第3話「出鱈目なリズム」 その1
館内に響く警報。
『羽波市中央区にてNoise群を確認。周辺住民は直ちに避難してください。』
静まり返っていた応接室の空気が、一瞬で張り詰めた。
堂道は静かにティーカップを下げる。
「お嬢様、お車の準備が整っております。」
「ありがとう、堂道。」
ピスケはふわりと立ち上がる。
さっきまでドラムを叩いて遊んでいた少女とは思えないほど、その表情は凛としていた。
「識戸さん。」
「はいっ!」
「参りますわ。」
「え、えぇっ!? 私も!?」
「当然ですの。」
ルナがミソラの肩へ飛び乗る。
「ほら、行くよミソラ。」
「でも、まだ私……。」
「昨日一人でNoiseを倒したの忘れた?」
「それは……そうだけど。」
「大丈夫。」
ルナは笑う。
「ボクが付いてるよ。」
その一言だけで、不思議と肩の力が抜けた。
「……うん!」
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屋敷の正門がゆっくりと開く。
待機していた黒塗りの高級車。
堂道が後部座席のドアを開ける。
「どうぞ。」
「わぁ……。」
恐る恐る乗り込むミソラ。
シートはふかふか。
「すごい……これ家みたい……。」
「移動時間も大切ですもの。」
ピスケは当然のように答える。
車が静かに走り始める。
窓の外ではサイレンが鳴り響き、人々が避難している。
「今回は街中ですのね。」
「みたいだね。」
ルナが前を見つめる。
「……嫌な感じ。」
「え?」
「昨日のNoiseと少し違う。」
ミソラも窓の外を見る。
黒い靄。
遠くで悲鳴。
消防車。
救急車。
その向こう。
ビルの間を何か黒い影が飛び回っていた。
「いた……。」
「もう始まってますわ。」
ピスケはケースを抱き寄せる。
中には、真紅のドラムスティック。
「識戸さん。」
「はい。」
「一つだけ約束してくださいませ。」
「約束?」
「危なくなったら、必ず逃げること。」
「え……?」
「貴女は昨日覚醒したばかり。」
「無茶をしてはいけませんわ。」
ミソラは少しだけ笑う。
「それ、ピスケちゃんも。」
「……。」
「危なくなったら逃げてね。」
「私は。」
ピスケは少し考えてから、小さく笑った。
「努力いたしますわ。」
「絶対しない言い方だ!」
思わずツッコむミソラ。
ビルの屋上。
誰にも気付かれない場所で。
赤いワンピースの少女が、静かに街を見下ろしていた。
「ふふ……。」
その足元から、黒い影がゆっくりと滲み出す。
影は地面を這い、新たなNoiseの形を作り始める。
少女は楽しそうに微笑んだ。
「いっぱい、泣いてね。」
「いっぱい、苦しんでね。」
「そうすれば……もっと、大きくなれるから。」
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車内は静かだった。
窓の外を流れる街並みも、今はサイレンの音ばかりが耳に残る。
ミソラは隣に座るピスケをちらりと見た。
「ねぇ、ピスケちゃん。」
「何でしょう?」
「結局さ。」
「私、なんで呼ばれたの?」
ピスケは少しだけ目を伏せ、それから柔らかく笑った。
「昨日、新しく生まれた魔奏少女。」
「それは、ミソラさんでしょう?」
「えっ!?」
ミソラの肩がぴくりと跳ねる。
「あ、あはは……。」
「な、なんのことやら……。」
「隠さなくても大丈夫ですわ。」
穏やかな声だった。
責めるでもなく、問い詰めるでもない。
ただ、すべて分かっているような笑顔。
「昨日の歌。」
「とても素敵でした。」
「……。」
照れ臭くなって、ミソラは窓の外へ視線を逸らした。
「貴方となら、私も──」
その言葉だけが、小さく漏れる。
「え?」
「……いえ。」
ピスケは首を横に振った。
「今の話は、お忘れくださいまし。」
「えぇ~?」
ミソラは頬を膨らませる。
「結局、何にも分かんないじゃん。」
