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第3話「冒険者ギルドに来たら、なぜか人生相談が始まった」

「……本当に、この道で合ってるんだよね?」


『――はい! 大丈夫です!』


「さっきも同じこと言ってなかった?」


『――今度こそ大丈夫です!』


「……今度こそ、ねぇ」


 俺は額の汗を拭った。


 異世界に転生してから、どのくらい時間が経っただろうか。


 体感では、すでに半日以上歩いている気がする。


 いや、実際には二時間くらいかもしれない。


 とにかく、足が痛い。


 腰も痛い。


 そして、腹が減った。


「……異世界転生って、もっとこう、楽なもんじゃないの?」


 俺の名前は成田和彦。


 46歳。


 妻子持ち。


 職業は、オタク専門結婚相談所の婚活アドバイザー。


 ……だった。


 今は異世界に転生した、無職のおじさんである。


 目の前では、緑色のスライムが元気よく跳ねていた。


『――おじさん、早く早く!』


「ちょっと待って……。そんなに跳ねたら……おじさん死んじゃう……」


『――えっ!? 死んじゃうんですか!?』


「いや、例えだから!」


 慌てて訂正する。


 どうやら、この世界のスライムには比喩表現が通じにくいらしい。


 俺の案内役を務めてくれているのは、昨日――いや、ついさっき仲良くなったグリーンスライムだ。


 第2話で……。


 いや、何でもない。


 とにかく、この子のおかげで俺は森を抜けようとしていた。


「そういえば、君の名前ってないの?」


『――名前?』


「そう。みんなから何て呼ばれてるの?」


『――グリーンスライムです!』


「……それ、種族名だよね?」


『――そうなんですか?』


 どうやら本人は気にしたことがなかったらしい。


 俺は少し考えた。


「……じゃあ、ミドリでどう?」


『――ミドリ?』


「そう。緑色だからミドリ」


 自分でも安直だと思う。


 46歳のネーミングセンスなんて、こんなもんである。


 ところが。


『――ミドリ! ミドリ! 可愛い名前です!』


 スライムが嬉しそうに飛び跳ねた。


「気に入ってくれた?」


『――はい! ありがとうございます、おじさん!』


 その瞬間。


 ピロン♪


 例の青い画面が現れた。


 【個体名の付与を確認しました】


 グリーンスライムに「ミドリ」の名前が与えられました。


 【特殊条件達成】


 名付けによる魔力接続が成立しました。


 個体名:ミドリ


 種族:グリーンスライム


 契約状態:友好


 成長率:上昇


「……え?」


 俺は画面を二度見した。


「名前を付けただけで、何か起こったんだけど?」


『――名前には魔力を結びつける力があります』


「……マジで?」


『――はい』


「いや、そういう大事なことは先に言ってよ!」


 まったく。


 異世界のシステムって、どうしてこう説明不足なんだろう。


 ゲームだったら絶対に攻略サイトを見る案件である。


 まあ、今はネットも使えないんだけど。


 ◇◆◇


 さらに一時間ほど歩いたところで、ようやく森が開けた。


「……おおっ!」


 目の前に広がった光景を見て、俺は思わず声を上げた。


 高い石造りの城壁。


 木製の大きな門。


 街へ出入りする馬車。


 剣や鎧を身につけた冒険者たち。


 そして、遠くには赤い屋根の建物が並んでいる。


「……異世界だ」


 いや、今さらなんだけど。


 改めて実感する。


 まるでゲームの中に入り込んだような景色だった。


「すげぇ……本当に中世ファンタジーの街じゃん……」


 46歳にもなって、ちょっと感動してしまった。


 長年オタクをやってきた身としては、この光景だけでもテンションが上がる。


 ……とはいえ。


「……あれ?」


 俺は自分の服装を見下ろした。


 白いワイシャツ。


 黒いスラックス。


 革靴。


 胸ポケットには社員証。


「……完全に浮いてるな」


 周囲の冒険者たちは、革の鎧やマントを着ている。


 そんな中で俺だけが、仕事帰りのサラリーマン姿だ。


 どう見ても異世界転生者です。


 本当にありがとうございました。


『――おじさん、どうしたんですか?』


「いや……ちょっと服装が気になって」


『――変ですか?』


