第29話「王女様のお見合い準備、まずはお相手の話を聞きましょう」
「……七人全員と、お会いする必要があるのかしら」
エレノア王女が、目の前の書類を見つめて呟いた。
王宮の小会議室。
机の上には、七人分の婚約候補者の資料が並んでいる。
家名、年齢、領地、政治的な立場。
そして、王家との婚姻によって期待される外交上の利益。
……うん。
見事なまでに、本人の人柄が書かれていない。
「殿下。こちらの方の趣味は?」
「……記載されていないわ」
「では、休日の過ごし方は?」
「それもないわね」
「好きな食べ物は?」
「……成田さん」
「はい」
「それは、結婚相手を選ぶうえで重要なの?」
俺は真面目な顔で頷いた。
「重要になることもあります」
「……食べ物が?」
「毎日の生活に関わりますからね」
例えば、片方は食事を楽しみたい。
もう片方は、食事なんて栄養が取れれば十分。
それ自体は問題じゃない。
問題は、お互いの考えを尊重できるかどうかだ。
「もっとも、好きな食べ物だけで相性は判断できませんけど」
「……そうよね」
王女様は少し笑った。
よかった。
昨日の会議以来、ずっと肩に力が入っていたからな。
◇◆◇
「まず、確認したいことがあります」
俺は七人分の資料を横に並べた。
「殿下は、今回の面談で何を知りたいですか?」
「……私の研究を認めてくださるかどうか、かしら」
「それは大切ですね」
「それから、私の話をきちんと聞いてくださる方なのかも知りたいわ」
「いいと思います」
俺は紙に書き留めた。
「では、逆に。お相手の方々にも、殿下について知っていただく必要があります」
「……私のこと?」
「はい。研究が好きなことも、結婚に不安があることも」
王女様は少し目を伏せた。
「……不安があると伝えたら、失礼ではないかしら」
「言い方次第だと思います」
俺は答えた。
「初対面で『あなたとの結婚が不安です』と言われたら、誰でも困ります。でも、『お互いをよく知ってから将来を考えたい』なら、どうでしょう?」
「……それなら、私の本当の気持ちだわ」
「ですよね」
王女様は頷いた。
よし。
まずは面談の目的が整理できた。
「それと、もう一つ」
「何かしら?」
「今回の面談は、結婚を約束する場ではありません」
俺は、そこだけ少し強調した。
「お相手を知るための場です。会ったからといって、婚約に同意したことにはならない。その点は、事前に確認しておきましょう」
王女様は、ほっとしたように息を吐いた。
「……ありがとう。そこが、一番心配だったの」
……なるほど。
やっぱり、そうだったか。
◇◆◇
その日の昼。
俺はアルベルト総監と、王宮の儀典担当官に面談の進め方を相談した。
「一人ずつ、短い時間でお話しする形がよいかと思います」
俺が説明すると、儀典担当官が難しい顔をした。
「しかし、候補者の家格によって面談の順番を決めねば、不満が出る可能性があります」
……ああ。
そういう問題もあるのか。
「順番だけで、ですか?」
「順番だけで、です」
担当官は真顔だった。
……貴族社会、面倒くさいなぁ。
いや、会社でも席順ひとつで揉めることはあったか。
規模が違うだけかもしれない。
「でしたら、順番を婚姻上の優先順位とみなさないことを、事前に文書で伝えてはいかがでしょう」
「……ふむ」
「それから、面談時間は全員同じにする。質問の基本項目も共通にする」
担当官は少し考えた。
「公平性を示す、ということですな」
「はい」
俺は頷いた。
「もちろん、政治的な事情は別途検討が必要です。でも、少なくとも面談の場では、全員が同じ条件で話せる方がいいと思います」
アルベルト総監が口を開いた。
「悪くない。陛下に上申してみよう」
……よし。
ひとまず、面談準備は前進だ。
◇◆◇
「成田殿」
会議が終わったところで、セリスに呼び止められた。
「少し時間をもらえるか」
「はい。どうしました?」
「ルークの件だ」
……おっ。
俺は姿勢を正した。
「何かわかったんですか?」
「ああ。予備鍵に残っていた複製魔術の痕跡について、宮廷魔術師が追加の報告を出した」
セリスは、一枚の紙を差し出した。
「古い王宮の術式に似ているという話だったな」
「はい」
「だが、十年前の神殿研究に使われた魔法陣とは、別系統のものらしい」
……なるほど。
何でもかんでも神殿につながるわけじゃないのか。
「では、どこで使われていた術式なんですか?」
「王宮の文書管理部門だ」
「……文書管理?」
「ああ。古い公文書の封印や、鍵の複製防止に関わる技術だそうだ」
……ん?
