁者、ついに書籍化』とある。


 学生らしい二人組が一冊ずつ手に取り、そのままレジへ向かった。


 俺は雑誌の棚の陰で、二人が出ていくまで動けなかった。


 一週間後、重版の連絡が来た。


 一冊目が売れて二冊目の依頼が来て、二冊目も売れた。いつの間にか外国語に翻訳され、知らない国の出版社からも連絡が来るようになった。


 俺は毎回、資料を読み、引っかかったところを確かめ、自分の考えを書いた。分からないものは分からないと書いた。


 取材依頼は、全て断った。


 授賞式も欠席した。


 講演会の招待状を読むだけで、今でも胃が痛くなる。


 仕事は主にメールで済ませた。編集者とは何度か会ったが、何度会っても最初の挨拶だけは上手く喋れなかった。


 彼女はそのたびに、あの喫茶店の日と同じように、挨拶を飛ばして本題から話してくれた。


 十年ほど経った頃、俺は打ち合わせから帰って、長いメールを書いた。送信ボタンを押すまで、二時間かかった。返事は三分で来た。


 翌年、俺たちは結婚した。


 本を読んでもらえるのはありがたい。でも、俺の顔まで見に来なくていい。


 両親には広い家を贈った。


 引っ越しの荷物を運び出していたとき、母の本棚から、俺の一冊目が出てきた。


 ページの端から、付箋がびっしりはみ出していた。


 母は台所で、別の箱に皿を詰めていた。


 俺は本を段ボールに戻し、蓋を閉めた。


 税金も、多額に納めることになった。


 こんな俺にも、娘が出来た。


 ある日、市から連絡が来た。


 市立図書館の前に、俺の銅像を建てたいという。広場には、市が輩出した著名人の銅像が並んでいるのだ。


 断った。


 当然だ。


 すると、辞退したことが報じられた。


『本人が嫌がってるならやめたほうがいい』

『たくさん税金払ったんだろうし、銅像くらいいいだろ』

『銅像で初めて顔がわかるってすごい』

『相変わらず表に出ない人だな』


 また話題になった。


 市の担当者は丁寧だった。地域から要望が寄せられていることも、反対意見があることも、隠さず伝えてくれた。本人が望まないなら中止する、とも。


 それを読むと、今度は断るのが怖くなった。


 知らない人たちが準備したものを、俺の一言で取りやめにする。そう考えるだけで、胸が苦しくなる。


 中止してください、と打っては消した。


 どうぞご自由に、と打っては消した。


 何日も迷った末に、俺は後者を送ってしまった。


 いちばん送ってはいけない返事だった。


 ただし、条件はつけた。除幕式には出ない。取材には応じない。顔の確認も、なるべく最小限にしてほしい。


 そして今日、俺の銅像が建った。


 俺は自宅の六畳の仕事部屋で、中継を見ていた。台所の鍋には、二人が帰ってくる頃に温め直すカレーが入っている。昔の実家とは違う家だが、部屋の広さだけは変わらない。このくらいが落ち着く。


 図書館前には、思ったより大勢の人が集まっていた。


 白い布が外される。


 背筋を伸ばし、胸を張り、遠くを見つめる男が現れた。


 あの日、カレーを食べながら見た男だ。


 立派な顔をしている。


 腹が立つほど立派な顔だ。


 銅像の右手は、胸の前で固く握られていた。


 俺は人前で、ポケットから手を出したことがほとんどない。


 台座に刻まれた名前も、間違いなかった。


 佐藤和也。


 スマートフォンが震えた。


 妻から写真が届いた。銅像を見上げる娘の後ろ姿。足元の花束。そして、短いメッセージ。


『千紗が、全然似てないって』


 俺は画面を見つめた。


 そのとおりだ。


 全然似てない。


 中継では、来賓が銅像を挟んで記念写真を撮り始めた。


 俺は音量を下げた。


 通知の数字が、また増えている。


 見たくない。


 でも、気になる。


 俺はスマートフォンを手に取った。


 ……ちょっとだけ。


         ――了――


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