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第34話 スライムの案内の先に、三百年前の印がありました

『――おじさん! こっちです!』


「ちょっと待って、ミドリ。そんなに速く進まれると……」


 俺は木の根につまずきかけ、慌てて近くの幹に手をついた。


 ……危なかった。


 冒険者ランクFに、森の中での全力疾走を求めないでほしい。


『――おじさん、遅いです!』


「四十六歳の足腰を甘く見ないでほしいなぁ」


『――甘く見てません! 心配してます!』


「それなら、もう少しゆっくり歩いてくれると助かるんだけど」


『――わかりました!』


 ミドリは元気よく返事をすると、今度は俺の足元でぴょこぴょこと跳ね始めた。


 ……うん。


 それはそれで、踏んでしまいそうで怖い。


 昨日、王宮で見た古い交易地図。


 そこに描かれていた、二つの円が重なったような紋様。


 ミドリが「森で見たことがある」と言い出したのは、宿へ戻った直後だった。


 それなら、現地を確認してみよう。


 そういう話になったわけだが……。


「……本当に、この森で合ってるの?」


『――たぶん!』


「たぶんかぁ」


『――でも、見たことがある気がするんです!』


「うん。わかった。焦らず探そう」


 記憶というのは、無理に引っ張り出そうとしても、かえって曖昧になることがある。


 前の仕事でも、相談者が大切なことを思い出そうとして、言葉に詰まる場面は何度もあった。


 そういう時は、急かさない。


 本人のペースで話してもらう。


 ……まあ、今回は話す相手がスライムなんだけど。


 ◇◆◇


 森へ入る前に、俺たちは騎士団へ届けを出していた。


 同行しているのは、セリスさんと騎士二人。


 古い誓約に関係する可能性がある以上、俺とミドリだけで調べるわけにはいかない。


「成田さん、足元にお気をつけください」


「ありがとうございます。正直、もう少し平坦な道だと思ってました」


「この辺りは、古い獣道が多いんです」


「……なるほど」


 セリスさんは、慣れた足取りで先へ進んでいく。


 俺とは、足の運びが根本的に違う。


 ……同じ人間なのに、どうしてこうも違うんだろう。


『――おじさん!』


「ん?」


『――セリスさんは、歩くのが上手ですね!』


「うん。俺もそう思う」


『――おじさんは、転ぶのが上手です!』


「それ、褒めてないよね!?」


 セリスさんが、少しだけ笑った。


 ……まあ、場が和むならいいか。


 ◇◆◇


 しばらく進むと、森の景色が少し変わった。


 背の高い木々の間に、古い石が点々と転がっている。


 自然にできたものではなさそうだ。


「……この辺り、何か建物があったんでしょうか」


 俺が尋ねると、セリスさんは周囲を見渡した。


「可能性はあります。古い街道の跡かもしれません」


「街道?」


「はい。今の主要な道が整備される前は、森の中を通る道もあったと聞いています」


 ……なるほど。


 三百年前の交易地図。


 消えた集落。


 古い道。


 少しずつ、話がつながってきた気がする。


 ただ、まだ偶然の範囲かもしれない。


 決めつけるのは早い。


『――あっ!』


 突然、ミドリが声を上げた。


『――こっちです!』


 ミドリは木々の間へ飛び込んでいった。


「ミドリ! 待って!」


 俺たちは慌ててあとを追った。


 ◇◆◇


 そこには、小さな石の台座があった。


 苔に覆われ、半分ほど地面に埋まっている。


 台座の表面には、かすれた紋様が刻まれていた。


 二つの円が、少しずれて重なっている。


「……これか」


 俺は思わず呟いた。


 王宮で見た地図の印と、よく似ている。


『――そうです! これです!』


 ミドリが嬉しそうに跳ねた。


『――前に、ここで休んだことがあるんです!』


「そうだったんだ」


『――はい! この石、ひんやりして気持ちいいんですよ!』


「……休憩場所として覚えてたんだね」


『――はい!』


 ……なるほど。


 古代の謎を解く手がかりが、スライムのお気に入りの休憩場所だったとは。


 人生、何が役に立つかわからない。


 セリスさんが台座に近づき、慎重に紋様を確認した。


「確かに、よく似ていますね」


「同じものなんでしょうか」


「断定はできません。ですが、調べる価値はあります」


 セリスさんは同行の騎士に指示を出し、台座の位置と形状を記録させた。


 俺は少し離れた場所から、その様子を見守った。


 ……専門家に任せるべきところは、任せる。


 無理に手を出して壊したら大変だからな。


 ◇◆◇


「……ん?」


 台座の裏側を調べていた騎士が、声を上げた。


「セリス隊長。こちらに、文字らしきものがあります」


「文字?」


 俺たちも近づいた。


 苔を慎重に取り除くと、細い線が浮かび上がった。


 古い文字が、何行か刻まれている。


 ただし、かなり風化していて、読めない部分も多い。


「……これは、古代王国語でしょうか」


 セリスさんが呟いた。


「王女殿下なら、読めるかもしれませんね」


「そうですね」


 俺は頷いた。


 ……王女様、喜ぶだろうなぁ。


 いや、喜んでいい状況なのかはわからないけど。


 その時。


『――おじさん』