「複製防止なのに、鍵を複製できるんですか?」
「正確には、鍵の形状を記録して、管理用の写しを作るための術式らしい」
なるほど。
緊急時の予備鍵を作るような仕組みか。
「その技術を扱える人は、限られているんでしょうか?」
「現在の担当者は少ない。ただ、過去に文書管理部門に所属していた者もいる」
セリスは続けた。
「魔術師たちは、当時の担当者名簿を調べているところだ」
……うん。
ここから先は、専門家の仕事だ。
「それで、ルークさんについては?」
「今のところ、その術式を扱った記録も、習得した記録もない」
「……そうですか」
俺は、少しだけ息を吐いた。
疑いが晴れたわけではない。
でも、少なくともルークさんが単独で記録を消し、鍵を複製して盗み出したという筋書きには、説明の必要な点が増えている。
「担当官は、ルークの行動記録を改めて確認している」
「……はい」
「結果が出るまでは、まだ正式な判断はできない」
「わかっています」
俺は頷いた。
焦らず、一つずつだ。
◇◆◇
午後。
俺は王立図書館へ向かった。
目的は、ルークさんに会うこと。
ただし、事件について聞き出すためではない。
王女様の研究に関する、正式な相談だ。
面会には図書館側の許可を取り、セリスも同席してくれることになった。
「……成田さん」
小さな応接室に入ると、ルークさんが立ち上がった。
少し顔色が悪い。
無理もない。
事件の関係者として調査を受けながら、仕事も制限されているのだから。
「こんにちは、ルークさん」
「……殿下は、お元気ですか?」
第一声が、それか。
「はい。研究を続けていらっしゃいますよ」
「……そうですか」
ルークさんの表情が、少し和らいだ。
「今日は、その研究についてご相談があって来ました」
俺は、王女様から預かった研究計画書を取り出した。
「殿下は、複数の研究者で資料を確認する体制を考えていらっしゃいます」
「……複数の?」
「はい。ルークさんが正式に研究担当者として登録されるまでの間も、研究を止めないためです」
ルークさんは、書類を見つめた。
「……僕が戻れなくても、研究は続けられるんですね」
「そうですね」
俺は頷いた。
「でも、それはルークさんが必要ないという意味ではありません」
「……え?」
「殿下は、あなたと一緒に研究を続けたいとおっしゃっています」
ルークさんは、目を見開いた。
「……本当ですか?」
「はい」
俺は、少し笑った。
「だからこそ、今は正式な手続きを守って待ちましょう」
ルークさんは、しばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
◇◆◇
「それと、ルークさん」
「はい?」
「研究のことで、一つだけ確認させてください」
俺は、王女様が見つけた古い地図の写しを取り出した。
「第五の領地が王家の直轄地になった記録について、何かご存じですか?」
ルークさんは、地図を覗き込んだ。
「……ああ」
そして、小さく頷いた。
「その記録なら、見たことがあります」
「……本当ですか?」
「はい。以前、殿下と一緒に婚姻同盟の資料を調べていた時に」
ルークさんは、少し考えた。
「ただ……」
「……ただ?」
「土地の管理権を返還したという記録と、別の資料の記述が食い違っていたんです」
「……食い違い?」
「はい」
ルークさんは、慎重に言葉を選んだ。
「後の時代に作られた貴族家の系譜には、第五の家が断絶したと書かれていました」
……なるほど。
「でも、土地の管理権を返還しただけなら、家そのものが断絶したとは限らないですね」
「そうなんです」
ルークさんは頷いた。
「だから、当時の誓約書を確認したかったんです」
「……誓約書?」
「はい。第五の婚姻同盟が、どんな条件で結ばれたのかを記した原本です」
……おお。
それは重要そうだ。
「その原本は、どこに?」
ルークさんは、少し困った顔をした。
「……所在がわからないんです」
「……そうですか」
「ただ、古い目録には名前が残っていました」
「何という名前ですか?」
ルークさんは答えた。
