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第33話 古い交易路の地図に、消えた土地がありました

「成田さん。ひとつ、お願いがあるのですが」


 翌朝、王宮に着くなりエレノア王女に声をかけられた。


「はい。何でしょう?」


「昨日のお見合いについて、少しお話ししたいのです」


「もちろんです」


 俺は頷いた。


 お見合いの翌日に感想を聞く。


 これは前の仕事でも大切にしていたことだ。


 当日は緊張していて気づかなかったことが、一晩たってから見えてくる場合もある。


「アドリアン様は、とても誠実な方だと思いました」


「そうですね。少なくとも、昨日のお話からはそんな印象を受けました」


「ですが……」


 王女は、少し言葉を探した。


「私は、あの方と結婚したいのか、それとも、あの方の持っている古い記録を読みたいだけなのか、わからなくなってしまいました」


 ……おお。


 それは、なかなか鋭い自己分析だ。


「殿下。それに気づけたのは、いいことだと思いますよ」


「いいこと、ですか?」


「はい。相手に興味を持つ理由は、最初から一つでなくてもいいんです」


 俺は少し考えてから続けた。


「ただ、研究の話がなかったとしても、もう一度会ってみたいと思うかどうか。それは考えておいた方がいいかもしれません」


「……なるほど」


「逆に、アドリアン様が古文書に詳しくなかったとしても、昨日の会話は楽しかったですか?」


 王女はしばらく黙っていた。


 そして、静かに頷いた。


「はい。仕事で失敗した時のお話や、現場の方々から学んだというお話は、とても印象に残っています」


「それなら、昨日の面談には、ちゃんと意味があったと思います」


 エレノア王女は、少し安心したように微笑んだ。


「ありがとうございます、成田さん」


 ……うん。


 こういう時に必要なのは、答えを教えることじゃない。


 本人の中にある気持ちを、整理する手伝いだ。


 俺はそう思っている。


 ◇◆◇


「ところで、昨日の交易記録の件ですが」


 エレノア王女が、机の上に一通の封書を置いた。


「アドリアン様から、早速お返事が届きました」


「もうですか?」


「はい。お父上に確認してくださったそうです」


 ……仕事が早いな。


 俺は少し感心した。


 王女が封書を開き、内容を読み上げる。


「『建国期の交易記録について、王宮内での閲覧を許可する。ただし、原本の持ち出し及び複写は認めない』……とのことです」


「なるほど」


「それから、記録の一部を、今日の午後に届けてくださるそうです」


「今日?」


「はい」


 ……ずいぶん早い。


 いや、王女様からの依頼だから、優先してくれたのかもしれない。


 それでも、少し気になる。


「殿下。ちなみに、アドリアン様のお父上は、記録の内容について何かおっしゃっていましたか?」


「いいえ。ただ、古い資料なので取り扱いに注意してほしいと」


「そうですか」


 俺は頷いた。


 まだ、深読みする段階じゃない。


 ただの古い交易記録かもしれないのだから。


 ◇◆◇


 午後。


 王宮の小さな資料室に、アドリアン・ヴェルナーが姿を見せた。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