「こっちの世界だと、かなり変だと思うよ」


『――でも、おじさんらしくていいと思います!』


「……ありがとう」


 スライムに慰められた。


 46歳、人生初の経験である。


 ◇◆◇


「次の方!」


 街の門には、入場を待つ人々の列ができていた。


 俺も最後尾に並ぶ。


 しばらくすると、鎧を着た門番の男がこちらを見た。


「……おい、そこのおっさん」


「はい?」


「見ない顔だな。どこから来た?」


「あー……えーと……」


 困った。


 正直に「日本から転生してきました」と言っていいものだろうか。


 いや、絶対に面倒なことになる。


 こういう時、異世界ものの主人公はどうしてたっけ?


 確か、遠くの村から来たとか、旅の途中で記憶を失ったとか……。


「……遠くから来ました」


「遠くって、どこだ?」


「……ものすごく遠くです」


「…………」


 門番の目が細くなった。


 しまった。


 怪しすぎる。


 46歳の会社員が、こんな曖昧な受け答えをするなんて。


 営業職だったら即失格だ。


「身分証は?」


「……これじゃダメですか?」


 俺は財布から社員証を取り出した。


 門番が受け取る。


「……コンカツアドバイザー?」


「ええ、まあ」


「……なんだそれ?」


「結婚のお手伝いをする仕事です」


「…………」


 門番はしばらく社員証を見つめた。


 そして。


「……お前、神官か?」


「……はい?」


「結婚の儀式を取り仕切る神官だろ?」


「いや、違います」


「違うのか?」


「どちらかというと、結婚する前のお手伝いですね」


「……ほう」


 門番が急に真剣な顔になった。


「……なあ、おっさん」


「はい?」


「ちょっと聞きたいことがあるんだが」


 嫌な予感がした。


「……俺、今年で三十八なんだ」


「はい」


「結婚して十年になるんだが……」


「……はい」


「最近、嫁が全然口をきいてくれなくてな」


「…………」


 おい。


 まさか。


「仕事から帰っても、飯だけ置いて寝ちまうんだよ」


「……なるほど」


「昔はもっと優しかったんだが……」


 門番は深いため息をついた。


「……俺、何か悪いことしたのかな?」


 …………。


 いや。


 俺、街に入りたいだけなんですけど。


 とはいえ。


 相談されたら、放っておけない。


 これが長年染みついた職業病というやつだ。


「……ちなみに、奥様とは最近お話しされていますか?」


「いや、だから口をきいてくれないんだって」


「そうじゃなくて、奥様のお話を聞いていますか?」


「……ん?」


「例えば、今日何があったとか。最近困っていることとか」


 門番は首を傾げた。


「……そういや、最近は仕事の愚痴ばっかり話してたかもな」


「なるほど」


 俺は頷いた。


「あと、家事とか育児はどうされています?」


「家のことは全部嫁に任せてるな」


「……お子さんは?」


「三人いる」


「三人ですか……」


 俺は遠い目をした。


 妻の美咲の顔が浮かぶ。


 そういえば、昔似たようなことで怒られたことがあったな。


 仕事で疲れた。


 残業が大変だ。


 上司がどうだ。


 そんな話ばかりしていたら、ある日妻に言われたのだ。


『あなたは仕事が終わるけど、私は家に帰っても仕事が終わらないのよ』


 あの時は、本当に反省した。


「……まずは、奥様に感謝を伝えてみてはいかがでしょうか」


「感謝?」


「はい。いつもありがとうって」


「……そんなことで変わるか?」


「言葉だけじゃなくて、行動も必要ですね。例えば休日にお子さんの面倒を見たり、家事を分担したり」


 門番は腕を組んだ。


「……なるほどな」


「もちろん、それだけで全部解決するとは限りませんけど」


 俺は続けた。


「でも、奥様が何に困っているのかを知るところから始めるのがいいと思います」


「……そうか」


 門番はしばらく黙っていた。


 やがて、深く頷く。


「……ありがとうな、おっさん」


「いえいえ」


「なんか、少し気が楽になったわ」


 その瞬間。


 ピロン♪


 【固有スキル《縁結び》発動】


 対象:門番ガルド


 心理的負担が軽減されました。


 信頼度:20 → 75


 【称号効果発動】

 《相談上手》の適性を確認しました。


 ……え?


