#9-1
◇◇◇
侑は、白い門の前に立っていた。
奥に広がるのは、底の見えない漆黒。
三日前、あの少女を追って飛び込んだ時と、同じ闇だ。
あの時と違うのは、今の俺には、武器がある。
そして、逃げるためではなく、攻略するために入るということ。
「……零奈が起きるまでには何があっても帰る。」
そう小さく呟いて、侑は門へ足を踏み入れた。
一瞬の浮遊感。
音が消え、光が消え、世界が反転する。
次の瞬間、足裏に、硬い石畳の感触が戻ってきた。
「……ここは。」
そこは、霧に沈んだ古い社の跡だった。
朽ちた鳥居。
苔むした石灯籠。
折れた幟が、風もないのに揺れている。
森でも、荒野でもない。
どこか懐かしく、そして異様に静かな――和の異界。
あの森とは、まるで空気が違った。
《源光の門 内部に侵入》
《推奨レベル:20》
《現在レベル:1》
「……推奨レベル20。」
侑は苦笑した。
「今のレベル、1なんだけどな。」
その時、霧の向こうから何かが近づいてくる気配がした。
ずるり、と石畳を這う音。
やがて霧を割って現れたのは、黒い靄をまとった、人型の影だった。
落武者の亡霊――そう呼ぶのが、一番近いだろう。
うつろな目が、侑を捉える。
「……初めての、相手か。」
侑は槍を構えた。
初めての、実戦。
怨兵が、朽ちた刀を振り上げ、突っ込んでくる。
遅い。
はっきりと、そう感じた。
七曜の【槍術】が、身体を導く。
侑は半歩踏み込み、最短距離で槍を突き出した。
ズンッ。
穂先が、怨兵の胸を貫く。
黒い靄が、霧散する。
手応えはあっけないほど軽かった。
《怨兵を討伐》
《経験値を獲得》
《レベルアップ》
《Lv1 → Lv4》
「……上がった。」
一体倒すだけで、三つもレベルが上がる。
推奨レベル20の門だ。
一体一体の魔物が、外の世界とは比べ物にならないほど濃いのだろう。
だが、感傷に浸る暇はなかった。
霧の奥から、次々と怨兵が湧いてくる。
二体。
三体。
五体。
侑は槍を振るう。
突き、薙ぎ、回転。
七曜が与えた技術が、無駄なく敵を捌いていく。
一体倒すごとに、身体が軽くなっていく。
レベルが上がり、力が満ちていくのが、はっきりと分かった。
《Lv4 → Lv7》
《Lv7 → Lv9》
「……なるほど。」
それにしても、上がり方が異常だった。
戦いながら、侑は理解する。
これが、能力者が門で強くなる仕組みか。
いや――違う。
《補足》
《七曜の継承者は、経験値取得に大幅な補正がかかります。》
「……そういうことか。」
システムの淡々とした一文で、腑に落ちた。
門の中で一気にレベルを稼げるのは、能力者共通の仕組み。
だが、この異常な上がり方は、七曜そのものの力だ。
最後の怨兵を突き伏せ、侑は息を吐いた。
霧が、少しだけ晴れる。
その先に古い、崩れかけた社殿が見えた。
そして、その石段の上に。
一人の人影が、立っていた。
◇
黒い装束。
枯れ枝のように痩せた身体。
白い髪。
深く刻まれた皺。
老人だった。
だが、その手に握られた一本の槍が、この老人がただ者ではないと告げていた。
穂先は、微動だにしない。
まるで、そこだけ時間が止まっているかのように。
《門主》
《源光 -Genmitsu- Aランク》
「……あんたが、源光か。」
侑は、静かに問いかける。
老人は、答えなかった。
ただ、その落ち窪んだ双眸が、じっと侑を見据えている。
値踏みするような、静かな視線。
そして、ゆっくりと槍を構えた。
それが、答えだった。
次の瞬間。
源光の姿が、掻き消えた。
「――っ!?」
気づいた時には、穂先が目の前にあった。
侑は咄嗟に、槍の柄でそれを受ける。
ガキンッ。
重い。
そして、速い。
たった一撃で、侑の腕が痺れた。
(速すぎる……!)
怨兵とは、次元が違う。
いや、比べることすら失礼だ。
これが、Aランク。
これが、槍の達人。
そして、そこから――地獄が始まった。
源光の槍が、止まらない。
突き。
薙ぎ。
石突きの打撃。
右から。
左から。
上段から。
下段から。
まるで、無数の槍に囲まれているかのようだった。
一つ一つが正確で、重く、そして無駄がない。
七曜の【槍術】で受け続けても、まるで追いつかない。
「くっ……あぐっ……!」
一撃を受けるたび、身体が軋む。
二撃目で、体勢が崩れる。
三撃目で、吹き飛ばされた。
背中から、石畳へ叩きつけられる。
「がはっ……!」
肺の空気が、一気に押し出される。
だが、休む間などない。
源光は既に、次の間合いへ入っていた。
侑は転がるように、その穂先から逃れる。
突き込まれた槍が、石畳を砕く。
石の破片が、頬を切り裂いた。
(起きろ……立て……!)
侑は歯を食いしばり、立ち上がる。
そして槍を構え――反撃を試みる。
渾身の突き。
だが、源光は、それを見てすらいなかった。
半身をずらすだけで、侑の槍は空を切る。
そして、がら空きになった脇腹へ、石突きが叩き込まれた。
ゴッ。
「かはっ……!?」
肋骨が、軋む音がした。
侑の身体が、くの字に折れる。
そこへ、追撃。
柄で顎を撥ね上げられ、視界が白く弾けた。
「ぐぅっ!」
再び、地面を転がる。
口の中に、鉄の味が広がった。
血だ。
唇が切れ、頬が腫れ、あちこちから血が滲んでいる。
「……はぁ……はぁ……。」
もう、何度倒されたか分からない。
立っては、叩きのめされ。
また立っては、吹き飛ばされる。
その繰り返しだった。
源光は、一言も発さない。
ただ、淡々と。
まるで、稽古でもつけるように、侑を打ち据え続ける。
その表情には、怒りも、殺意もない。
そこにあるのは、絶対的な"格の違い"だけだった。
(なんだよこいつ...勝てる要素が……何一つ、ないじゃねーか……。)
侑の意識が朦朧とする。
眼の前に立ちはだかるは圧倒的な強者。
その強者は、倒れ込んだ侑を静かに見ていた。
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