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第10話 始めよう もう一度 その3

 中学受験を控えた、ある日のこと。


 綾小路家に、一件の連絡が入った。


 私立姫嶋学園。


 世界有数の魔奏少女育成機関。


 羽波市最大の学園であり、魔奏器の研究や収集にも力を入れている名門校だった。


 そして。


 その学園から。


「綾小路家のお嬢様を。」


「ぜひ、本校の生徒として迎え入れたい。」


 そう告げられた。


 父はしばらく黙っていた。


 そして。


「……分かりました。」


 静かに答える。


「ありがとうございます。」


 電話を終える。


 しかし。


 父はそのまま立ち上がらなかった。


「……ただし。」


 もう一つ。


 条件を提示した。


「一つだけ。」


「条件がございます。」


 学園側の返答を待つ。


「綾小路雲雀ではなく。」


「綾小路ピスケとして、入学させて頂きたい。」


「……。」


 その言葉を聞いた少女は。


 ただ静かに父を見つめていた。


「……ピスケ。」


 それは。


 自分を生み出した魔奏器の名前。


 どうして。


 人間としての名前ではなく。


 魔奏器の名前を。


 父が選んだのか。


「お父様。」


「どうして……?」


「……。」


 父は答えなかった。


「学園には、事情を説明してある。」


「お前が……。」


 一瞬だけ。


 言葉を探すように視線を逸らす。


「……普通の生徒とは少し違うことも。」


 その声は。


 どこか疲れていた。


「ですが。」


「お前なら、きっと大丈夫だ。」


「……はい。」


 少女は頷いた。


「分かりました。」


「綾小路ピスケ。」


 自分に与えられた、新しい名前。


 その響きを。


 何度か胸の中で繰り返す。


「ピスケ……。」


 その時。


 ほんの少しだけ。


 自分が生まれた意味が分からなくなった。


 雲雀として生きるために作られた身体。


 雲雀として愛されるために与えられた姿。


 なのに。


 今度は。


 その雲雀という名前すら、捨てる。


「……。」


 少女は小さく笑った。


「承知しましたわ。」


 そう言って。


 新しい名前を受け入れた。


 ――綾小路ピスケ。


 それが。


 これからの彼女の名前だった。


 中学へ上がってから。


 少女は、魔奏少女になるための訓練を続けた。


 魔奏器の扱い。


 基礎体力。


 演奏技術。


 そして。


 心奏力を引き出すための訓練。


「――せーのっ!」


 ドンッ!