「『第五誓約原本』です」
……なるほど。
また一つ、調べるべき資料が増えた。
◇◆◇
面会を終えたあと。
セリスが、俺に声をかけた。
「成田殿」
「はい?」
「今の話、担当官にも伝えておこう」
「……研究の話ですよ?」
「ああ。だが、盗まれた古文書と第五の誓約が関係しているなら、調査の参考になるかもしれない」
……なるほど。
確かに。
「お願いします。ただ、ルークさんが資料を探していたことだけで、また疑われないといいんですが」
セリスは、少し表情を引き締めた。
「そこは、証拠を見て判断する」
「……はい」
俺は頷いた。
そうだ。
疑わしい行動があったとしても、それだけで犯人とは決められない。
逆に、いい人だから無実だとも言い切れない。
……難しいなぁ。
人の気持ちを聞くことには慣れていても、事件の真相を見抜く能力なんて俺にはない。
◇◆◇
夕方。
王宮に戻ると、アルベルト総監から呼び出しがあった。
「成田殿。少し聞いてほしい」
「……はい」
総監は、机の上に一枚の書類を置いた。
「文書管理部門の古い担当者名簿が見つかった」
「……おお」
「鍵の複製に使われた可能性がある術式を、過去に扱っていた者たちの名前だ」
俺は書類を見た。
何人もの名前が並んでいる。
その中に、見覚えのある名前があった。
【オズワルド・ベルク】
……うわぁ。
また、この人か。
「……ベルク卿も、使えたんですか?」
「正確には、術式を扱う部署の管理責任者だった。本人が魔術を使えたかは、まだわからん」
「……なるほど」
俺は頷いた。
そこは、大きな違いだ。
「それと、もう一人」
総監は、名簿の別の行を指さした。
【ユリウス・ハーゼン】
……え?
「ユリウスさんも?」
「ああ。彼は七年前に外交顧問室へ異動する前、文書管理部門で研修を受けていた」
「……そうなんですか」
なるほど。
予備鍵を借りた本人が、鍵の複製に関わる技術を知っていた可能性がある。
……でも。
それだけで犯人とは言えない。
「担当官は、ユリウスさんに確認するんですね?」
「すでに手配している」
総監は頷いた。
「ただ、もう一つ気になることがある」
「……何でしょう?」
「ユリウスが研修を受けた当時、文書管理部門には、別の責任者がいた」
「……別の?」
総監は、名簿の上部を指さした。
そこには、こう書かれていた。
【文書管理部門・副責任者】
【氏名:マティアス・クロイツ】
……知らない名前だ。
「この方は?」
「現在は王宮の記録監査官を務めている」
「……記録監査官?」
「王宮の公文書や、重要な契約書の管理状況を監査する役職だ」
……なるほど。
つまり、文書管理の専門家。
「その方も、調査対象なんですか?」
「現時点では、関係者の一人だ」
総監は、慎重に答えた。
「古い術式について、事情を聞く必要がある」
「……そうですか」
俺は頷いた。
……また、新しい名前が出てきた。
でも、今度こそ。
名前が出ただけで、怪しいと決めつけるのはやめよう。
◇◆◇
その夜。
王宮の記録監査室。
一人の男が、机に向かっていた。
四十代半ば。
整えられた黒髪に、細い銀縁の眼鏡。
マティアス・クロイツ。
王宮記録監査官。
彼は、部下から届けられた報告書を読んでいた。
【王立図書館・古文書盗難事件】
【予備鍵に複製魔術の痕跡を確認】
【過去の文書管理部門担当者への聞き取りを予定】
「……なるほど」
マティアスは、静かに呟いた。
「ずいぶん丁寧に調べているようですね」
そして、書類を閉じた。
机の隅には、王宮の婚姻政策に関する監査資料が置かれている。
マティアスは、その表紙に目を向けた。
【王家婚姻同盟関連文書・保管状況確認】
彼は、しばらくそれを見つめていた。
「……第五の誓約、ですか」
小さく呟く。
その声には、驚きも焦りもなかった。
ただ、何かを確かめるような響きだけがあった。
やがて、マティアスは立ち上がった。
そして、部屋の鍵を閉めた。
――第29話・完――
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