#9-2
◇◇◇
圧倒的な相手とのやり取りの中で、小さくてもいい。
自分にできることがないか必死に考える。
ヴリドラの時と同じだ。
観察しろ。
弱点を、探せ。
だが、探せば探すほど、絶望が深くなる。
源光には、隙がなかった。
派手な大技があるわけではない。
特別な魔法があるわけでもない。
ただ、槍を扱う上での基本のすべてが、あり得ないほど高い水準で完成されている。
速さ。
重さ。
正確さ。
間合いの支配。
そして、こちらの動きを、動く前に読み切る眼。
どれ一つとして、付け入る隙がない。
(全てが、完璧すぎる……!)
それこそが、この老人の恐ろしさだった。
奇策も、罠も通じない。
正面から挑めば、正面から捻り潰される。
搦め手を使えば、それすら読まれて刈り取られる。
それが、源光という達人だった。
侑の全身は、もはや傷だらけだった。
右の眉から流れる血が、視界を赤く染める。
折れかけた肋骨が、呼吸のたびに悲鳴を上げる。
足が、震えている。
それでも、
「……まだだ。」
侑は、立ち上がった。
「まだ……終わってねぇ。」
零奈の顔が、脳裏をよぎる。
ここで死ねば、あの子はまた一人になる。
両親に続いて、兄まで失うことになる。
それだけは、絶対に――。
「させねぇ……!」
侑は、再び槍を構えた。
その眼には、まだ光が宿っている。
源光の双眸が、ほんの僅か、細くなった。
折れない獲物への、興味だったのかもしれない。
だが、それも一瞬。
源光は再び、静かに槍を構え直した。
侑が、地を蹴る。
渾身の連撃。
突き、薙ぎ、突き。
七曜が与えた技術の、すべてを注ぎ込む。
だが、源光は、その全てを最小限の動きで捌いた。
そして、侑の握力が、限界を訴えた瞬間。
それを、源光は見逃さなかった。
落ち窪んだ双眸が、鋭く光る。
渾身の一撃が、侑の槍を打ち据えた。
ガンッ!!
甲高い音とともに、侑の手から槍が弾き飛ばされる。
「しまっ...!」
無銘の槍が、宙を舞い――。
そして弾かれた槍が、蒼い光の粒子となって、掻き消えた。
「……え?...がはっ!」
あっけに取られた侑の腹を、源光は思い切り蹴り飛ばす。
ただし痛みは少ない。
それよりも驚きが勝っていた。
消えた。
弾き飛ばされた槍が、どこへも落ちず、光になって消えた。
違う...
消えたんじゃない
《無銘の槍を インベントリへ自動収納》
「……インベントリに、戻った……?」
その一瞬。
侑の頭の中で、何かが繋がった。
七曜の武器は、インベントリに収納されている。
実体化して、手に握る。
手放せば――収納される。
つまり、武器は、いつでも、どこにでも、出し入れできる。
ならば…
(懐で、出せば……!)
閃きは、稲妻のようだった。
源光の槍は、完璧だ。
軌道を読み、間合いを支配し、あらゆる攻撃を捌く。
だが、それは"獲物を握った相手"を前提とした完璧さだ。
武器が、突然消えて。
そして、あり得ない場所から、突然現れたら。
その達人の眼は――どう反応する?
「……試して、みるか。」
侑は、丸腰のまま、地を蹴った。
源光の、懐へ。
槍の達人にとって、最も不利な間合い。
その、ゼロ距離へ飛び込む。
そして、源光の胸元で。
「【槍術】!」
インベントリから、槍を実体化した。
蒼い光が、ゼロ距離でほどける。
穂先が、源光の心臓へ――。
だが、
「――!?」
穂先は、届かなかった。
源光は、侑が懐へ入った刹那、既に反応していた。
槍を大きく手繰り、柄の中ほどを握り込む。
長柄を、一瞬で"短槍"へと持ち替えたのだ。
そして、その短くなった穂先で、侑の突きを、下から弾き上げた。
ガキンッ。
侑の一撃が、あっけなく逸らされる。
(懐でも……対処するのかよ……!)
達人は、懐すら支配していた。
間合いを詰められることすら、想定の内。
長柄が使えないなら、短く持てばいい。
この老人にとっては他愛ない事。
逸らされた侑の身体が、大きく泳ぐ。
そこへ、源光の短い突きが襲いかかった。
避けられない。
穂先が、侑の左肩を貫く。
ズブリ。
「ぐああっ!」
激痛。
だが、侑は倒れなかった。
むしろ――笑った。
朦朧とする意識の中で、たった一つの答えに、辿り着いていたから。
(この達人は、俺のどんな動きも捌く。)
(懐に入っても、武器を消しても、全部……対処される。)
(なら...)