 ドラムの音が練習室へ響き渡る。


「……!」


 少女は目を輝かせた。


 幸いなことに。


 彼女にはドラムへの高い適性があった。


 スティックを握る。


 叩く。


 音を重ねる。


 その瞬間だけは。


 自分が普通の人間ではないことなど、忘れられた。


「楽しい……。」


 音楽だけは。


 自分を否定しなかった。


 だから。


 もっと上手くなりたいと思った。


 もっと強くなりたいと思った。


 いつか。


 自分も誰かを守れる魔奏少女になりたい。


 そう願った。


 ――けれど。


 魔奏少女には。


 一つの条件があった。


 思春期の少女だけが持つとされる力。


 心奏力。


 強い想い。


 願い。


 感情。


 それらが形となって現れる、不思議な力。


 同年代の少女たちが。


 一人。


 また一人と。


 心奏力を開花させていく。


「やった!」


「私も出た!」


「凄い……!」


 喜びの声。


 歓声。


 眩い光。


 練習室のあちこちで。


 新たな魔奏少女が生まれていく。


「……。」


 その中で。


 ピスケだけは。


 何も起こらなかった。


 いくら集中しても。


 どれだけ強く願っても。


 心奏力は。


 ほんの僅かも現れない。


「……もう一度。」


 目を閉じる。


 胸に手を当てる。


 思い浮かべる。


 守りたい。


 誰かを笑顔にしたい。


 魔奏少女になりたい。


 なのに。


「……。」


 何も。


 起こらない。


 心奏力とは。


 少女の心の成長と共に生まれるもの。


 けれど。


 ピスケの心は。


 あの日から。


 止まったままだった。


「……そうですの。」


 小さく笑う。


「まだ。」


「わたくしの心が、足りないのですわね。」


 そう言って。


 またスティックを握る。


「だったら。」


「もっと練習しなくては。」


 ドンッ。


 ドンッ。


 ドンッ。


 誰もいない練習室に。


 ドラムの音だけが響き続けた。


 ――その音だけが。


 彼女の「心」が確かにそこにあることを。


 誰よりも静かに証明していた。


 心奏力が開花しないまま。


 少女は、そのまま高校へ上がった。


 新しい教室。


 新しいクラスメイト。


 そして。


「遅刻だぁーーー!!!」


 新たな問題児。


「私の夢は!」


「世界一の魔奏少女になることです!」


「またダメだったー!」


「……。」


 ピスケは。


 少し離れた場所から、その少女を眺めていた。


 識戸ミソラ。


 彼女には。


 自分にはないものがあった。


 心奏力。


 魔奏少女としての力。


 歌うための才能。


 なのに。


「……。」


 どうして。


 こんなにも無駄にしているのだろう。


 遅刻して。


 失敗して。


 怒られて。


 それでも。


 諦めない。


 何度失敗しても。


 また立ち上がる。


「……不思議な人。」


 そんなことを思っていた。


 ある日の授業中。


 気付けば。


 ピスケはミソラへ声を掛けていた。


「識戸ミソラさん。」


「ふへっ!?」


 突然名前を呼ばれ、ミソラが飛び上がる。


「な、なに!?」


「……。」


 一瞬。


 言葉に迷う。


「何も出来ないのに。」


「何故、こんなところで続けているんですの?」


 言った瞬間。


 胸が痛んだ。


 何も出来ない。


 そんなの。


 本当は自分の方なのに。


「んー……。」


 ミソラは少し考える。


「自分がやりたいって思ってるからかな。」


「……。」


「もしかしたら。」


「全部、無駄になるかもしれない。」


「それでも。」


「何もしないよりは、そっちの方がいいから。」


 そして。


 いつものように笑った。


「諦めるより。」


「叶うって信じてたほうがお得でしょ!」


「……。」


 ピスケは何も言えなかった。


 ただ。


 その言葉だけが。


 ずっと胸の奥に残った。


(……そんなこと。)


(言えたらいいのに。)


 それから。


 しばらく経ったある日。


 姫嶋学園がNoiseに襲われた。


 校内を覆う黒い霧。


 逃げ惑う生徒たち。


 上級生の魔奏少女たちですら、まともに立ち向かえない。


 そんな中。


「――♪」


 歌声が響いた。


『前を向いて 涙を拭いて』


『君は一人じゃないよ』


「……!」


 ピスケが顔を上げる。


「この声……。」


 聞き間違えるはずがない。


 何度も聞いた。


 何度も。


 あの少女の。


 力強い歌声。


「……ミソラさん。」


 歌声が響くたび。


 Noiseが光の中へ消えていく。


 上級生たちが苦戦していた怪物が。


 一体。


 また一体と。


 ミソラの歌声によって掻き消されていく。


「……。」


 ピスケは。


 ただ呆然と、その光景を見つめていた。


 自分にはないもの。


 ずっと欲しかったもの。


 心奏力。


 魔奏少女としての力。


 それを。


 彼女は持っている。


 なのに。


 彼女はそれを。


 当たり前のように誰かのために使っている。


「……綺麗。」


 思わず。


 そんな言葉が零れた。


 その時。


「堂道。」


「この歌声と、識戸ミソラさんとの照合を進めなさい。」


「畏まりました。」


 隣から声がする。


 ピスケは振り返る。


「……。」


 堂道は静かにミソラを見つめていた。


「今日中に。」


「……畏まりました。」


 再び。


 ピスケはミソラを見る。


 光の中で歌う少女。


 笑って。


 泣いて。


 失敗して。


 それでも前へ進む。


「……。」


 その時。


 ピスケはまだ知らなかった。


 この出会いが。


 止まっていた自分の時間を。


 少しずつ動かしていくことを。


「やはり…」


「識戸さん……ですか。」


「ふふっ。」


「やっぱりインパクトは大事ですわよね……。」


「よし。」


「何も言わずに、急にドラムを掻き鳴らしましょう。」


「そうはならないでしょう……。」


「だって!」


「恥ずかしいんですもの!」


 魔奏少女として。


 自分から人前に出る。


 それだけでも、ピスケにとっては大きな勇気が必要だった。


「ミソラさんの心奏力を注ぎ込んで貰えれば。」


「魔奏器ピスケスとしての力を使えるかも知れませんわ。」


「急に招待状を送っておいて、そんなこと頼めないでしょう!?」


「招待状で、その旨を伝えておけばよろしいのでは……?」


「オマエ……ウタウマイ……オレの家……コイ……としか書いてませんわ。」


「何故原人に?」


 そんなやり取りをしながら。


 ピスケは、初めて魔奏少女としてステージへ立った。


 そして。


 それからの日々は。


 まるで夢のようだった。


 魔奏少女になれた。


 友達も増えた。


 そして。


 中学へ上がってから知った、世界トップクラスの魔奏少女バンド。


 シリウス。


 その圧倒的な演奏。


 四人の奏でる音楽。


 初めて見た時から。


 ピスケは、彼女たちに憧れるようになった。


 まだ二、三年前のこと。


 けれど。


 あの時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。


 まさか。


 その憧れの存在と直接言葉を交わす日が来るなんて。


 まして。


「……え?」


「私たちが?」


「うん。」


「君たちと一緒に。」


 そして。


 何故か。


 シリウスが自分たちのバンドメンバーになった。


「……。」


 人生というものは。


 本当に何が起こるか分からない。


 これまでの日々は。


 本当に幸せだった。


 魔奏少女になれた。


 友達ができた。


 憧れだった人たちと一緒に演奏できた。


 そして何より。


「ミソラさん。」


 彼女と一緒にいる時間が。


 何よりも幸せだった。


「……。」


 笑い合って。


 失敗して。


 怒られて。


 それでもまた笑って。


 そんな毎日が。


 ずっと続いていくような気がしていた。


「でも。」


 その声で。


 世界が止まる。


「そんな友達を。」


「あなたが壊しちゃったのよねぇ?」


 その言葉でミソラは現実へと引き戻された


「……。」


 ピスケの記憶が。


 そこで途切れた。



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