表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/12

#7

◇ ◇ ◇


翌朝。

カーテンの隙間から差し込む朝日で、目が覚める。


「……よく寝た。」


時計は、午前六時半。

零奈を送り出すために、いつもより早く起きる時間だ。

ベッドから起き上がり、洗面所へ向かう。

蛇口をひねり、水で顔を洗う。

顔を上げた瞬間。


「……。」


鏡の中の自分と、目が合った。

昨日までとは、明らかに違う。

慢性的な寝不足で沈んでいた目の下の隈が、消えている。

栄養も足りず、痩せこけていた頬に、張りが戻っていた。

血色のいい肌。

そして何より。


「……背、伸びてないか、これ。」


鏡の中の自分は、昨日より確実に目線が高い。

肩幅も、胸板も、一回り大きくなっている。

二十歳なのでまだ、伸びる余地はあった。

その伸びしろを、七曜システムが一気に引き出したのだろう。

過労で削れていくばかりだった身体が、本来あるべき姿へ作り替えられていた。


「……悪くはない、けど。」


問題は、別にあった。

着替えようとスーツへ袖を通すと、あちこちが窮屈だった。

肩が張り、袖が短い。


「……スーツまでは、育ってくれないか。」


思わず苦笑する。


「帰りに、直しに出すか……。」


そう呟いて、リビングへ向かう。

台所に立とうとしたらぱたぱたと足音がした。


「おはよ……って、」


寝ぼけ眼でリビングに現れた零奈が、侑を見て固まった。


「……え、お兄ちゃん、なんか、でかくない?」


「気のせいだろ。」


「絶対でかくなってる! 昨日より背高いもん!」


「一晩で背が伸びる人間がいるかよ。」


侑は平然と誤魔化しながら、卵を割る。

零奈は、じっと兄を見つめていた。

その視線には、疑いと――ほんの少しの心配が混じっている。


「……お兄ちゃん、ちゃんと寝てる?」


「寝てるよ。」


「嘘。昨日だって、あんな遅くに帰ってきて。」


零奈は、ぷいとそっぽを向く。


「別に、心配とかじゃないけど。」


「……無理して倒れられても、困るし。」


その言い方が、あまりに不器用で。

侑は、思わず笑ってしまった。


「わかってる。ちゃんと気をつける。」


「……ならいい。」


零奈は、まだ少し膨れたまま、食卓についた。

両親がいなくなってから、三年。

この子は、こうしていつも兄を心配して、それを素直に言えずにいる。

守らなければ、と思う。

昨日、命を懸けてでもあの少女を助けようとしたのも。

きっと、根っこは同じだった。


◇ ◇ ◇


零奈を送り出し、侑もマンションを出る。

階段を降りようとした、その時だった。


「ん?」


足が、軽い。

一段飛ばしどころか、二段飛ばしでもまるで負担がない。

試しに、軽く踏み込む。

トンッ。

身体が、思った以上に前へ飛んだ。


「うおっ!」


慌てて手すりを掴み、転倒だけは免れる。


「……危ねぇ。」


心臓が跳ねる。

今のは完全に、力加減を間違えた。


「身体能力も、変わってるのか。」


昨日は必死だった。

神話級を相手に、逃げることしか考えていなかったから気付かなかった。

今なら、分かる。

歩幅。

脚力。

反応速度。

どれも、確実に向上している。

侑は深呼吸を一つしてから、小さく笑った。


「しばらくは、慣れるのが大変そうだ。」


無意識に力を出せば、人前で怪しまれる。

零奈の前でも、職場でも、普通の顔をしていなければならない。

まず覚えるべきは、"力加減"だった。


◇ ◇ ◇


最寄り駅へ向かう途中。

コンビニへ立ち寄り、コーヒーを買う。

レジ待ちの列でスマートフォンを開くと、ニュースアプリの通知が目に入った。


【速報】


トッカン、昨夜出現した門について会見


侑は、そのまま記事を開く。

壇上へ立つトッカンの職員が、淡々と発表していた。


『昨夜発生した門について、調査結果をご報告します。』