「こちらこそ、わざわざお持ちいただいて」


 エレノア王女が丁寧に礼を返す。


 アドリアンは、布で包まれた薄い木箱を机の上に置いた。


「父から預かってまいりました。原本ではなく、家で保管している写しの一つです」


「写し、ですか?」


「はい。原本は傷みが激しく、移動させられない状態だそうです」


 ……なるほど。


 少し残念だが、仕方ない。


 古い資料なら、保存状態を優先するのは当然だ。


 同席していたセリスさんが、箱の封印を確認した。


「ヴェルナー家の印章ですね。問題ありません」


 箱が開かれる。


 中には、黄ばんだ紙が何枚か重ねられていた。


 その一枚に、手描きの地図があった。


「……これは」


 エレノア王女が、息をのんだ。


 地図には、現在の王都から西方へ延びる交易路が描かれている。


 ただし、俺が知っている道とは少し違っていた。


 川の位置。


 山道の曲がり方。


 そして、途中に記された小さな集落の名前。


「この地名……」


 王女が指で示した。


「現在の地図にはありません」


 アドリアンが頷く。


「父も、そう申しておりました」


「失われた集落でしょうか」


「その可能性はあります。ただ、詳しいことはわかっていません」


 俺は地図を覗き込んだ。


 ……うーん。


 古い地図というのは、見慣れないと難しい。


 縮尺も曖昧だし、道の曲がり方も今とは違う。


 正直、俺にはどこがどこなのか、さっぱりだ。


『――おじさん!』


 肩の上のミドリが、小さく揺れた。


『――この地図、パン屋さんがありません!』


「……三百年前の交易地図だからね」


『――不便ですね!』


「そこは地図の目的が違うんだよ」


 思わず小声で返すと、セリスさんがこちらを見た。


「成田さん?」


「あ、いえ。何でもありません」


 ……危ない。


 真面目な調査中だった。


 ◇◆◇


「ここを見てください」


 エレノア王女が、地図の端を指さした。


「この印です」


 そこには、小さな円が二つ重なったような紋様が描かれていた。


 ……ん?


 俺は目を細めた。


 見覚えがある。


 王宮で調べていた、あの古い誓約に関係する印。


「殿下。これって……」


「はい」


 エレノア王女が頷いた。


「第五誓約の資料にあった紋様と、よく似ています」


 セリスさんも地図を覗き込んだ。


「確かに……」


 アドリアンは、少し驚いた様子だった。


「その紋様に、何か意味があるのでしょうか?」


 王女は一瞬、言葉を選んだ。


「まだ調査中なのですが、古い王国の誓約文書に似た印があるのです」


「誓約文書……」


 アドリアンは、地図を見つめた。


「父は、この印について何も話していませんでした」


 ……なるほど。


 少なくとも、アドリアン本人は知らなかったように見える。


 もちろん、表情だけで決めつけるつもりはない。


「アドリアン様」


 俺は声をかけた。


「この記録、どういう経緯でヴェルナー家に残っていたんでしょう?」


「詳しいことはわかりません。ただ、我が家は王国統一以前から交易に関わっていたと聞いています」


「なるほど」


「古い商隊の記録を、代々保管してきたのだと思います」


 ……うん。


 それなら、三百年前の記録が残っていても不思議ではない。


 ただ。


「お父上は、この地図を外に出すことに慎重だったそうですね」


 俺が尋ねると、アドリアンは少し驚いた顔をした。


「……よくご存じですね」


「昨日のお話で、少し気になりまして」


 正確には、昨日の時点ではそこまで聞いていなかった。


 でも、閲覧条件を見る限り、慎重なのは確かだ。


「父は古い資料の扱いに厳しい人です。特に、この地図については、昔から外部に見せることを嫌がっていました」


「理由は聞いたことがありますか?」


「……いいえ」


 アドリアンは首を横に振った。


「ただ、一度だけ、こんなことを言っていました」


「どんなことですか?」


「『古い道は、忘れられたからといって、なくなったわけではない』と」


 ……。


 俺は、思わず黙った。


 なんだ、その言い方。


 ただの商家の家訓にしては、少し意味深じゃないか。


 ◇◆◇


 調査は、その後も続いた。


 エレノア王女は、古い地名を一つずつ書き写していく。


 セリスさんは、地図の紋様と王宮の資料を照合するため、別の記録を取りに行った。


 俺はというと。


 ……正直、専門的なことはよくわからない。


 ただ、気になることがあった。


「アドリアン様」


「はい?」


「この地図を持ってくることについて、お父上は何か条件をつけませんでしたか?」


「条件、ですか?」


「はい。閲覧や複写の制限以外に」


 アドリアンは、少し考えた。


「……そういえば」


「何か?」


「父から、ひとつだけ確認するように言われていました」


「確認?」


「この地図を調べたいと言い出したのは、王女殿下ご自身なのか。それとも、別の誰かなのか、と」


 ……ん?


