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3/12

#3


世界が、再び音を取り戻す。

ドラゴンの爪が迫る。

侑は反射的に少女を抱え、横へ転がった。

轟音。

先ほどまで立っていた場所が、巨大な爪によって消し飛ぶ。

土煙の中、画面だけが冷静に文字を刻む。


《残り29秒》


「……そういうことか。」


侑は理解した。

これは、システムによる確認だ。

どんな状況でも、この意思を失わない人間かどうか。

七曜システムの、継承クエスト。

そして侑は、まだ武器の一つも握ったことのない、ただの二十歳のまま、神話級の存在から、三十秒間生き残らなければならない。

ヴリドラが低く喉を鳴らす。

その視線は、なおも少女へ向けられていた。


(まずい...!)


侑は瞬時に判断する。

このままでは、少女が狙われる。

自分が逃げ回ったところで、意味はない。

ならば、


「おい、デカブツ。」


侑はヴリドラへ向かって、一歩踏み出した。

足は、震えていた。

喉は、渇ききっている。

それでも、無理やり口角を上げる。


「お前が、神話級ってやつか?」


ヴリドラの瞳が、ゆっくりと侑へ向く。


「その図体で、女の子を相手にするのかよ。」


返事はない。

だから、さらに続ける。


「随分と安い"神話"だな。」


空気が変わった。

森中の木々が軋む。

巨大な殺気が、侑一人へ集中する。

その瞬間。

少女への視線が、外れた。


(よし。)


成功した。

侑は、心の中だけで呟く。

自分を狙わせること。

それだけが、目的だった。


『……人間。』


ヴリドラが、初めて侑だけを見据える。


『我を侮辱するか。』


「あぁ...」


足は、今にも逃げ出したい。

全身の本能が、悲鳴を上げている。

それでも、侑は目を逸らさなかった。


「子供をいたぶるトカゲなんて、大したことないだろ。」


ヴリドラの翼が、ゆっくりと広がる。

森を覆うほどの、巨大な翼。

空気が震え、大地が悲鳴を上げる。

その瞬間、画面の数字が変化した。


《生存率を再計算中》


《対象行動を反映》


《攻撃対象変更を確認》


《現在生存率》


0.00001% → 0.000002%


侑は思わず苦笑した。


「……下がってんじゃねぇか。」


それでも、ゼロではない。

なら、やるしかない。

侑に英雄の経験はない。

戦闘の経験も当然ない。

だが、「相手を観察して、生き残るための最善を選び続ける」こと。

それだけは、この三年で嫌というほどやってきた。

両親が消えてからまだ子供だった侑は、いくつもの大人に頭を下げてきた。

役所で、銀行で、学校で。

夜のバイト先では、酔った客の理不尽を笑顔で受け流してきた。

感情的になった相手が、次にどう動くか。

それを読むことだけは、誰よりもやってきた。


(怒った相手は、視野が狭くなる。)


居酒屋の床で、何度も見てきた光景だ。

頭に血が上った人間は、動きが単調になる。


(まずは、動きを読む。)


ヴリドラの肩が、僅かに沈む。

翼が、逆方向へ流れる。

巨大な尾が、地面を払うように動いた。


(来るっ!)


侑は考えるより先に、横へ飛び込んだ。

次の瞬間。

轟音とともに、さっきまで立っていた場所が消し飛んだ。

土も、岩も、木々も、まとめて吹き飛ぶ。

もし半歩遅れていれば、肉片すら残らなかっただろう。


《残り27秒》


地面へ転がった侑は、すぐさま立ち上がる。

背後で、大地が崩れる轟音だけが響く。


(まずは、距離を取る。)


まず状況を把握する。

相手を観察する。

最善手を探す。

それだけは、誰にも負けない自信があった。

ヴリドラは翼を広げたまま、動かない。

巨大な瞳だけが、侑を追っている。


(……見てる。)


攻撃ではない。

観察されている。

侑は直感した。

あの竜は、自分を試している。


《残り24秒》


侑は呼吸を整える。


(予備動作が、ある。)


翼。

尾。

首。

あの巨体だ。

攻撃の前には、必ず重心が動く。

それが唯一、人間に残された可能性。


「全部……見ろ。」


自分に言い聞かせる。

視線を外すな。

恐怖を見るな。

動きを、見ろ。


『ほう。』


ヴリドラが、初めて感心したように呟く。


『避けるか。』


その声には、怒りも殺意もない。

珍しい虫を眺めるような、興味だけがあった。

侑は答えない。

答える余裕など、ない。

巨大な前脚が持ち上がる。


(左……いや、違う。)


影だ。

脚ではない。

翼で風圧を起こして、進路を塞ぐ気だ。

侑は真横ではなく、前方へ滑り込んだ。

直後、暴風が森を切り裂く。

立っていれば、身体ごと吹き飛ばされていた。


「当たりか……!」


読みが、当たった。

偶然ではない。

観察した結果だ。


《残り20秒》

《生存率を再計算》


0.00018% → 0.00037%


「焼け石に水だな……。」


苦笑する。

それでも、ゼロではない。

ヴリドラは鼻を鳴らした。


『知恵だけは、あるようだ。』


巨大な黄金の瞳が、細くなる。


『ならば、もう少し見よう。』


今度はブレスの、予備動作。

胸が赤く光る。

空気が熱を帯びる。

侑は走る。

一直線ではない。

強烈な黒炎が、ヴリドラの口から吐き出される。

木を盾にし、岩陰へ飛び込み、爆風を利用してさらに前へ。

爆発の衝撃で転がされながらも、致命傷だけは避け続ける。

頬が裂ける。

腕が焼ける。

肺が悲鳴を上げる。

それでも、まだ立てる。

まだ、終わらない。


《残り15秒》


ヴリドラは、静かに侑を見つめていた。

そして、

初めて、その表情が変わる。


『……妙だ。』


侑は気づかない。

だがヴリドラは、見ていた。

普通の人間なら、とっくに恐怖で足が止まる。

だが、この男は違う。

恐怖を抱えたまま、考え続けている。

生き残るために。

誰かを守るために。


『面白い。』


その一言とともに。

ヴリドラの巨大な魔力が、解放された。


ゴォォォォォォッ!!