 そんな称号あったっけ?


 画面を確認しようとした、その時だった。


「おい! ガルド!」


 後ろから別の門番が怒鳴った。


「いつまで話してるんだ! 後ろが詰まってるぞ!」


「あっ!」


 ガルドが慌てて振り向いた。


 見ると、俺の後ろには長蛇の列ができていた。


 ……やばい。


 完全に仕事モードになってた。


「す、すみません!」


 俺は慌てて頭を下げた。


 すると、ガルドが笑いながら社員証を返してきた。


「いいってことよ。おっさん、街に入っていいぞ」


「……え?」


「身元は怪しいが、悪人には見えねえしな」


「……そんな適当でいいんですか?」


「一応、ギルドで身分登録はしてこいよ」


「は、はい!」


 ……よかった。


 なんとか入れそうだ。


 いや、待て。


 俺、まだ入場料払ってないぞ。


「あの、お金は……?」


「今回は相談料代わりだ。俺が立て替えとく」


「……いいんですか?」


「ああ。その代わり、また相談に乗ってくれよ」


「は、はは……」


 俺は苦笑した。


 異世界に来て初めて稼いだ報酬が、入場料の肩代わり。


 しかも、人生相談の対価。


 ……なんか、もう。


「……転生前とやってることが変わらないな」


 俺は小さくつぶやいた。


 ◇◆◇


 街の中は活気に満ちていた。


 市場には果物や野菜が並び、商人たちが威勢のいい声を上げている。


 鍛冶屋からは金属を打つ音が聞こえ、パン屋からは香ばしい匂いが漂ってきた。


「……いい匂いだなぁ」


 思わず腹が鳴る。


 そういえば、朝から何も食べていない。


 いや、そもそも転生してから何も食べていない。


 現実世界で最後に食べたのは、コンビニのおにぎりだった気がする。


「……腹減った」


『――おじさん、お腹すいたんですか?』


 足元のミドリが心配そうに声をかけてきた。


「うん。人間は食べないと動けなくなるからね」


『――そうなんですね!』


「ミドリはお腹すかないの?」


『――私は魔力があれば大丈夫です!』


「……便利だなぁ」


 本気で羨ましい。


 食費がかからないなんて、我が家にとっては夢のような存在だ。


 ……いや、そんなことを考えてる場合じゃない。


 まずは冒険者ギルドで身分証を作らなければ。


「……ミドリ、ギルドってどこにあるかわかる?」


『――はい! あっちです!』


 元気よく跳ねるミドリ。


 俺はその後を追った。


 ……ゆっくりと。


 もう走る気力はない。


 ◇◆◇


 冒険者ギルド。


 それは異世界ファンタジーにおける、定番中の定番施設である。


 冒険者登録。


 依頼の受注。


 魔物の討伐。


 素材の買い取り。


 そして、酒場。


 数々のアニメやゲームで見てきた光景だ。


「……ついに来たか」


 俺は建物を見上げた。


 三階建ての大きな木造建築。


 入り口には剣と盾が交差した看板。


 扉の向こうからは、賑やかな声が聞こえてくる。


「……テンション上がるなぁ」


 思わず笑みがこぼれた。


 46歳にもなって、こんなにワクワクするとは思わなかった。


「よし、行くか!」


 俺は勢いよく扉を開けた。


 ギィィィ……。


 中には大勢の冒険者たちがいた。


 筋骨隆々の戦士。


 ローブを着た魔法使い。


 大きな斧を背負ったドワーフ。


 獣の耳を持つ獣人。


 そして。


「……おおっ!」


 受付カウンターには、美しい銀髪のエルフが座っていた。


 長い耳。


 透き通るような白い肌。


 整った顔立ち。


 まさに、絵に描いたようなファンタジー世界のエルフだ。