その時だった。
運転席の堂道が静かに口を開く。
「お嬢様。」
「これ以上の前進は危険です。」
車の速度がゆっくりと落ちる。
窓の外には、避難する人々。
そして、黒い靄に包まれた市街地。
ピスケは静かに立ち上がり、ドラムケースを手に取った。
「ええ。」
そしてミソラへ振り返る。
「ミソラさん。」
「……頼みましたわよ。」
「うん。」
ミソラは小さく頷く。
昨日とは違う。
誰かに頼られる重みを、胸の奥で噛み締めながら。
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ミソラは大きく息を吸い込んだ。
胸の奥から溢れる想いを、そのまま歌へ乗せる。
**前を向いて 涙を拭いて**
**君は一人じゃないよ──**
優しく、それでいて力強い歌声が街へ響き渡る。
淡い桃色の光が、音色に合わせるように広がっていく。
その光に包まれたNoiseたちの身体が、少しずつ粒子となって崩れ始めた。
「やった……!」
避難していた人々の間から安堵の声が漏れる。
昨日と同じ。
この歌なら、守れる。
そう思った、その瞬間だった。
崩れたはずの黒い粒子が、不自然にその場へ留まる。
まるで誰かに引き寄せられるように、再び一つの塊となり――
「……え?」
Noiseの身体が、元の姿へ戻っていく。
「そんな……。」
ミソラの歌は止まらない。
それでも、何も変わらない。
「どうして……!」
ルナが息を呑んだ。
「昨日の歌を……覚えられた……?」
遠く離れたビルの屋上。
赤いワンピースの少女は揺れる髪先を指で押さえ、小さく微笑む。
ただ、それだけだった。
誰にも気付かれることなく。
静かに。
楽しそうに。
「来る!」
ルナの叫びと同時に、十数体のNoiseが一斉に地面を蹴った。
「きゃあああっ!」
避難が間に合わなかった親子へ、一体のNoiseが腕を振り上げる。
「危ない!」
ミソラは反射的に飛び出した。
歌いながら、親子の前へ立つ。
桃色の光がNoiseを包む。
だが――
弾かれた。
「えっ……!?」
まるで歌を拒絶するように、Noiseはそのまま腕を振り下ろす。
間一髪。
母親が娘を抱き寄せ、地面へ転がる。
「逃げて!」
ミソラの叫びに、親子は必死に立ち上がり、その場を離れていく。
良かった。
助かった。
そう思う暇もなく。
背後から、重い気配。
「しまっ――」
振り向いた時には遅かった。
別のNoiseが大きく口を開き、黒い靄を吐き出す。
ミソラの身体が飲み込まれる。
「きゃああああっ!!」
「ミソラ!」
ルナが叫ぶ。
桃色の光は黒い靄の中へ吸い込まれ、やがて完全に見えなくなった。
「ミソラさん!」
ピスケは思わず駆け出す。
その肩にを、ルナが飛び乗った。
「離してください!」
「このままでは!」
「駄目。」
その一言は、今までの軽い口調とは別人のようだった。
次の瞬間。
淡い光がルナを包む。
小さなマスコットの姿が揺らぎ、一人の少女へと姿を変える。
長い髪が風になびく。
真っ直ぐな瞳が、黒い靄を見据えていた。
ピスケは思わず息を呑む。
「……ルナ。」
「今助けても意味はない。」
「え……?」
「あの子は、また同じ壁にぶつかる。」
「だから。」
「これはミソラ自身が越えなきゃいけない試練。」
ピスケは唇を強く噛み締めた。
「でも……!」
「このままでは……!」
ルナは静かに視線だけを向ける。
「今の君に、何が出来る。」
その言葉に、ピスケは返す言葉を失った。
拳を握る。
震えるほど強く。
それでも。
一歩も前へ進めない。
◇ ◇ ◇
世界から音が消えた。
光が消えた。
意識が、ゆっくりと闇へ沈んでいく。
――カラン。
どこか懐かしい風鈴の音が聞こえた。
蝉の鳴き声。
夏の匂い。
ゆっくりと目を開ける。
そこに広がっていたのは――
幼い頃、祖父と暮らしていた古い家だった。




