第9話「46歳のおじさん、騎士団の訓練で死にかける」
「……百本勝負って、普通に考えておかしくない?」
俺は冒険者ギルドの廊下を歩きながら、思わずつぶやいた。
王国騎士団長セリス・ヴァルハイト。
29歳。
王国最強クラスの女騎士。
そして、理想の結婚相手は自分より強い男性。
そんな彼女から、なぜか剣術指導を受けることになりかけた。
……いや、正確には、俺が必死に交渉して見学だけにしてもらったんだけど。
ちなみに俺は戦闘能力は、ほぼゼロ。
筋力9。
敏捷6。
たぶん、この世界の一般人より弱い。
そんな俺が騎士団の訓練に参加したら、どうなるか。
……考えるまでもない。
「……絶対、死ぬよなぁ」
『――おじさん、大丈夫ですか?』
足元のミドリが心配そうに跳ねた。
「大丈夫じゃないかもしれないねぇ」
『――じゃあ、行かなければいいのでは?』
「……正論すぎる」
スライムに正論を言われる46歳。
なんとも情けない話である。
◇◆◇
「……ナリタ様!」
受付に戻ると、リリアがこちらに気づいて手を振った。
「お疲れさまです、リリアさん」
「……お、お疲れさまです……!」
昨日までの彼女なら、きっと目も合わせられなかっただろう。
だが、今は少しだけ自然に話せている。
……うん。
いい変化だ。
「そういえば、冒険者登録がまだでしたね」
「……あっ! そ、そうでした……!」
リリアが慌てて書類を取り出した。
「……す、すみません……! すっかり……」
「いえいえ。こちらこそ、いろいろ話し込んじゃいましたから」
俺は笑った。
そう。
俺は冒険者登録をしに来たのだ。
なのに、エルフの恋愛相談。
女騎士団長の婚活相談。
そして、なぜか明日の騎士団見学。
……本来の目的を忘れかけていた。
「……では、こちらに……お名前と年齢を……」
「はい」
俺は書類に記入した。
名前:成田和彦。
年齢:46歳。
職業:元婚活アドバイザー。
……うん。
異世界の冒険者登録書類に『婚活アドバイザー』って書く人、俺が初めてじゃない?
「……ナリタ様……」
「はい?」
「……この……『婚活アドバイザー』というのは……?」
「ああ、結婚したい人の相談に乗ったり、相性の良い相手を紹介したりする仕事です」
「……なるほど……」
リリアは少し考えた。
「……では……職業欄には……『相談員』と……記入しておきますね……」
「……お願いします」
まあ、間違ってはいない。
こうして俺は、無事に冒険者登録を済ませた。
登録証は、銅色の小さなプレートだった。
【冒険者登録完了】
名前:成田和彦
年齢:46歳
ランク:F
職業:相談員
……職業、相談員。
なんか、冒険者っぽくないなぁ。
でも、まあいいか。
◇◆◇
「……ちなみに、リリアさん」
「……はい?」
「この街で、安く泊まれる宿ってありますか?」
俺が尋ねると、リリアは少し考えた。
「……ギルドの近くに……『月見亭』という宿があります……」
「月見亭!」
いい名前だ。
いかにもファンタジー世界の宿屋って感じがする。
「……一泊、銀貨二枚で……朝食付きです……」
「……なるほど」
俺は懐の袋を確認した。
セリスからもらった銀貨十枚。
一泊二枚。
……五泊分か。
いや、食費も考えると、そんなに余裕はない。
現実世界でも家計簿をつけていた身としては、少し不安になる。
「……ありがとうございます。行ってみます」
「……はい! お気をつけて……!」
リリアが微笑んだ。
俺は軽く手を振り、ギルドを後にした。
◇◆◇
宿屋『月見亭』は、ギルドから歩いて五分ほどの場所にあった。
木造二階建て。
入口には月の形をした看板。
そして、店内からは温かい料理の匂いが漂っている。
「……おお」
俺は思わず感動した。
異世界の宿屋!
ゲームで何度も泊まったことがある!