「……すげぇ。本物のエルフだ」


 思わず感動してしまう。


 すると、足元のミドリが声を上げた。


『――あっ! おじさん!』


「ん?」


『――あの人です!』


「……あの人?」


『――森で話した、怖いエルフさん!』


「…………」


 俺は受付嬢を見た。


 受付嬢も、こちらを見た。


 目が合った。


 すると。


「ひっ……!」


 受付嬢が小さく悲鳴を上げた。


 ……え?


 今、悲鳴上げた?


 俺、何かした?


 慌てて自分の服装を確認する。


 ワイシャツ。


 スラックス。


 革靴。


 顔。


 ……うん。


 確かに疲れた中年サラリーマンではある。


 でも、悲鳴を上げられるほど不審者ではないと思う。


「……あの、すみません」


「ひゃっ!?」


 受付嬢が椅子から飛び上がった。


 ……おいおい。


 そんなに怖いか、俺。


「あ、あの……ぼ、冒険者登録をお願いしたいんですけど……」


 俺がそう言うと、受付嬢は震える手で書類を取り出した。


「は、はい……こ、こちらに……お、お名前を……」


 声が小さい。


 ものすごく小さい。


 しかも、目を合わせてくれない。


 ……なるほど。


 俺は少し考えた。


 この反応。


 この仕草。


 この緊張具合。


 ……見覚えがある。


 結婚相談所でも、初対面の異性と話すのが苦手な会員さんは少なくなかった。


 緊張して声が出なくなる。


 相手の目を見られない。


 何を話していいかわからない。


 そういう人たちと、俺は何度も面談してきた。


「……もしかして」


 俺はそっと《縁結び》を発動させた。


 ピロン♪


 【対象情報】

 名前:リリア・フォーレスト

 種族:エルフ

 年齢:128歳

 職業:冒険者ギルド受付職員

 性格:真面目・内向的・心配性

 現在の感情:緊張・不安・恐怖

 主な悩み:対人関係が苦手

 恋愛経験:なし

 結婚願望:あり

 理想の相手:自分の話を最後まで聞いてくれる人


「…………」


 俺は画面を見つめた。


 128歳。


 独身。


 恋愛経験なし。


 結婚願望あり。


 そして、極度の人見知り。


「……なるほど」


 思わず頷いてしまった。


 これは、かなり手強いタイプかもしれない。


 いや、別に悪い意味ではない。


 こういう人ほど、一度心を開けば素直に気持ちを伝えてくれることが多い。


 ただし、最初の一歩がとにかく難しいのだ。


「あの……」


 リリアが小さな声を出した。


「は、はい?」


「……な、何か……?」


「あ、いえいえ! 何でもないです!」


 俺は慌てて首を振った。


 しまった。


 つい仕事目線で観察してしまった。


 ……いかんいかん。


 今は冒険者登録をするだけだ。


 他人のプライベートに首を突っ込む必要はない。


「えーと、名前は成田和彦です」


「な、ナリタ……カズヒコ……様……」


「はい。よろしくお願いします」


「よ、よろしく……お願いします……」


 リリアは小さく頭を下げた。


 そして、書類に何かを書き込もうとした。


 その時だった。


「おい、リリア!」


 突然、後ろから大きな声が響いた。


 振り向くと、筋骨隆々の男が立っていた。


 背中には大きな剣。


 顔には古傷。


 いかにもベテラン冒険者という風貌だ。


「俺の依頼報酬、まだかよ!」


「ひっ……!」


 リリアの肩が跳ねた。


「も、申し訳……ありません……」


「さっきから何度も待ってるんだぞ!」


「す、すみません……」


 男は苛立った様子でカウンターを叩いた。


 バンッ!!