空が裂ける。

森全体が押し潰されるような、圧力。

地面に無数の亀裂が走り、空気そのものが悲鳴を上げる。

侑の身体が、勝手に膝をつく。


「ぐっ……!」


息ができない。

立っているだけで、全身の骨が軋む。

今までとは違う。

圧倒的な"格"の差。

ヴリドラは、ようやく侑を「相手」として見始めたのだ。


『ここまでは、戯れだ。』


竜の低い声が、森を震わせる。


『耐えられるなら、耐えてみせよ。』


侑はゆっくりと顔を上げた。

視界の端で、青白い画面が静かに数字を刻む。


《残り10秒》


ヴリドラの瞳から、興味という色が消えた。

代わりに宿ったのは、ほんの僅かな本気。


『その程度の命でどうこの場をしのぐ?』


竜が静かに口を開く。

そして、胸の奥が赤黒く輝く。

空気が焼ける。

地面に落ちた枯れ葉が、火もついていないのに炭へと変わっていく。


(まずい……。)


今までとは、桁が違う。

あれは避けるとか、防ぐとか、そんな次元の攻撃ではない。

侑は周囲を見回した。

門。

まだ遠い。


少女は?

動けるようになったのか、門の方に走ってる。

森は半分以上が吹き飛ばされ、身を隠す場所もほとんど残っていない。


(どうする。)


焦るな。

焦れば、判断を誤る。

夜のバイト先で理不尽を突きつけられた時も、そうだった。

両親が消えて、一人で妹を抱えて途方に暮れた時も。

感情で動けば、必ず失敗する。

見ろ!

考えろ!

そして、一番生き残れる道を選べ!


ヴリドラの胸が、さらに膨らむ。

熱量が、一点へ集中していく。

ヴリドラが一瞬、こちらを視た。


(真正面に、撃つ。)


侑はヴリドラに向かって走る。

ほんの五十メートル手前。

そこで急停止した。

そして今度は、右へ飛ぶ。

その一瞬、侑は全力で駆け出した。

直後。


轟ォォォォォォッ!!


黒い業火が、大地を飲み込んだ。

一直線に放たれた黒炎は、森を、岩を、空気さえも焼き尽くしながら、遥か彼方まで走り抜ける。

熱ではない。

存在そのものを消し去る、災厄。

侑の頬を掠めただけで皮膚が裂け、服の袖が灰になった。


「ぐあぁっ!」


地面を転がる。

それでも、生きている。

ブレスが放たれる直前、ヴリドラの視線が僅かに動いた。

その癖だけを見て、侑は進路を変えた。

偶然ではない。

この三年、人の顔色ばかり見て生きてきた。

両親のいない家で、妹だけは守ると決めて。

その積み重ねが、導き出した答えだった。


《残り7秒》


《生存率再計算》


0.000002% → 0.0032%


「……まだ千分の一にも、届かないのか。」


思わず笑ってしまう。

普通なら、絶望する数字。

だが今は違った。

数字は、上がっている。

生き残る可能性は、確かに存在している。


『人間。』


ヴリドラが低く唸る。


『貴様は、運が良いのではない。』


巨大な翼が、ゆっくりと持ち上がる。


『見えているな。』


侑は何も答えない。

答えれば、その一瞬で死ぬ。

翼が、振り下ろされる。

暴風。

否、見えない刃。

空気が圧縮され、無数の斬撃となって森を切り裂く。


「っ!」


侑は倒木の陰へ飛び込む。

直後、倒木は紙のように切断される。

だが、その一瞬だけ風が逸れた。

生きている。

まだ、生きている。


《残り5秒》


侑の呼吸は、限界だった。

肺が焼ける。

足は鉛のように重い。

全身が悲鳴を上げている。

それでも、視線だけはヴリドラから外さない。

外した瞬間に、終わる。

ヴリドラは静かに、口角を上げた。


『認めよう。』


『今代の人間にしては、実によく足掻いた。』


その言葉と共に。

ヴリドラの周囲へ、七つの巨大な黒い魔法陣が展開された。

侑の背筋が凍る。


「……冗談だろ。」


本能が叫ぶ。

これは避けられない。

逃げ場がない。

ここで、終わる。

そう確信した、その時。

視界の青白い画面が、眩い黄金色へと変化した。


《継承クエスト達成》


《生存条件を確認》


《正式継承を開始します》


カウントが、最後の数字を刻む。


《3秒》


ヴリドラの魔法陣が輝く。


《2秒》


侑は少女のいる方向を見た。

――生きてくれ。

その願いだけを、胸に刻む。


《1秒》


そして、世界を覆うような黄金の光が、侑の身体から溢れ出した。

黒焔竜ヴリドラが展開した七つの魔法陣が、一斉に世界を焼き払おうと輝きを増す。

しかし、その瞬間。

時間が止まった。

世界が白く染まり、轟音さえ消え去る。

侑だけが、その静寂の中に立っていた。

目の前に、一枚の蒼い画面が現れる。


---


《継承クエスト達成》


《正式継承を開始します》


---



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