 俺は、少しだけ背筋を伸ばした。


「それは、どうしてでしょう?」


「わかりません。父は理由を話しませんでした」


 アドリアンは困ったように笑った。


「ただ、殿下が歴史研究に興味をお持ちだと伝えたら、ようやく閲覧を許してくれたんです」


 ……なるほど。


 つまり、誰がこの地図を見たがっているのかを、気にしていたわけだ。


 それが何を意味するのかは、まだわからない。


 でも。


 単に古い資料を大切にしているだけなら、少し不思議な質問だ。


 ◇◆◇


 夕方。


 資料の確認を終えた俺は、セリスさんと廊下を歩いていた。


「成田さん。今日の記録について、どう思われますか?」


「うーん。正直、まだ何とも言えません」


「そうですか」


「ただ、ヴェルナー家のお父上は、地図そのものよりも、誰が見たがっているかを気にしているように感じました」


 セリスさんは、少し考えた。


「……確かに、気になる点ですね」


「でも、それだけで何かを疑うのは早いと思います」


「はい。団長にも、そのまま報告します」


 俺は頷いた。


 こういう時、つい結論を急ぎたくなる。


 怪しい言葉。


 意味深な態度。


 隠された記録。


 ……でも、人間関係の相談でも同じだ。


 一つの言葉だけで、相手の本心を決めつけると、大抵ろくなことにならない。


「それにしても……」


 セリスさんが、ふと呟いた。


「王女殿下のお見合いが、まさか古い誓約の調査につながるとは」


「本当ですよね」


 俺は苦笑した。


「婚活相談のはずだったんですけどねぇ」


「成田さんらしい、と言えばそうかもしれません」


「いやいや、俺は普通にお見合いを成功させたいだけなんですが」


 セリスさんが、小さく笑った。


 ……まあ。


 少なくとも、アドリアンさんと王女様の会話は悪くなかった。


 古文書の件とは切り離して、二人のことはちゃんと見ていきたい。


 それだけは、忘れないようにしよう。


 ◇◆◇


 宿屋『月見亭』へ戻る頃には、空がすっかり暗くなっていた。


『――おじさん!』


「ん?」


『――今日の地図、変でしたね!』


「そうだね。今の地図にはない場所があった」


『――でも、そこに行ったら何かあるかもしれませんよ!』


「……まあ、そうかもしれないけど」


『――パン屋さんとか!』


「まだ言ってるの!?」


『――三百年前のパン屋さんです!』


「もう残ってないと思うよ!」


 ミドリが、ぷるぷると揺れた。


 俺は苦笑しながら、宿の扉に手をかけた。


 ……三百年前の地図。


 消えた集落。


 重なった円の紋様。


 そして、誰が地図を見たがっているのかを気にする、ヴェルナー家の当主。


 まだ、何もわかっていない。


 ただ。


 王宮で消えた古文書と、古い誓約。


 それらが、少しずつ同じ場所を指し始めている気がした。


 その時だった。


『――おじさん』


 ミドリの声が、少しだけ真面目になった。


「どうしたの?」


『――あの地図の丸い印、どこかで見たことがある気がします』


「……え?」


 俺は、思わず足を止めた。


「どこで?」


『――うーん……』


 ミドリは、しばらく考え込んだ。


『――森、だったと思います』


「森?」


『――はい。でも、どの辺だったか……』


 ……森。


 俺とミドリが出会った、あの森だろうか。


 それとも、別の場所か。


「無理に思い出さなくていいよ」


『――はい! 思い出したら言います!』


「うん。頼むね」


 俺は宿の扉を開けた。


 ……まさか。


 あの古い紋様が、森にも残っているのか?


 だとしたら。


 俺たちが追っているものは、王宮の中だけでは終わらないのかもしれない。


 ――第33話・完――

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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