「早くしろって言ってんだろ!」


「ひぅっ……!」


 リリアの目に涙が浮かんだ。


 俺は思わず眉をひそめた。


 ……いやいや。


 それはダメだろ。


 確かに、仕事が遅いのは問題かもしれない。


 でも、大声で威圧するのは違う。


 俺は静かに男に声をかけた。


「あの、すみません」


「ああ!?」


 男が睨みつけてきた。


 ……怖っ。


 めちゃくちゃ怖い。


 正直、ちょっと漏らしそうになった。


 だが。


 俺も46年間生きてきた。


 怒っているお客様の対応くらい、何度も経験している。


「お待たせしているのは確かに申し訳ないと思うんですが……」


「ああ?」


「大声を出されると、余計に作業が進まなくなると思うんですよ」


「……何だと?」


 男が一歩近づいてきた。


 ……やばい。


 これ、殴られたら死ぬやつだ。


 俺は内心で冷や汗をかきながら続けた。


「もちろん、早く報酬を受け取りたいお気持ちはわかります」


「……おう」


「ですから、まずは何が原因で遅れているのか確認しませんか?」


 俺はリリアの方を見た。


「リリアさん、何か問題があるんですか?」


「え……?」


「大丈夫ですよ。ゆっくりでいいので教えてください」


 リリアはしばらく俯いていた。


 そして、小さな声で答えた。


「……ほ、報酬の……計算が……」


「計算?」


「……ま、魔物の素材の……査定が……まだ……」


「なるほど」


 俺は頷いた。


「つまり、受付で処理できない部分が残っているんですね?」


「……は、はい……」


「だったら、査定担当の方に確認してもらうのが早そうですね」


 男が腕を組んだ。


「……ああ、そういうことか」


「はい。リリアさんが今ここで急いでも、査定が終わらないと支払いできないんじゃないでしょうか」


「……なるほどな」


 男の表情が少し和らいだ。


「だったら、最初からそう言ってくれりゃいいのによ」


 ……いや。


 あんたが怖くて言えなかったんだと思うけど。


 そこは口に出さない。


「では、担当の方に状況を確認していただけますか?」


 俺がそう尋ねると、リリアは小さく頷いた。


「は、はい……!」


 そして、奥の部屋へ駆けていった。


 男は頭をかいた。


「……なんだか、悪かったな」


「いえいえ」


「おっさん、商人か何かか?」


「……まあ、人と話す仕事をしてました」


「へえ。道理で慣れてるわけだ」


 男は笑った。


 すると。


 ピロン♪


 【固有スキル《縁結び》発動】


 対象:冒険者バルド


 感情:怒り → 納得


 ギルド職員への敵意が低下しました。


 【信頼関係改善】


 バルドとリリアの関係性が改善しました。


 経験値:100獲得


「……お?」


 俺は画面を見つめた。


 なるほど。


 恋愛関係だけじゃないのか。


 人間関係の改善でも経験値が入るらしい。


「……これ、思った以上に便利だな」


 小さくつぶやいた。


 ……その時だった。


「……あ、あの!」


 リリアが戻ってきた。


 手には小さな袋を持っている。


「……お、お待たせしました……!」


 男に報酬を渡すと、深々と頭を下げた。


 男も少し気まずそうに頭をかいた。


「……悪かったな。怒鳴っちまって」


「……い、いえ……」


 どうやら一件落着らしい。


 俺はホッと胸をなで下ろした。


 そして、改めてリリアに向き直った。


「じゃあ、冒険者登録の続きをお願いできますか?」


「は、はい!」


 先ほどより、少しだけ声が大きくなった気がした。


 リリアは登録用紙を取り出す。


「……お、お名前は……ナリタ様……」


「はい」


「……ご、年齢は……?」


「46歳です」


「……よ、46歳……」


 リリアが少し驚いた顔をした。


 ……なんだ?


 そんなに珍しいか?


