第2話 綾小路家の招待状 その1
朝日がカーテンの隙間から差し込み、小鳥のさえずりが部屋に響く。
「ミソラさーん。」
コンコン、と軽くドアが叩かれた。
「朝ですよ。」
「うぅ~ん……。」
布団の中で小さく身じろぎする。
「あと五分ぅ……。」
「昨日は大変だったでしょうけど、今日は学校ですよ?」
「はぁ~い……。」
渋々と布団から這い出したミソラは、大きく背伸びをする。
――昨日の出来事。
地下で出会ったルナ。
歌。
光。
そして、初めての戦い。
「……夢じゃ、ないんだよね。」
「夢じゃないよー。」
「ひゃあっ!?」
突然聞こえた声に飛び上がる。
机の上では、小さなぬいぐるみほどの大きさになったルナが、のんびりと足をぶらぶらさせていた。
「おはよ。」
「お、おはようじゃないよ!」
「普通に喋らないで!」
「誰かに聞かれたらどうするの!」
「大丈夫大丈夫。」
ルナは気楽そうに笑う。
「今はお母さん、朝ご飯作ってるから。」
「……なんでそんなことまで知ってるの。」
「気配。」
「便利すぎない?」
思わずため息をつきながら制服へ着替え始める。
「見ないでよ?」
「見ても減らないよ?」
「減るの!」
「乙女心が!」
「ふーん。」
「その反応やめてぇ!」
ルナはけらけらと笑いながら、くるりと宙返りして窓際へ飛び移った。
「ほらほら、遅刻するよ。」
「昨日もそんなこと言ってた気がする……。」
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◇
「いただきます。」
食卓には焼き鮭と味噌汁、それに炊き立てのご飯が並んでいる。
「昨日は学園、大変だったそうですね。」
新聞を広げていた母が、穏やかな口調で話しかける。
「大型Noiseだったとか。」
「そ、そうみたい。」
味噌汁をすすりながら、ミソラはできるだけ平静を装う。
「でも、新しい魔奏少女が現れたそうですよ。」
「ぶっ!」
危うくご飯を吹き出しかける。
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん!」
「ちょっと熱くて!」
慌ててお茶を飲むミソラの横で、テーブルの下から小さな笑い声が聞こえた。
「ぷっ。」
ルナだ。
(笑わないで!)
心の中で必死に訴える。
「残念ながら映像は逆光で、お顔までは分からなかったそうですけど。」
母は新聞の記事を眺めながら、優しく微笑んだ。
「きっと素敵な魔奏少女なんでしょうね。」
その一言に、ミソラの箸が止まる。
「……。」
昨日までの自分なら。
きっと憧れの存在として、その記事を読んでいただけだった。
でも今は違う。
あの記事に書かれているのは。
紛れもなく、自分だ。
「……そんな、大した人じゃないよ。」
ぽつりと漏らした言葉に、母は少しだけ首を傾げた。
「そうでしょうか?」
「誰かを助けたなら、それだけで十分素敵な人だと思いますよ。」
「……!」
その言葉が、不思議なくらい胸に響いた。
昨日、自分は本当に誰かを救えたのだろうか…
そんなことを考えながら朝食を食べ終え、慌ただしく家を出ていった
◇ ◇ ◇ ◇
教室へ入ると、いつもよりずっと賑やかな声が飛び交っていた。
「昨日のニュース見た?」
「もちろん!」
「ピンク色の髪だったよね!」
「すっごく可愛かった!」
「歌だけで大型Noise倒したとか、ヤバくない?」
あちこちで飛び交う話題は、昨日現れた"新しい魔奏少女"一色だった。
「でも映像ほとんど映ってなかったよね。」
「逆光で全然分かんなかったー。」
「声だけでもめちゃくちゃ可愛かった!」
ミソラは自分の席へ向かいながら、小さく肩をすくめる。
(うぅ……。)
(なんだか居心地悪い……。)
リュックの中から、小さな声が聞こえた。
「人気者じゃん。」
(ルナ、喋っちゃだめ。)
(大丈夫だって。)
(全然大丈夫じゃないよ……。)
その時。
ガラリ、と教室の扉が開いた。
「おはようございます。」
担任の奏音先生が教壇へ立つ。
教室は自然と静かになった。
「昨日は皆さん、本当にお疲れさまでした。」
穏やかな口調。
けれど、その表情にはまだ昨日の緊張が残っている。
「まずは、誰一人大きな怪我なく避難できたことを嬉しく思います。」
教室中に安堵の空気が流れる。
「そして。」
先生は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「昨日、校内放送から流れていた歌を覚えていますか?」
「はい!」
何人もの生徒が頷く。
「あの歌を聴いたら、不思議と怖くなくなりました。」
「私もです!」
「胸がぽかぽかして……。」
先生は嬉しそうに微笑んだ。
「……そうですか。」
その笑顔は、どこか懐かしいものを思い出しているようにも見えた。
「実は先生も。」
一瞬だけ言いかけて、言葉を飲み込む。
「……いえ。」
「なんでもありません。」
小さく首を振る。
「ただ。」
「どこかで聴いたことがあるような……そんな気がしただけです。」
教室は「へぇー」と小さくざわめく。
ミソラだけが、その言葉に引っ掛かった。
(どこかで……。)
(先生も知ってる歌なんだ。)
嬉しくなった。
あの歌は、小さい頃からずっと歌ってきた大好きな曲。
自分だけじゃなく、先生も知っている。
それだけで胸が少し温かくなる。
すると隣から、ルナがぼそりと呟いた。
「そりゃ知ってるよね。」
(え?)
