第11話 至高の絶望 その2
龍玄は立ち上がる。
そして。
部屋の隅にある古い棚へ歩いていった。
「……。」
棚の奥へ手を伸ばす。
しばらく何かを探した後。
一冊の古びたノートを取り出した。
表紙には。
長い年月を経ても消えない文字が残されている。
「……これだ。」
龍玄はそれを机の上へ置いた。
「不荒の日誌。」
「日記……?」
ミソラが恐る恐る覗き込む。
「ああ。」
「母さんが数十年間、書き続けた日誌だ。」
「全部を持ってきたわけじゃねぇ。」
「重要な部分だけを、一冊にまとめてある。」
龍玄は表紙を撫でる。
「母さんが死ぬ時。」
「俺に託された。」
「この日誌と。」
「果たすべき使命と共にな。」
「ちょっ。」
ミソラが慌てて手を上げる。
「ちょっと待って!」
「不荒がおじいちゃんのお母さん!?」
「ああ。」
「お前からすれば、曾祖母にあたる。」
「そんなこと……聞いたことないよ!?」
「お前が生まれる頃には、もう死んでたからな。」
「それに……苗字だって!」
「識戸は結婚後の名字だ。」
「相模は旧姓だな。」
「……相模不荒。」
ミスティが呟く。
「その名前なら聞いたことがある。」
「むしろ。」
ピスケが苦笑する。
「知らない人の方が少ないと思いますわ……。」
「魔奏少女に関わる者なら。」
リーチェも頷く。
「誰だって聞いたことあるだろうな。」
「そんな人が……。」
ミソラは目の前の日誌を見る。
「私の、ひいおばあちゃん……?」
「ああ。」
龍玄は短く答えた。
「……。」
そして。
「話を戻すぞ。」
ノートを開く。
「日誌の中には。」
「こう書かれている。」
龍玄の指が、あるページで止まった。
「Noiseキャンセリング機能。」
「Noiseの起こした事象を。」
「すべて消し去る力。」
「……。」
ミソラの表情が変わる。
「この間の。」
「ああ。」
「あれがそうだ。」
龍玄は続ける。
「ただし。」
「それを発現させるには。」
「あまりにも膨大な心奏力が必要になる。」
「母さん自身にも。」
「最後まで成し遂げられなかった。」
「……。」
ルナが静かに日誌を見る。
いつもの笑顔は消えていた。
「だから。」
龍玄はページをめくる。
「その夢を。」
「次の世代へ託すために。」
「母さんは。」
「ルナと。」
「十二の魔奏器を、この世に遺した。」
「……。」
「と。」
「掻い摘んで言えば、こんなところだ。」
ミソラはしばらく黙っていた。
やがて。
「Noiseの起こした事象を……。」
「消し去る?」
「ああ。」
「だったら。」
ミソラは顔を上げる。
「それって……。」
「Noiseに壊されたものも。」
「燃えたものも。」
「全部……。」
龍玄は頷く。
「理論上はな。」
「……理論上。」
「そうだ。」
「だからこそ。」
龍玄は日誌を閉じる。
「母さんは。」
「その力を使える人間を。」
「百年近く探し続けた。」
ミソラの胸が。
また、どくんと鳴る。
「そして。」
龍玄の視線が。
まっすぐミソラへ向いた。
「この間。」
「お前が初めて、その力を発現させた。」
「……。」
「だから俺は。」
「お前たちを呼んだ。」
静かな居間に。
時計の秒針だけが響いていた。
「お前が何者なのか。」
「何故、その力を使えたのか。」
「そして。」
「母さんが何故、百年もの間この力に拘り続けたのか。」
「その答えを。」
「これから話さなきゃならん。」
ミソラは。
古びた日誌を見つめる。
そこに記された百年前の少女の人生が。
今、自分の物語へと繋がろうとしていた。
「不荒の提唱した理論によると。」
龍玄は日誌を指でなぞる。
「Noiseキャンセリング機能を発動させるために。」
「必要な要素は三つある。」
「三つ……?」
「ああ。」
龍玄は指を一本立てた。
「まず一つ目。」
「莫大な心奏力。」
「これはルナのリミッターを解除した時に使える。」
「多数の人物の心奏力を、一つに束ねる力によって賄えた。」
「えっ!?」
ミソラが目を丸くする。
「そんな力があったの!?」
「ミソラに無理やりこじ開けられたからねー。」
ルナが頬を膨らませる。
「ボクだってびっくりしたんだから。」
「ご、ごめん……。」
「まぁ、それは置いといて。」
龍玄が二本目の指を立てる。
「二つ目。」
「束ねた心奏力を受け止める。」
「器となる人物が必要になる。」
「それが。」
龍玄はミソラを見る。
「ミソラ。」
「お前だ。」
「……。」
「なんで……私が?」
「さぁな。」
龍玄は肩をすくめる。
「そもそも心奏力ってのが。」
「まだまだ謎の多い力だからな。」
「ただ。」
日誌へ視線を落とす。
「不荒の言葉を借りるなら。」
「心奏力とは。」
「『すべての人を幸せにしたいと願う意思』。」
「その意思の強さが。」
「心奏力を受け止める器の大きさに繋がっているらしい。」
「そんな……。」
ミソラは俯く。
「私は。」
「そんな立派なもんじゃ……。」
「ミソラさんは。」
ピスケが横から口を挟む。
「余計なことを考えないことに関しては。」
「超一流ですわ。」
「褒めてないよね?」
「褒めていますわよ?」
「絶対違う!」
リーチェが笑う。
「まぁ。」
「ミソラはミソラだろ。」
「何それ!?」