『今回確認された門は、既存の白門とは性質が大きく異なります。』


『内部で観測された魔力量、生態系、空間構造、そのすべてが既存データと一致しません。』


『よって本件を"特異個体案件"として、調査を継続します。』


侑の表情が、僅かに変わる。

やはりあれは、普通ではなかった。

記事は、続く。


『なお当該門は、生還者二名の帰還から約四時間後、前触れなく消滅しました。』


『現在、現場には門の痕跡すら残っておらず、原因は不明です。』


「……消えた?」


侑は思わず、小さく呟く。

門が消える。

そんな話は、ニュースでも聞いたことがない。

画面の下には、専門家のコメントが表示されている。


『門が自然消滅した事例は、国内初となる可能性があります。』


侑はスマートフォンの画面を閉じた。

ヴリドラ。

特異個体。

そして、消えた門。

昨日の出来事は、自分が思っている以上に、世界へ大きな波紋を広げているのかもしれない。

そんな予感だけが、胸の奥へ静かに残っていた。


◇◇◇


東京都千代田区。

日本最大ギルド――ヘヴンズ本部。

最上階にある会議室には、幹部たちが静かに集められていた。

巨大なスクリーンには、昨夜出現した門の映像と、膨大な解析データが映し出されている。


「魔力量は?」


低く落ち着いた声が響く。

部屋の奥。

椅子へ深く腰掛けている男。

ヘヴンズのギルドマスター。

城崎 賢治。

日本を代表するSランク能力者の一人。

部下が資料をめくる。


「通常の白門の、およそ四百七十倍です。」


会議室が、静まり返る。


「あり得ません。」


「計測機器の故障では?」


誰かが、そう口にする。

しかし城崎は、首を横へ振った。


「違う。」


その一言だけで、全員が黙る。


「トッカンの計測器が壊れるとは思えません。」


隣へ座る副ギルドマスター。

桐谷 真弓が、静かに口を開く。


「魔力量だけなら、黒門以上。」


「生還者は二名。」


「しかも門は、四時間後に消滅。」


資料を見つめながら、続ける。


「情報同士が、噛み合いません。」


城崎はスクリーンを見つめたまま、呟いた。


「……中で、何かが起きた。」


「それだけは、確かだ。」


しばらく、沈黙が流れる。

やがて城崎は、椅子から立ち上がった。


「生還者の身元は、もう割れているな?」


桐谷が頷く。


「はい。二十歳の、一般の会社員です。能力歴はありません。」


「妹と二人暮らし。両親は、数年前から行方不明――と。」


「そうか。」


城崎は、短く息を吐いた。

そして、幹部たちを見回す。


「調査班を張り付けて、生活を洗う。」


そこまで言いかけて、城崎は自分で首を振った。


「……いや、やめだ。」


桐谷が、僅かに目を見開く。


「マスター?」


「回りくどいのは、性に合わん。」


城崎は、無精髭の顎を撫でた。


「探偵ごっこで一週間かけて調べたところで、結局は本人に聞くのが一番早い。」


「俺が、直接会いに行く。」


会議室が、ざわついた。


「お待ちください。」


一人の幹部が、思わず腰を浮かせる。


「ギルドマスター自らなど……。相手の正体も、まだ分からないのですよ。」


「だから会うんだ。」


城崎の口元に、僅かな笑みが浮かぶ。


「Sランクが雁首揃えて、こそこそ尾行する方がよっぽど怪しいだろう。」


「一人で、茶でも飲みに行く。その方が早いし、角も立たん。」


桐谷は、小さく息を吐いた。

このギルドマスターが一度こう言い出すと、誰にも止められない。

それは、長年隣で見てきた彼女が、一番よく知っていた。


「……敵意はないと、示すのですね。」


「ああ。」


城崎は、上着を羽織る。


「敵に回す理由が、どこにもない。」


「一般人が、神話級かもしれん門から少女を守って帰ってきた。」


「そんな面白い奴、敵にするにはもったいないだろう。」


そう言って、城崎は会議室を出ていった。

残された幹部たちは、顔を見合わせる。

止められる者は、誰もいなかった。