……いや、ゲームの中では、だけど。
「いらっしゃい!」
中に入ると、恰幅のいい女性が迎えてくれた。
「泊まりかい?」
「はい。一泊お願いできますか?」
「銀貨二枚だよ。朝食付き!」
「お願いします」
俺は銀貨を二枚渡した。
残り八枚。
……よし。
とりあえず、今夜は屋根のある場所で眠れそうだ。
部屋は小さかったが、清潔だった。
木製のベッド。
小さな机。
窓からは街並みが見える。
「……ふう」
俺はベッドに腰掛けた。
ようやく一息つけた。
異世界に来てから、ずっと慌ただしかった。
女神に会って。
スライムと仲良くなって。
エルフの恋愛相談に乗って。
騎士団長の婚活相談に乗って。
……そして、今は宿屋。
「……なんか、濃い一日だったなぁ」
『――おじさん、お疲れさまです!』
ミドリがベッドの上に跳ねた。
「ありがとう、ミドリ」
俺は笑った。
そして、胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には、美咲から届いた最後のメッセージが残っていた。
『あと、結衣の塾代、今月から上がったから』
「……美咲」
俺は小さくつぶやいた。
あの時は、また出費が増えるのかと、ため息をついた。
だけど今は。
そんな何気ないやり取りさえ、たまらなく懐かしい。
結衣は、ちゃんと塾に通えているだろうか。
悠斗は、学校で元気にやっているだろうか。
そして、美咲は。
俺がいなくなった家で、一人で無理をしていないだろうか。
「……絶対、帰るからな」
俺はスマートフォンを握りしめた。
住宅ローンも、子供たちの学費も。
まだまだ俺が頑張らなきゃいけないことは、山ほどある。
それに何より。
もう一度、家族に会いたい。
だから、必ず帰る。
たとえ、ここが剣と魔法の異世界だったとしても。
そのためにも、まずは生き延びなければ。
……明日の騎士団見学で死んでる場合じゃない。
◇◆◇
翌朝。
「……うわぁ」
俺は騎士団の訓練場を見て、思わず声を漏らした。
広大な敷地。
整列した騎士たち。
響き渡る掛け声。
そして、木剣がぶつかり合う音。
カン! カン! カン!
……すげぇ。
完全にファンタジー世界の騎士団だ。
オタクとしては、テンションが上がる。
……ただし。
「……あの人たち、全員強そうだなぁ」
『――おじさん、弱そうですもんね!』
「……ミドリ、そこは言わなくていい」
スライムにまで弱い認定される46歳。
悲しい。
「……成田!」
突然、聞き覚えのある声が響いた。
振り向くと、セリスがこちらに歩いてきた。
赤い髪。
銀色の鎧。
そして、堂々とした立ち姿。
「よく来たな!」
「……お、おはようございます」
「さあ、早速始めよう!」
「……え?」
俺は固まった。
「……始めるって、何を?」
「訓練に決まっているだろう!」
「……いやいやいや!」
俺は慌てて手を振った。
「見学だけって話でしたよね!?」
「うむ。だから、まずは軽く体験してもらおうと思ってな!」
「……それ、見学じゃないですよね!?」
セリスは不思議そうに首を傾げた。
「……そうか?」
「そうです!」
……ダメだ。
この人、完全に脳筋だ。
◇◆◇
「では、まずは木剣を持ってみろ」
「……は、はい」
俺は恐る恐る木剣を受け取った。
……重い。
いや、実際にはそこまで重くないのかもしれない。
だが、普段パソコンのキーボードしか叩いていない46歳には、十分すぎる重量だ。
「……では、構えてみろ」
「……こうですか?」
俺は見よう見まねで木剣を構えた。
セリスは腕を組んで俺を見た。
「……ふむ」
「……どうでしょう?」
「……ひどいな」
「……ですよねぇ」
わかってました。
そんなこと、最初からわかってましたよ。
「だが、問題ない!」
「……え?」
「誰でも最初は初心者だ!」
セリスは満面の笑みを浮かべた。
「では、私が手本を見せよう!」
そう言うと、彼女は木剣を構えた。
そして。
――ブンッ!!
「……うおっ!?」
空気が震えた。
いや、比喩じゃない。
本当に風が巻き起こったのだ。
セリスの木剣が振り下ろされた瞬間、地面の砂が舞い上がった。
「……いやいやいや!」
俺は思わず後ずさった。
「それ、人間が出していい音じゃないですよ!?」
「……そうか?」
「そうです!」
……怖い。
この人、本当に怖い。
「では、成田。次は貴様の番だ」
「……え?」
「私に向かって打ち込んでこい」
「……いや、無理ですって!」
「遠慮するな!」
「遠慮じゃないです!」
俺は必死に訴えた。
だが、セリスは笑顔のまま動かない。
……仕方ない。
軽く振るだけなら大丈夫だろう。
俺は木剣を持ち上げた。
そして。
「……えいっ!」
へなちょこな一撃。
セリスは片手で軽々と受け止めた。
「……ふむ」
「……どうでしょう?」
「……やはり、ひどいな」
「……知ってます」
俺は肩を落とした。
その時だった。
「……団長!」
訓練場の奥から、一人の若い騎士が駆け寄ってきた。
「……どうした?」
「……また、第三小隊で揉め事が起きています!」
「……何?」
セリスの表情が変わった。
「……またか」
俺は思わず顔を上げた。
……揉め事?
どうやら、騎士団にも人間関係の問題があるらしい。
「……成田」
「……はい?」
「少し付き合ってもらえるか?」
「……え?」
「どうやら、貴様の得意分野のようだ」
セリスは意味ありげに笑った。
……ああ。
なるほど。
ようやく、俺の出番か。
剣では役に立たない。
魔法も使えない。
でも。
人の話を聞くことなら、少しは自信がある。
「……わかりました」
俺は木剣を置いた。
「お話だけなら、喜んで」
こうして。
異世界に転生した46歳のおじさんは、王国騎士団の人間関係トラブルに巻き込まれることになった。
……いや、だから。
俺、婚活アドバイザーなんだけどなぁ。
――第9話・完――
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