「それで十分ってことだよ。」
「……。」
ミソラは少しだけ照れくさそうに笑った。
しかし。
龍玄の表情は変わらない。
三本目の指が立つ。
「そして。」
「三つ目。」
空気が変わった。
「これが。」
「この理論が百年間、実現しなかった最大の理由だ。」
「……。」
四人が龍玄を見る。
「三つ目って……。」
ミソラが尋ねる。
「何なの?」
龍玄は一拍置いた。
「Noiseと。」
「心を通わせることだ。」
「……え?」
ミソラの目が見開かれる。
「Noiseと……?」
「そうだ。」
龍玄は頷く。
「不荒の理論では。」
「Noiseをただ消滅させるだけじゃ駄目なんだ。」
「その存在そのものを理解し。」
「心を通わせ。」
「Noiseと、人間の心奏力を共鳴させる必要がある。」
「そんなの……。」
ミスティが眉をひそめる。
「不可能だ。」
「Noiseは人間を傷付ける。」
「会話すら成立しない個体もいる。」
「だから。」
龍玄は日誌へ目を落とす。
「百年間。」
「誰にも出来なかった。」
「不荒にも。」
「……。」
ルナが静かに呟く。
「でも。」
「ミソラは。」
全員の視線がミソラへ集まる。
「アノマリーと。」
「何度も話してた。」
「……。」
ミソラの脳裏に。
赤いワンピースの少女の笑顔が浮かぶ。
「真理ちゃん……。」
「そうだ。」
龍玄が頷く。
「お前は。」
「Noiseを倒すだけじゃなかった。」
「最後まで。」
「相手を一人の人間として見ていた。」
「……。」
「だからこそ。」
「Noiseキャンセリングの三つ目を。」
「お前は無意識に満たしていた可能性がある。」
ミソラは胸元を握る。
「じゃあ……。」
「あの時、屋敷が元に戻ったのは。」
「お前たち四人の力だけじゃない。」
龍玄は静かに答えた。
「アノマリーとの間に。」
「ほんの一瞬でも。」
「心の繋がりが生まれたからだ。」
「……。」
ミソラは何も言えなかった。
ただ。
最後に聞いた声だけが。
胸の奥に残っている。
『私も……大好きだよ……』
龍玄は日誌を閉じた。
「不荒は。」
「この条件を満たせる人間がいつか現れると信じていた。」
「だから。」
「ルナと十二の魔奏器を残した。」
「……。」
「そして今。」
龍玄はミソラを見る。
「その可能性を持つ少女が。」
「ようやく現れた。」
ミソラは。
ゆっくりと顔を上げた。
「……私。」
「ちゃんと。」
「不荒の夢を……叶えられるかな。」
ルナが。
いつものように笑った。
「さぁね。」
「でも。」
「ボクは、出来ると思ってるよ。」
ミソラも。
小さく笑った。
「……うん。」
「私も。」
「やってみたい。」
その言葉を聞いて。
龍玄は静かに目を細めた。
「そうか。」
「なら。」
「このことについても話しておこう。」
そして。
龍玄は棚の奥へ手を伸ばす。
取り出したのは。
一枚の古い記録媒体だった。
「これは?」
「母さんが残した記録だ。」
「Noiseの発生源について書かれている。」
「発生源……?」
龍玄は四人を見渡す。
「Noiseは。」
「自然に生まれた怪物じゃない。」
「……!」
ミソラの目が見開かれる。
「じゃあ……誰が?」
「ステラだ。」
その名前を聞いた瞬間。
ルナの表情が消えた。
「……。」
ミソラがルナを見る。
「ルナ?」
「……。」
「ステラって……。」
ルナはしばらく黙っていた。
やがて。
「ボクの。」
「……家族みたいなものかな。」
「え?」
「同じ場所から生まれた。」
「でも。」
ルナの声が。
初めて震えた。
「ボクは。」
「ステラを止めるために。」
「ここにいる。」
静寂。
「待って。」
ミソラが立ち上がる。
「じゃあ。」
「Noiseを全部止めるには。」
「ステラを倒さなきゃいけないってこと?」
「違う。」
龍玄が首を横に振る。
「ステラを消すだけでは。」
「Noiseによって失われたものは戻らない。」
「だから不荒は。」
「ステラを消すことを選ばなかった。」
「……。」
「最後まで。」
「Noiseキャンセリングによって。」
「すべてを取り戻そうとした。」
龍玄はミソラへ視線を向ける。
「そして。」
「今。」
「その可能性を持っているのは。」
「お前たちだ。」
ミソラは拳を握る。
「……じゃあ。」
「やろう。」
「私たちで。」
「Noiseも。」
「ステラも。」
「全部終わらせよう。」
ミスティが立ち上がる。
「異論はない。」
ピスケも続く。
「ええ。」
「ここまで来た以上。」
リーチェは笑った。
「決まってるだろ。」
そして。
ルナが四人を見渡す。
「……うん。」
「行こう。」
その瞬間。
龍玄の持っていた記録媒体が。
突然、赤く明滅した。
「……!」
「何!?」
画面に。
一つの文字が浮かび上がる。
【STELLA】
次の瞬間。
画面いっぱいに。
少女の口元が映し出された。
「……見つけた。」
優しい笑顔。
けれど。
その瞳には。
人間の感情とは違う何かが宿っていた。
「Noiseキャンセリング適合者。」
ミソラの身体が強張る。
「……ステラ。」
ルナが呟く。
少女は微笑んだ。
「初めまして。」
「ミソラ。」
――その声が。
静かな居間に響いた。
最終決戦は。
もう始まっていた。