「……あの、何か?」


「い、いえ……。人間の方で、その年齢から冒険者になる方は……珍しいので……」


「……ですよねぇ」


 俺は苦笑した。


 そりゃそうだ。


 普通、冒険者になるのは若者だろう。


 46歳から命がけの仕事を始めるなんて、どう考えても無謀だ。


 日本だったら、転職サイトを開いた瞬間に年齢条件で諦める案件である。


「……ちなみに、冒険者って何歳まで働けるんですか?」


「え……?」


「いや、定年とかあるのかなって」


「……て、定年……?」


 リリアが首を傾げた。


 どうやら、この世界に定年制度はないらしい。


 ……羨ましいような、怖いような。


「……ま、まあ、とりあえず登録だけお願いします」


「は、はい」


 リリアは書類に記入を続けた。


 そして。


「……あの……」


「はい?」


「……さ、先ほどは……ありがとうございました……」


 小さな声だった。


 俺は笑った。


「いえいえ。大したことはしてませんよ」


「……で、でも……」


「困っている人がいたら、助けるのは普通ですから」


 そう言った瞬間。


 リリアが顔を上げた。


 その瞳が、ほんの少しだけ揺れた。


「……普通……」


「はい?」


「……それが……普通、なんですか……?」


 俺は首を傾げた。


 何か、引っかかる言い方だった。


 リリアは視線を落とした。


「……わ、私……いつも……失敗ばかりで……」


「……え?」


「……人と話すのが……苦手で……。お客様にも……怒られて……」


 声が震えていた。


「……みんなに……迷惑をかけて……」


 俺は黙って話を聞いた。


 ……ああ。


 なるほど。


 そういうことか。


 仕事ができないのではない。


 人と話すことが怖くて、本来の力を発揮できていないのだ。


 こういう人を、俺は何人も見てきた。


「……リリアさん」


「……は、はい……」


「ちょっとだけ、聞いてもいいですか?」


「……なんでしょう……?」


「この仕事、嫌いですか?」


 リリアは驚いたように顔を上げた。


「……え?」


「冒険者ギルドの受付のお仕事です」


「……い、いえ……」


 彼女は小さく首を振った。


「……好き、です……」


「そうですか」


「……人の……役に立ちたくて……」


 リリアは両手をぎゅっと握った。


「……困っている人を……助けたくて……この仕事を……」


 俺は静かに頷いた。


「……だったら、大丈夫ですよ」


「……え?」


「だって、ちゃんと理由があるじゃないですか」


 リリアは俺を見つめた。


「人の役に立ちたい。誰かを助けたい。そう思って、この仕事を選んだんですよね?」


「……はい……」


「それって、すごく大事なことだと思います」


 俺は笑った。


「話すのが苦手なら、少しずつ練習すればいいんです。最初から完璧にできる人なんていませんから」


 リリアの目に涙が浮かんだ。


「……で、でも……私……もう128歳で……」


「……はい?」


「……この歳になっても……ちゃんと人と話せなくて……」


 なるほど。


 エルフの年齢感覚はよくわからないが、本人にとっては深刻な問題らしい。


 俺は少し考えた。


 そして。


「……年齢なんて、関係ないですよ」


「……え?」


「俺だって46歳ですけど、失敗ばっかりですから」


 苦笑しながら続けた。


「仕事では怒られるし、家では妻に叱られるし、子供には煙たがられるし……」


「……奥様……?」


「ええ。妻と子供が二人います」


「……そ、そうなんですね……」


「はい。大切な家族です」


 口にした瞬間、胸が少し痛んだ。


 美咲。


 悠斗。


 結衣。


 ……今頃、どうしているだろう。


 俺が死んだと知って、泣いているだろうか。


 それとも、まだ連絡が取れないだけだと思っているのだろうか。


 ……帰りたい。


 今すぐにでも。


 でも。


 そのためには、この世界で生き延びなければならない。


 俺は気持ちを切り替え、リリアに笑いかけた。


「……まあ、そんな俺でも、なんとか生きてきましたから」


「……ナリタ様……」


「だから、焦らなくていいと思いますよ」


 リリアはしばらく黙っていた。


 そして。


「……ありがとう……ございます……」


