第20話「王女様の縁談、十年前から仕組まれていた件」
「十年前に神殿の調査記録を持ち出した文官が、王女殿下の縁談に関わっていた……?」
俺はアルベルト総監の言葉を繰り返した。
「そうだ」
「でも、十年前って、王女様はまだ子供ですよね?」
「もちろん、当時から具体的な婚約を進めていたわけではない」
総監は頷いた。
「王族の将来の婚姻を見据え、有力貴族との関係を調整する仕事を担当していたのだ」
……なるほど。
つまり、将来の縁談に備えた下準備か。
王族って大変だなぁ。
本人が恋愛を考える年齢になる前から、周囲が結婚相手の候補を考えている。
「それで、その文官というのは?」
「オズワルド・ベルク。現在は王宮の外交顧問を務めている」
……外交顧問。
いかにも偉そうな肩書きだ。
「その方が、古文書を盗んだ可能性があるんですか?」
「まだ何もわからん。十年前に正式な手続きで閲覧したという記録があるだけだ」
「……ですよね」
十年前に本を読んだから、昨日の泥棒だ。
そんな理屈が通るなら、図書館の利用者は全員容疑者になってしまう。
「ただ、ベルク卿は現在も王女殿下の婚姻政策について助言している」
「……それは、少し気になりますね」
総監は静かに頷いた。
「私もだ」
◇◆◇
「成田殿。君に頼みがある」
「……何でしょう?」
「ベルク卿と会ってもらいたい」
「…………はい?」
俺は思わず聞き返した。
「えーっと。俺が、ですか?」
「そうだ」
「外交顧問の方と?」
「そうだ」
「……なぜ?」
総監は、少しだけ口元を緩めた。
「君は王女殿下の相談役だ。婚姻政策に関わる者と意見を交わすのは、不自然ではない」
……ああ。
そういうことか。
いや、待って。
「まさか、俺に探りを入れてこいと?」
「そこまでは言っておらん」
……言ってないだけですよね?
俺、そういう駆け引きは苦手なんですけど。
「捜査は担当官が進める。君には、婚姻政策について率直な意見を聞いてきてほしい」
「……それなら」
俺は頷いた。
「ただし、相手を疑っていることを前提に話すのは、避けたいです」
「構わん」
……よし。
それなら、仕事の範囲内だ。
たぶん。
◇◆◇
案内された応接室には、初老の男性が座っていた。
灰色の髪をきれいに整え、深緑色の上着を着ている。
「君が、成田和彦殿か」
「はい。初めまして」
「オズワルド・ベルクだ。話は聞いているよ」
男性は柔らかく微笑んだ。
「騎士団の人間関係を改善し、今度は王女殿下の相談に乗っているそうだね」
「いやぁ。大したことはしていません」
「謙遜する必要はない。人の心を扱う仕事は、難しいものだ」
……おお。
話が通じそうな人だ。
少なくとも、いきなり怒鳴られることはなさそう。
「それで、今日は何の話かな?」
「王女様の婚姻政策について、少し教えていただきたくて」
「なるほど」
ベルク卿は紅茶を一口飲んだ。
「殿下が七人の候補を断られた件だね」
「はい」
「難しい問題だ。陛下は殿下の意思を尊重したい。しかし、王国の外交も無視できない」
……うん。
そこは理解できる。
「候補の方々は、どのような基準で選ばれたんでしょう?」
「家柄、財力、領地の安定、周辺諸国との関係。いずれも重要な条件だ」
「なるほど」
「もちろん、本人の資質も調べている」
「……王女様との相性は?」
ベルク卿は少し考えた。
「相性とは、具体的には?」
「例えば、会話が合うか。価値観が近いか。お互いの生活を尊重できそうか、ということです」
「……ふむ」
ベルク卿は顎に手を当てた。
「王族の婚姻において、それらは優先順位が低い」
……まあ。
そうだろうな。
「ですが、無視していい条件でもないと思います」
「ほう?」
「結婚したあとも、二人の生活は続きますから」
ベルク卿は、しばらく俺を見つめていた。
「……君は、なかなか興味深いことを言う」
◇◆◇
「一つ、聞いてもいいかな?」
「はい」
「君は、殿下に結婚していただくべきだと思うかね?」
……来た。
答えにくい質問だ。
「王女様が結婚するかどうかは、ご本人の意思が大切だと思います」
「それでは国家が困る場合もある」
「そうですね」
俺は頷いた。
「だから、王国に必要な条件と、王女様が大切にしたい条件を、両方整理する必要があると思うんです」
「……両方?」
「はい。どちらか一方を無視して決めても、後で問題になる可能性がありますから」
ベルク卿は小さく笑った。
「君は、理想家だな」
「……よく言われます」
いや。
実際には、そんなに言われないけど。
「しかし、現実には期限がある。来春の建国祭までに方針を示さねばならん」
「はい。伺っています」
「そのためには、殿下にも歩み寄っていただく必要がある」
……歩み寄り、か。
便利な言葉だ。
でも、それが片方だけに我慢を求める意味になってはいけない。
「王国側にも、歩み寄れる部分はあるんでしょうか?」
俺が尋ねると、ベルク卿の笑みが少し薄くなった。
「……例えば?」
「候補者との面談を、政治的な条件の交渉とは別に設けるとか。王女様の研究を続けられる環境を、婚姻条件に含めるとか」
「……研究、か」
ベルク卿が静かに呟いた。
「殿下は、まだ歴史の研究を続けておられるのだね」
「はい。とても熱心ですよ」
「……そうか」
その一瞬。
ベルク卿の表情が、わずかに曇った気がした。
◇◆◇
「歴史研究に、何か問題があるんでしょうか?」
俺が尋ねると、ベルク卿は首を振った。
「いや。学問を愛するのは結構なことだ」
「そうですか」
「ただし、古い記録には、現在の制度とは異なる考え方も記されている」
……ん?