 ミドリが、小さな声で呼びかけてきた。


「どうしたの?」


『――この石、前はこんなに光ってなかったと思います』


「……光?」


 俺は台座を見た。


 ……確かに。


 紋様の溝の奥に、かすかな青白い光が見える。


 さっきまでは気づかなかった。


「セリスさん。これ……」


「……はい。私も今、気づきました」


 セリスさんが、すぐに騎士たちへ指示を出した。


「全員、少し離れてください。不用意に触れないように」


 俺たちは、台座から距離を取った。


 ……うん。


 こういう時は、慎重に行こう。


 Fランク冒険者が、古代の魔法装置に突撃していい理由は一つもない。


 ◇◆◇


 しばらく様子を見たが、台座に大きな変化はなかった。


 光は、かすかに明滅しているだけだ。


「……魔力反応でしょうか」


 セリスさんが呟く。


「可能性はありますが、私には判断できません」


「王宮の魔法研究者に見てもらうしかないですね」


「はい。今日は位置の確認と記録だけにしましょう」


 ……よかった。


 正直、俺もそれがいいと思う。


 未知の装置を見つけたからといって、すぐに動かしていいわけじゃない。


 まして、王宮では古い魔法印章が消えた事件まで起きている。


 慎重すぎるくらいで、ちょうどいい。


 その時だった。


『――おじさん!』


「ん?」


『――あそこにも、何かあります!』


 ミドリが、台座の少し奥を指した。


 木の根の間に、小さな石板が埋まっている。


 表面には、細い線がいくつも刻まれていた。


 セリスさんが慎重に近づき、周囲の土を少し払った。


「……これは」


 石板には、いくつかの地名らしき文字と、道を示す線が描かれていた。


 まるで、小さな地図のようだった。


「古い道の案内板でしょうか」


 俺が尋ねると、セリスさんは頷いた。


「その可能性があります」


 ただし、文字はほとんど読めない。


 俺には、何が書かれているのかさっぱりだった。


 ……こういう時、王女様が一緒だったらなぁ。


 そう思った瞬間。


 俺は、ふと気づいた。


「セリスさん」


「はい?」


「この石板の線、昨日の地図と比べられませんか?」


「……なるほど」


 セリスさんの表情が変わった。


「確かに、道の形が一致するかもしれません」


 ……よし。


 少なくとも、調べる方向は見えた。


 ◇◆◇


 帰り道。


 俺たちは、見つけた台座と石板の位置を記録し、王宮へ戻ることにした。


 古い装置らしきものは、そのまま残してある。


 不用意に持ち帰るわけにはいかない。


「ミドリ、ありがとう。よく思い出してくれたね」


『――えへへ!』


 ミドリが嬉しそうに揺れた。


『――わたし、役に立ちましたか?』


「もちろん。大助かりだよ」


『――じゃあ、パンください!』


「……結局、それかぁ」


『――お仕事したら、ごほうびです!』


「はいはい。帰ったら買おうね」


『――やったー!』


 ……まったく。


 でも、今日は本当に助かった。


 ミドリがいなければ、あの台座は見つからなかったかもしれない。


 ◇◆◇


 王宮へ戻ると、エレノア王女が資料室で待っていた。


「成田さん。何かわかりましたか?」


「はい。森の中で、地図と似た紋様のある台座を見つけました」


「本当ですか!?」


 王女が、思わず立ち上がった。


「それに、古い文字が刻まれた石板もありました」


「ぜひ、記録を見せてください!」


 ……うん。


 予想通りの反応だ。


 セリスさんが、騎士たちの描き取った紋様と石板の写しを広げた。


 エレノア王女は、真剣な表情でそれを見つめる。


 そして。


「……これは」


 王女の手が止まった。


「何かわかりました?」


 俺が尋ねると、王女はゆっくり顔を上げた。


「この文字……」


 王女は、石板の一部を指さした。


「古い地名ではありません」


「え?」


「ここに書かれているのは、場所の名前ではなく……」


 王女は、一度息を整えた。


「『境界を守る者』という意味の言葉です」


 ……境界を守る者。


 俺は、思わず黙った。


 その言葉には、聞き覚えがある。


 古い誓約の記録にも、似た表現が出てきたはずだ。


「……第五誓約と、関係があるんでしょうか」


「まだ断定はできません」


 エレノア王女は、慎重に答えた。


「ですが、この紋様と文字が同じ場所に残っているのは、偶然とは考えにくいです」


 ……なるほど。


 三百年前の交易記録。


 森の中の古い台座。


 そして、『境界を守る者』。


 少しずつ、何かがつながり始めている。


 ただ。


 その先に何があるのかは、まだわからない。


 俺は、机に広げられた古い地図を見つめた。


 ……この世界と、日本。


 もし、その『境界』という言葉が、世界と世界の境目を意味しているのだとしたら。


 俺が帰るための手がかりも、そこにあるんだろうか。


 もちろん、今はまだ想像にすぎない。


 それでも。


 胸の奥で、何かが小さく動いた気がした。


 ――第34話・完――

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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