「……。」
ルナはそれ以上何も言わなかった。
その横顔は、いつものお気楽な表情ではなく。
ほんの少しだけ、昔を思い出しているように見えた。
キーンコーンカーンコーン――。
いつもの授業。
いつもの教室。
昨日までと変わらない日常。
――の、はずだった。
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ホームルームが終わり、一時間目までの短い休み時間。
教室は相変わらず昨日の話題で持ちきりだった。
「ねぇねぇ、あのピンク髪の魔奏少女ってどこの子なんだろ?」
「姫嶋の生徒だったりして!」
「えー、だったら絶対噂になってるよ!」
ミソラは苦笑いを浮かべながら教科書を机へしまう。
(……みんな、楽しそう。)
昨日までなら、自分もその輪に入っていたかもしれない。
でも今は。
"その魔奏少女"が自分だと知っている。
だからこそ、何も言えなかった。
「識戸さん。」
教室の入口から、一人の女子生徒が顔を覗かせた。
「奏音先生が職員室まで来てって。」
「え、私?」
「うん。」
突然の呼び出しに教室がざわつく。
「何かやらかした?」
「昨日遅刻しかけてたし?」
「違う違う!」
ミソラは慌てて立ち上がる。
「すぐ戻ってくるね。」
「うん。」
「何だろうね?」
クラスメイトたちも不思議そうに首を傾げる。
ミソラ自身にも、まったく心当たりはなかった。
教室を出ると、廊下は朝の日差しで明るく照らされていた。
窓の外には、中庭の大きな欅。
新緑が風に揺れている。
その時だった。
ふと、視線を感じた。
「……?」
何気なく窓の外を見る。
欅の太い幹にもたれ掛かるように、一人の少女が立っていた。
長い白髪。
赤いワンピース。
裸足。
口元には、柔らかな笑み。
――目が合う。
少女は嬉しそうに、ほんの少し首を傾げた。
まるで旧友を見つけたような笑顔だった。
「……誰?」
思わず立ち止まる。
次の瞬間。
廊下を吹き抜けた風で木の葉が舞い上がる。
視界が遮られた。
ほんの一瞬。
葉が流れ去る。
そこにはもう、誰もいなかった。
「……。」
見間違い?
いや。
あまりにも、はっきり見えた。
(ルナ……今の……。)
返事はなかった。
リュックの中が静かすぎる。
「ルナ?」
小声で呼ぶ。
少し間を置いてから、ようやく返事が返ってきた。
「……見えた?」
(え?)
「いや。」
「……なんでもない。」
いつもの軽い調子ではない。
ミソラは少しだけ胸騒ぎを覚えた。
しかし、その違和感を考える間もなく。
「識戸さん?」
職員室の前で奏音先生がこちらへ手を振っていた。
「あ、ごめんなさい!」
慌てて駆け寄るミソラ。
先生は特に問い詰める様子もなく、穏やかに微笑む。
「急に呼び出してしまってごめんなさい。」
「放課後、少しだけ応接室へ来てもらえますか?」
「応接室……ですか?」
「はい。」
「あなたに会いたいというお客様がお見えになっています。」
「私に……?」
ますます心当たりがない。
先生は少し困ったように笑う。
「私も詳しい事情は聞いていないんです。」
「ただ、とても礼儀正しい方でしたよ。」
礼儀正しいお客様。
応接室。
自分宛の来客。
何一つ繋がらないまま、ミソラは首を傾げるしかなかった。
一方その頃。
校舎の外。
欅の幹に背を預けた白髪の少女は、誰もいないはずの空間へ向かってくすりと笑う。
「見つけた。」
風が吹く。
少女の姿は陽炎のように揺らぎ、その場から静かに消えていった。
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