「それは、そうでしょうね」
「若い方が、過去の制度をそのまま現代に当てはめようとすると、誤解が生じることもある」
……なるほど。
一般論としては正しい。
でも。
なぜ今、その話を?
「王女様は、資料を慎重に読み比べているようでしたよ」
「……それならよい」
ベルク卿は微笑みを戻した。
「ところで、成田殿」
「はい?」
「殿下がどの時代の歴史に興味を持っておられるか、聞いてもよいかな?」
……おっと。
そこまで話していいのか?
王女様から研究内容を聞いたのは、相談の流れだった。
本人の許可なく詳しく話すのは、ちょっと違う。
「申し訳ありません。研究内容については、王女様ご本人に確認していただければ」
ベルク卿は一瞬だけ目を細めた。
「……なるほど。口が堅い」
「相談員ですので」
俺は軽く頭を下げた。
……いやぁ。
こういう場面で守秘義務が役に立つとは思わなかった。
◇◆◇
応接室を出ると、俺は長い廊下を歩きながら息を吐いた。
「……疲れたぁ」
『――おじさん、ずっと笑ってましたね!』
肩のミドリが念話で話しかけてくる。
「笑ってないと、顔が引きつりそうだったからね」
『――あの人、怖い人なんですか?』
「……わからない」
俺は正直に答えた。
ベルク卿は、礼儀正しかった。
話も筋が通っていた。
ただ、王女様の研究内容を気にしているようには見えた。
それだけで何かを決めつけるわけにはいかない。
「総監に、話した内容だけ報告しよう」
そう呟いた時だった。
「成田殿!」
前方から、セリスが駆け寄ってきた。
「……セリスさん?」
「ルークの件で進展があった」
「本当ですか?」
「ああ。保管室の入退室記録を調べ直したところ、記録を消した方法がわかったらしい」
「……おお!」
ついに犯人が?
俺が身を乗り出すと、セリスは首を振った。
「犯人はまだわからない。ただ、記録の消去には特殊な権限が必要だったそうだ」
「……特殊な権限?」
「王立図書館の司書には与えられていない権限だ」
……え?
じゃあ、ルークさんには記録を消せない?
「少なくとも、通常の方法ではな」
セリスは頷いた。
「そして、その権限を持つ者の一覧が確認された」
「……誰がいるんですか?」
セリスは、少し声を落とした。
「王宮の上級文官、宮廷魔術師の一部、そして――」
そこで一度、言葉を切った。
「外交顧問オズワルド・ベルクも、その一人だ」
「…………」
……えええ!?
さっきまで、普通に紅茶を飲みながら話してたんですけど!?
いや、待て。
権限があることと、実際に使ったことは別だ。
それに、ほかにも使える人はいる。
……落ち着け、俺。
ここで決めつけたら、ルークさんを疑った人たちと同じになってしまう。
「……セリスさん」
「何だ?」
「その権限、誰が使ったかまでは記録されていないんですか?」
「それを、今調べている」
……なるほど。
まだ、わからないことだらけだ。
俺は廊下の先を見つめた。
王女様の政略結婚。
三百年前の婚姻同盟。
境界の神殿。
そして、古文書の盗難事件。
……これ、本当に全部つながっているのか?
それとも、俺が勝手にそう思っているだけなのか?
ただ一つ、確かなことがある。
誰かを疑う前に、もっと話を聞かなきゃいけない。
……それが、俺にできる仕事だから。
――第20話・完――
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