達人の槍が、唯一"止まる"瞬間。
それは――獲物を、貫いた時だ。
肉に食い込んだ穂先は、抜くのに、一瞬かかる。
その刹那だけは、この老人の槍も、動けない。
ならばその一撃を避けずに。
自ら、受ける。
「うぉぉぉぉっ!!」
侑は、貫かれた左肩を、逆に前へ突き出した。
槍をインベントリの中に戻す。
源光の穂先が、肩の肉をさらに深くえぐる。
骨が断たれる音がする。
だが、その激痛の代償に。
源光の槍は、侑の身体に、深々と縫い留められた。
達人の槍が、初めて止まる。
その、コンマ数秒。
「これで――終わりだっ!」
侑は、貫かれた身体ごと、さらに前へ踏み込む。
そして、無事な右手を前に突き出す。
「【槍術】ッ!」
ゼロ距離。
源光の、真正面。
その胸元へ、槍を、インベントリから実体化する。
蒼い光が、心臓の位置で弾けた。
穂先が。
源光の心臓を、深々と貫いた。
ドクンッ。
時が止まる。
源光は、動かなかった。
自らの槍で獲物を貫いた、その硬直の一瞬を、獲物自身が命がけで作り出した。
そして、その隙を寸分違わず突かれた。
それは、この達人が生涯かけて磨いてきた"常識"の、完全な外側にある一撃だった。
源光の口が、僅かに動く。
だが、言葉は出なかった。
最後まで、この老人は、一言も発さなかった。
ただ、貫かれたまま源光は、侑を見た。
その落ち窪んだ双眸が、ゆっくりと細められる。
それは、怒りでも、無念でもなかった。
――強者を、認める眼。
長い年月、槍を極め続けた者が。
命を賭して自分を超えた若者へ向ける。
静かな、敬意の眼差し。
やがて、源光の身体が、黒い装束ごと、さらさらと塵になって崩れていく。
最後に残ったその視線だけが、確かに侑の胸へ焼きついた。
◇
源光が完全に消え去ると、辺りの霧が、嘘のように晴れていった。
侑は、左肩を押さえ、その場に膝をついた。
貫かれた肩からは、まだ血が流れている。
だが、
《門主 源光 -Genmitsu- を討伐》
《源光の門を攻略しました》
その表示と同時に、蒼い光が侑の全身を包んだ。
裂けた肩の肉が、繋がっていく。
折れかけた肋骨が、元へ戻る。
門の攻略報酬か、あるいは継承者への加護か。
痛みが、少しずつ引いていく。
「……クリア、か。」
侑は、大きく息を吐いた。
全身に、どっと疲労が押し寄せる。
勝った、Aランクの達人に。
レベル一桁だった自分が、片腕を差し出してまで、勝った。
まだ、実感が湧かない。
その時、画面がさらに更新される。
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《メインクエスト進捗を更新》
・レベル10到達 ―― 達成
・初めての門を攻略 ―― 達成
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《門攻略報酬を配布します》
《複製対象》
《黒槍 -鴉-》
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光の粒子が集まり、一本の槍が、侑の手の中へ現れる。
漆黒の柄。
鴉の濡れ羽色をした、美しくも禍々しい穂先。
握った瞬間、その重みが、掌へしっくりと馴染んだ。
無銘の練習槍とは、まるで別物。
まるで、この槍が侑を選んだかのような、不思議な一体感があった。
《黒槍 -鴉- を インベントリへ格納》
「……これが、報酬か。」
侑は、しばらくその黒い槍を見つめた。
源光を倒して得た、一振り。
なぜだろう。
この槍を握っていると。
最後に見た、あの老人の眼差しが、静かに思い出された。
――強者と、認められた。
命を賭して掴んだ、その事実だけが、侑の胸に、確かな熱を残していた。
「……行くか。」
侑は、黒槍を収納し立ち上がる。
攻略された門の中央に、帰りの光が静かに口を開けていた。
その光へ、足を踏み入れる。
一瞬の浮遊感。
次の瞬間、足裏に廃神社の冷たい石畳が戻ってきた。
空は、まだ暗い。
夜明けまでは、もう少しある。
門は、跡形もなく消えていた。
「……間に合ったな。」
零奈が起きる前に、帰れる。
侑は、小さく笑って丘を下り始めた。
神話級を生き延び。
Aランクの達人を独りで討った。
命をかける戦いに慣れてきそうな自分がいる。
それが、良いことなのか、悪いことなのかは、まだ分からない。
だが、この力があれば、零奈を守れる。
今は、それだけで十分だった。
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