 小さく、しかしはっきりとした声で言った。


 その瞬間。


 ピロン♪


 【固有スキル《縁結び》発動】


 対象:リリア・フォーレスト


 心理的負担が軽減されました。


 信頼度:10 → 55


 【特殊条件達成】


 対象が長年抱えていた心理的障壁に変化が生じました。


 経験値:300獲得


 【新たな縁を確認】


 成田和彦とリリア・フォーレストの間に、強い信頼関係が芽生え始めています。


「……おお」


 俺は心の中で感嘆した。


 やっぱりこのスキル、すごい。


 普通に会話をしているだけで、相手の心が少しずつ変わっていく。


 しかも、経験値まで入る。


 ……いや、待てよ。


 これ、考え方によっては無限にレベル上げできるんじゃないか?


 婚活相談。


 人生相談。


 職場の人間関係。


 夫婦間のすれ違い。


 この世界にだって、悩んでいる人は山ほどいるはずだ。


 その相談に乗るだけで、俺が強くなる。


「……ふふふ」


 思わず口元が緩んだ。


 もしかして。


 もしかすると。


 俺、戦わずに最強になれるんじゃないか?


「……あの、ナリタ様?」


「はっ!?」


 我に返った。


 リリアが不思議そうに俺を見ている。


「……ど、どうされました……?」


「あ、いえ! 何でもないです!」


 危ない危ない。


 変なおじさんだと思われるところだった。


 ……いや、もう十分変か。


 すると、リリアが少しだけ微笑んだ。


「……ふふっ」


「……え?」


 初めて見た笑顔だった。


 ほんの一瞬。


 でも、とても自然な笑顔だった。


 俺は思わず頷いた。


 ……うん。


 笑えるじゃないか。


 この子はきっと、大丈夫だ。


 その時だった。


「……あの、ナリタ様」


「はい?」


 リリアが、少し迷うように視線を泳がせた。


「……もし……よろしければ……」


「はい」


「……お仕事とは……関係ないことで……」


 彼女は小さく息を吸った。


「……ご相談……しても……いいでしょうか……?」


 …………。


 俺は一瞬、固まった。


 まさか。


 いや、そんなはずは。


「……ちなみに、どんなご相談でしょう?」


 リリアは顔を真っ赤にした。


 そして、消え入りそうな声で言った。


「……あ、あの……」


「はい」


「……私……」


「はい」


「……128歳なんですけど……」


「はい」


「……一度も……恋人ができたことが……なくて……」


 …………。


 俺は天を仰いだ。


 ああ。


 やっぱり。


 やっぱりなのか。


 異世界に来た。


 冒険者ギルドに来た。


 身分証を作りに来た。


 それなのに。


「……結局、婚活相談じゃねーか!!」


 46歳のおじさんの叫びが、冒険者ギルド中に響き渡った。


 周囲の冒険者たちが一斉にこちらを振り向いた。


 リリアは顔を真っ赤にして固まった。


 そして俺は。


 ……盛大に後悔した。


 ああ、しまった。


 声が大きすぎた。


 これは完全に失敗だ。


 せっかく心を開いてくれたのに。


 俺は慌てて頭を下げた。


「す、すみません! 今のは忘れてください!」


「……は、はい……?」


「ちゃんとお話、聞きますから!」


 リリアは驚いたように俺を見た。


 そして、ほんの少しだけ笑った。


「……ありがとうございます……」


 その笑顔を見て、俺は小さくため息をついた。


 ……まったく。


 異世界転生してまで、こんなことになるとは。


 でも。


 まあ。


 困っている人を放っておけないのは、昔からだ。


「……よし」


 俺は椅子に座り直した。


「それじゃあ、まずはお話を聞かせてもらえますか?」


 リリアは小さく頷いた。


 こうして。


 46歳の社畜おじさんは、異世界で初めての人型種族の婚活相談を受けることになった。


 しかも、相談者は128歳の美人エルフ。


 ……どうやら俺の異世界生活は、これからますます忙しくなりそうだ。


 ――第3話・完――

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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