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#2

2

そこは、森だった。

だが、地球の森ではない。

天を覆うほど巨大な樹木。

紫に染まった空。

空中を漂う、淡い光の粒子。

美しい。

だが、同時に理解できる。

ここは、人間が生きるための場所ではない。

空気そのものが、異質だった。


「お兄さん……!」


声が聞こえる。

侑は、振り返った。

数十メートル先。

先ほどの少女が、倒れている。

その前に――何かがいた。

最初、山だと思った。

巨大すぎて、生物だと認識できなかった。

黒い鱗。

大地を踏み砕く、四本の足。

空を覆う、巨大な翼。

赤黒い瞳が、侑を見下ろしている。


ドラゴン。


だが侑は、その言葉だけでは足りないと感じた。

これは、魔物ではない。

災害だ。

存在しているだけで、世界を壊すもの。

その時、頭の中に、警告音のようなものが響いた。


《対象を確認》


《解析不能》


《危険度測定――失敗》


たった一言、視界の端に蒼白い画面が表示される。


《SS級 ―― 神話級》


「……神話級?」


侑の喉が、鳴る。

能力者が根付いた世界で、魔物のランクは一般教養だった。

F級から、S級まで。

F、E、D、C、B、A、S。

そして、そのさらに上に位置するのが――SS級。

Sですら、国や世界の存亡に関わる、最上位の魔物とされる。

そのSを超える、SS級。

神話級とも呼ばれる、正真正銘の災厄。

存在するだけで、国が滅ぶとされるもの。

そんなものが...

なぜ、こんな生まれたばかりの門の中にいる...?

ドラゴンが、ゆっくりと首を下げる。

その瞳に映るのは、敵意ですらない。

虫を見るような、視線だった。


『……人間』


空気が、震えた。

声ではない。

存在そのものが発した言葉。

侑の身体が、本能的に震える。

勝てない。

逃げられない。

戦う以前の問題だった。

だが、


「お兄さん……」


背後から、少女の震える声。

侑は、一瞬だけ目を閉じた。

そして、ゆっくり立ち上がる。


「……大丈夫だ。」


「え……?」


「君は、俺が外へ連れて帰る。」


声が震えていないか。

それだけを、必死にこらえた。

ドラゴンの瞳が、細まる。


『理解できぬ。』


『なぜ、弱き者が立つ。』


理由は一つ。

目の前の子を、守るため。

それだけだ。

家で眠る妹を泣かせないため。

それも、きっと同じ理由の中にある。

ドラゴンが爪を持ち上げる。

ただの動作。

それだけで、周囲の木々が風圧で揺れる。

死。

その一文字が、頭を埋め尽くす。

その瞬間だった。

神話級の災厄が、侑へ向かって動き出した。

ただ、一歩。

それだけだった。

だが、その一歩で世界が揺れた。

巨体が地面を踏みしめるたび、大地が悲鳴を上げる。

木々が倒れ、土煙が舞う。

侑は、反射的に少女を背後へ庇った。


「……っ。」


その瞬間、胸の奥で何かが反応した。


ドクン。


一度だけ。

心臓とは違う場所で、何かが目覚めたような感覚。

だが侑には、それを気にする余裕はなかった。

目の前の存在。

あれは、戦う相手ではない。

理解できる。

二十年しか生きていなくても、それくらいはわかる。

勝てない。

逃げるべきだ。

距離を取るべきだ。

弱点を探す以前に、生き残る方法を考えるべきだ。

でないと、二人とも死ぬ。

しかし――。


「……この子を置いて逃げるのは、無理だな。」


侑は、小さく呟いた。

少女は、震えている。

足は、動かない。

こんな化け物を前に、立っていられる人間など、ほとんどいない。

まして、この子は零奈と同じ歳だ。

だから、


――俺が、立つ。


ドラゴンが、侑を見下ろす。


『理解できぬ。』


地鳴りのような声。


『貴様は、弱い。』


赤黒い瞳が、侑を射抜く。


『力もなく、武器もない。』


侑は、黙っていた。

その通りだった。

自分は、英雄ではない。

特別な血筋でもない。

能力者ですら、ない。

ただの、二十歳のアルバイトだ。

昼は営業アシスタント、夜はコンビニと居酒屋を掛け持ちして、妹の学費を稼いでいる。

それだけの、男。

だが、


「だからって……。」


侑は、拳を握る。


「見捨てていい理由にはならないだろうが!」


ドラゴンが、侑へ向かって爪を振るう。

終わった。

そう思ったその瞬間。

世界が、静止した。

風が、止まる。

舞っていた土埃が、空中で止まる。

ドラゴンの爪も、侑へ届く直前で動きを失った。

そして、侑の目の前に、青白い画面が現れる。

今までとは、違う。

機械的な表示ではない。

まるで、長い年月を経てようやく見つけた存在へ、語りかけるような文字だった。


《クエスト条件達成》


侑は、目を細める。

画面には、新たな項目が表示されていく。


《継承者候補を評価》


《戦闘能力……不適格》


《魔力量……不適格》


《身体能力……不適格》


そこまで表示され、侑は苦笑した。


「……なんだこれ。まあ、間違っちゃいねぇけど。」


自分に、誇れるものなどない。

だが、次に表示された文字で、侑の表情が変わる。


《恐怖を確認》


《絶望を確認》


そして、


《他者の生存を優先した選択を確認》


侑は、息を止めた。

画面は、続く。


《七曜システム、継承クエストの条件を満たしました》


《対象:桜咲 侑》


《選定理由》


数秒の間。

そして、たった、一文。


《力なき者でありながら、覚悟を示したため》


侑の目が、僅かに揺れる。


「……俺が?」


侑の答えを無視するように、新たな表示が出る。


《正式継承クエストを開始します》


侑の目の前に、新たな画面が展開される。


---


【緊急継承クエスト】


内容:神話級個体『黒焔竜ヴリドラ』から、三十秒間生存せよ。

制限時間:30秒

現在生存率:0.00001%

報酬:七曜システム正式継承

失敗:死亡


---


「……ずいぶんと、簡潔だな。」


思わず、笑みが漏れる。

失敗すれば、死亡。

あまりにも、当然の結果だった。

だが、その数字だけは笑えなかった。

0.00001%。

一千万分の一。

奇跡どころではない。

最初から "生き残れない" と宣告されているような数字だった。

それでも――侑は、少女を背に庇ったまま、顔を上げた。

家で待っている妹の元へ、帰るために。

この子を、その母親の元へ返すために。

人生をかけた三十秒が動き出す。




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