第9話 生命の意味は その3
先ほど、奏音先生から聞いた言葉が頭の中で何度も繰り返される。
『綾小路ピスケさんは、人間ではありません。』
『魔奏器ピスケスの力によって、綾小路家のご令嬢の姿を模した存在です。』
『それでも。』
『私は、守るべき大切な生徒だと思っています。』
『……これ以上は。』
『彼女自身の口から聞いてあげてください。』
『音楽室で待っています。』
『行ってあげてください。』
理解は、しているつもりだった。
先生が嘘をつく人ではないことも。
ピスケちゃんが、何かを隠していたことも。
全部。
頭では理解している。
だけど。
心だけが、現実に追いついてくれない。
何か言わなきゃ。
何か。
何か一言。
でも。
言葉が出てこない。
「違う。」
「そんなこと気にしない。」
「これからも友達。」
どれも違う気がした。
だって私は。
まだ何も知らない。
何も知らないまま。
軽々しく言えることなんて、一つも無かった。
長い沈黙が音楽室を包む。
ピスケちゃんは、その沈黙を静かに受け止めるように微笑んだ。
「今日は……。」
「これで失礼致しますわ。」
くるりと踵を返す。
夕焼けに照らされた背中は。
今まで見たどの背中よりも、小さく見えた。
「ピスケちゃん……!」
思わず名前を呼ぶ。
けれど。
その足は止まらない。
「また明日。」
それだけ言って。
音楽室の扉は静かに閉まった。
――カタン。
私は、一人取り残される。
夕焼けだけが、静かに部屋を染めていた。
……何だったんだろう。
今の私は。
親友を前にして。
何一つ、言葉を掛けることができなかった。
違う。
掛けなかったんじゃない。
掛けられなかった。
私は。
ピスケちゃんを傷付けてしまったんだろうか。
それとも。
あの笑顔の奥で。
ずっと前から、一人で傷付いていたんだろうか。
答えは、まだ分からない。
ただ一つだけ。
夕焼けに染まる音楽室が。
ひどく、広く感じた。
放心状態のまま、音楽室をあとにする。
夕焼けに染まった廊下。
窓の外を静かに眺める、一人の老人の姿があった。
「……堂道さん。」
声を掛けると、老人はゆっくりとこちらへ振り返る。
「何故、ここに……。」
堂道は深く一礼した。
「執事で御座いますから。」
あまりにも堂々とした返答に、思わず力が抜ける。
「ピスケちゃんのこと……。」
「堂道さんは、知ってたんですか?」
「ええ。」
「勿論で御座います。」
「執事で御座いますから。」
迷いのない返事だった。
「じゃあ……。」
「綾小路家の、ご令嬢っていうのは……。」
堂道は少しだけ目を伏せる。
「雲雀お嬢様は……。」
「幼くして事故で、お亡くなりになられました。」
「旦那様も奥様も、深い悲しみの中におられました。」
「藁にも縋る思いで辿り着いたのが……。」
「今のお嬢様で御座います。」
廊下に静寂が流れる。
ミソラは小さく呟いた。
「堂道さんは……。」
「何も思わないんですか?」
堂道は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「雲雀お嬢様は。」
「私にとっても、何より大切な宝で御座いました。」
一拍置く。
「しかし。」
「今の私は。」
「ピスケお嬢様の執事で御座います。」
その声に迷いは無かった。
過去を捨てたわけではない。
けれど。
今、仕えるべき相手もまた、揺るぎなく決まっている。
ミソラは何も言えず立ち尽くす。
堂道は静かに歩み寄ると、穏やかな声で続けた。
「ミソラ様。」
「どうか。」
「魔奏器としてではなく。」
「綾小路ピスケお嬢様を、ご覧になって下さい。」
「……!」
「それが。」
「今の私の願いで御座います。」
◇ ◇ ◇
夕暮れの帰り道。
重たい足取りで歩いていると、鞄の中が小さくもぞもぞと動いた。
「ぷはー!」
ひょこっと顔を出したのは、小さなぬいぐるみ。
「どしたの、ミソラー?」
「元気ないじゃん。」
「……ルナ。」
思わずその姿を見つめる。
「ルナも……。」
「魔奏器なんだよね。」
「うん!」
「そだよー。」
ルナはあっさり頷いた。
「『も』ってことは……。」
「知っちゃったか。」
「……!」
「ルナは、気付いてたの!?」
「まー、お仲間だからねー。」
けろりとした様子で肩をすくめる。
「あの子が君とSessionした時は驚いたよ。」
「魔奏器が、自分の心奏力を出すなんてね。」
「普通じゃ考えられない。」
「普通じゃ……?」
「うん。」
「ボクら魔奏器は、基本的には適合者の心奏力を引き出す存在だから。」
「自分から心奏力を放つことなんて、まず無いんだ。」
「でも。」
「ピスケは違った。」
「あの子は、自分自身の意志で歌ってた。」
「だからボク、すぐ分かったよ。」
ミソラは俯く。
「……なんで。」
「なんで教えてくれなかったのかな。」
ルナは少しだけ空を見上げた。
「ボクには分かるよ。」
「同じ魔奏器だから。」
「……?」
「だってさ。」
「怖かったんだよ。」
「え?」
「『魔奏器だから』じゃなくて。」
「『ピスケだから』友達になってほしかった。」
「だから言えなかった。」
「それだけじゃないかな。」
夕焼け色の空を風が流れていく。
ミソラは何も言えなかった。
その答えが。
あまりにも、ピスケらしかったから。
「大切なのはさ。」
「相手が何者かよりも。」
「君が、どうしたいかじゃないかな。」
「私は……。」
胸に手を当てる。
考えるまでもなかった。
「ピスケちゃんのこと、もっと知りたい。」
「ピスケちゃんと、一緒に居たい。」
「ピスケちゃんと。」
「一緒にLiveしたい。」
ルナは満足そうに笑う。
「だったらさ。」
「それが答えじゃないかな。」
「……うん。」
胸の中の霧が、少しだけ晴れた気がした。
「そうだよね。」
「ピスケちゃんは。」
「ピスケちゃんだ。」
私は大きく頷く。
「よし!」
「伝えに行こう!」
「今から!」
勢いよく走り出そうとすると。
「いやいや。」
「今からは迷惑じゃないかなー。」
「……あ。」
勢いが止まる。
「たしかに……。」
夜も近い。
今日はきっと、一人になりたいはずだ。
「明日。」
「ちゃんと話そう。」
そう決めた、その時だった。
「あっ!」
「やっぱりミソラちゃんだー!」
聞き覚えのある、明るい声。
振り返る。
夕焼けに照らされた歩道。
そこには。
阿部野真理が、いつもの柔らかな笑顔で手を振っていた。