◇ ◇ ◇


東京都郊外。

牙王組本部。

木造の、重厚な会議室。

壁には無数の武器が飾られている。

机を囲む男たちは皆、歴戦の能力者だった。


「門が……消えただぁ?」


資料を机へ叩きつけたのは、組長。

大問 徹人。

傷だらけの大男は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「国内初です。」


「原因は、不明。」


幹部が答える。

大問は腕を組み、目を閉じた。


「討伐された可能性は?」


「ありません。」


「魔石も、素材も確認されていません。」


「なら、違うな。」


大問は即座に否定した。


「もし討伐なら、何か残る。」


「何も残ってねぇってことは、もっと別の理由だ。」


誰も、反論できない。

しばらく沈黙が続いたあと、大問が笑った。


「面白ぇ。」


「久々に、血が騒ぐ。」


その笑みを見た幹部たちは、誰も笑わなかった。

彼が本気で興味を持つ時ほど危険だと、知っているからだ。


◇ ◇ ◇


横浜。

高層ビル、最上階。

スターリング本部。

スクリーンへ映し出された魔力波形を、一人の男が静かに眺めていた。

ギルドマスター。

葉壁 悠真。

世界でも二人しか存在しない、二属性魔法の使い手。

その瞳は、解析データを一つ一つ読み取っていく。


「……解析不能。」


誰にも聞こえないほど、小さく呟く。

幹部が、恐る恐る尋ねた。


「葉壁さん。」


「もし、その魔力の主と戦ったら……。」


葉壁は、少しだけ考えた。

そして、静かに答える。


「勝てるかどうか、分かりませんね……」


その一言で、空気が凍りつく。


「私一人でも。」


「三大ギルド全員でも。」


「恐らく、結果は変わらないと思います。」


誰一人として、言葉を返せなかった。


◇ ◇ ◇


その頃。

侑は、まだ何も知らないでいた。

三大ギルドが動き出したことも。

その一つのギルドマスターが、自分に会いに来ようとしていることも。

そして――一般には存在すら公表されない、あの機関までもが、静かに自分を見始めていることも。


「おはようございます。」


侑はいつも通り、会社の自動ドアをくぐった。

受付の女性が、顔を上げる。


「……え?」


そのまま、固まる。

侑は、苦笑いを浮かべた。


「桜咲です。」


「……桜咲、さん?」


驚きの声に、近くの社員たちまで振り向く。


「えっ!? 桜咲くん!?」


「なんか、ガタイ良くなってない?」


「背も伸びてないか、これ!」


あっという間に、人だかりができた。


「何かのトレーニング始めたの?」


「プロテインの名前、教えて!」


「その方法、俺にも教えてくれ!」


口々に飛んでくる言葉に、侑は肩をすくめる。


「……妹が、よく食べさせるんですよ。」


苦しすぎる言い訳だった。

だが他に、説明のしようがない。

まさか、神話級の化け物から生き延びた副産物です、とは言えない。


「若い子は成長期が長いなぁ!」


「羨ましいっ!」


同僚たちは、勝手に納得してくれた。

侑は内心で、ほっと息を吐く。

どうやら人間は、理解できない出来事を、都合よく解釈してくれるらしい。


「桜咲くん、朝から騒がしくてごめんな。」


苦笑しながら声をかけてきたのは、直属の上司だった。


「叔父さんから、くれぐれもよろしくと言われててな。」


「無理はしてないか? 妹さんと二人、大変だろう。」


「……大丈夫です。ありがとうございます。」


侑は、小さく頭を下げた。

叔父の口利きで入った会社だ。

だが、周囲は侑の事情を知った上で、いつも気にかけてくれる。

両親がいないこと。

中学生の妹と、二人で生きていること。

それを、憐れむでもなく、ただ自然に支えてくれる。

この職場のそういうところが、侑は嫌いではなかった。


.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