第1話 世界一の魔奏少女!その2
◇ ◇ ◇
ガララッ!!
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
勢いよく教室の扉を開けた瞬間、ぴたりと空気が止まった。
教室中の視線が、一斉に私へ集まる。
三十人ほどの生徒たち。
教壇には担任らしき女性教師。
そして、壁掛け時計の針は――八時二十九分五十七秒。
先生は時計を一瞥すると、小さく頷いた。
「……セーフですね。」
「は、はいっ……!」
その一言で張り詰めていた糸が切れた。
「よ、よかったぁぁ……。」
思わずその場にへたり込みそうになる。
そんな私を見て、教室のあちこちから小さな笑い声が漏れた。
「ふふっ。」
「すごいギリギリ……。」
「漫画みたい。」
「朝から全力疾走だったんだろうなぁ。」
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
顔が熱い。
「識戸ミソラさんですね。」
「は、はい!」
「席はこちらです。」
先生に促され、私は空いている席へ向かう。
その途中、不意に一人の少女と目が合った。
陽の光を受けてきらめく金色のツインテール。
凛とした姿勢。
まるで絵本のお姫様のような雰囲気を纏った少女だった。
彼女は私と目が合うと、口元へそっと手を添え――
「ふふっ。」
小さく微笑んだ。
からかうような笑みではない。
慌てふためく私を見て、思わず笑みが零れてしまった。
そんな優しい笑顔だった。
「うぅ……。」
私はさらに顔を赤くしながら、自分の席へ腰を下ろす。
「それでは、改めまして。」
先生は教壇に立ち、教室をゆっくりと見渡した。
「皆さん、ご入学おめでとうございます。」
「私は一年A組担任の——音楽教師の結城奏音です。」
「一年間、どうぞよろしくお願いします。」
穏やかな笑顔。
透き通るような歌声にも似た、優しい声だった。
私はその先生を見た瞬間、不思議と胸が高鳴った。
「……あれ?」
どこかで会ったことがあるような。
そんな懐かしい感覚。
だけど、思い出せない。
「それでは最初に、一人ずつ自己紹介をしていただきましょうか。」
◇ ◇ ◇
「それでは、自己紹介を始めましょう。」
奏音先生が優しく教室を見渡す。
「出席番号順でお願いします。」
一人、また一人と立ち上がり、自分の名前と趣味、将来の夢を話していく。
「私は楽器演奏が好きです!」
「実家が喫茶店なので、将来はお店を継ぎたいです。」
「好きな食べ物はオムライスです!」
教室は和やかな空気に包まれていた。
みんな緊張しているけれど、それ以上に高校生活への期待でいっぱいなんだろう。
……いいなぁ。
私も、頑張らなきゃ。
「次、識戸さん。」
「は、はいっ!」
勢いよく立ち上がった拍子に椅子がガタンッと音を立てる。
「あっ。」
また笑われた。
うぅ……今日だけで何回恥ずかしい思いすればいいの……。
深呼吸。
大丈夫。
笑顔、笑顔。
「し、識戸ミソラです!」
「歌うことが大好きです!」
その一言で、自然と緊張がほぐれた。
「夢は――」
一瞬だけ迷う。
笑われるかな。
でも。
この夢だけは、絶対に嘘をつきたくなかった。
「世界一の魔奏少女になることです!」
一瞬。
教室が静まり返る。
そして。
「おぉ……。」
「すごい夢だ。」
「かっこいい。」
そんな声が聞こえてきた。
……よかった。
笑われなかった。
少しだけ胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。」
奏音先生は穏やかに頷いた。
「とても素敵な夢ですね。」
「夢を持ち続けることは、決して簡単ではありません。」
「どうか、大切にしてください。」
その言葉が、胸の奥へすっと染み込んでくる。
「……はい!」
私は力強く頷いた。
席へ座ると、前の席の女の子がくるりと振り返る。
「世界一ってすごいね!」
「応援してる!」
「えへへ……ありがとう!」
自然と笑みが零れる。
よし。
友達、一人できた!
そんな小さな幸せに浸っていると――
「次、綾小路さん。」
教室の空気が、少しだけ変わった。
窓際の席。
金色のツインテールを揺らし、一人の少女が静かに立ち上がる。
姿勢はまっすぐ。
動き一つにも無駄がない。
「綾小路ピスケと申します。」
澄んだ声が教室へ響く。
「音楽を愛する皆様と、この一年をご一緒できますことを心より嬉しく思います。」
優雅に一礼する。
それだけ。
たったそれだけなのに、教室中が思わず息を呑んでいた。
……綺麗。
まるで物語に出てくるお姫様みたい。
私はぽかんと見惚れてしまう。
その時だった。
ピスケさんがふとこちらへ視線を向ける。
一瞬だけ目が合う。
すると彼女は、小さく微笑み――
「これからよろしくお願いいたしますわ、識戸さん。」
そう言って、もう一度だけ優しく会釈をした。
こうして、私の高校生活が始まった。
◇ ◇ ◇
入学から二週間。
姫嶋学園には、今日も楽器の音が響いていた。
ギター。
ベース。
ドラム。
キーボード。
校舎中が、まるで一つのライブ会場みたいだった。
だけど――。
「……識戸さん。」
「はい。」
「やはり、反応はありませんね。」
検査用の奏器は静かなまま。
何度試しても、光ることはなかった。
「申し訳ありません。」
「現時点では、どの奏器にも適性は確認できません。」
「……ありがとうございました。」
私は笑顔を作って部屋を出た。
先生が困ったような顔をしていたのが、少しだけ辛かった。
「おーい、ミソラ!」
昼休み。
中庭ではクラスメイトたちが楽しそうに昼食を広げている。
「一緒に食べようよ!」
「うん!」
みんな、本当に良い人たちだった。
だからこそ。
「午後は実技だね!」
「私はドラム室!」
「私はギター!」
そんな会話が聞こえる度に。
「ミソラは?」
悪気なんてない。
本当に、ただ聞いただけ。
「私は……自主練!」
そう笑って答えることしかできなかった。
放課後。
誰もいない音楽室。
私は一人、窓の外を見つめながら歌っていた。
「♪ 前を向いて 涙を拭いて――」
歌だけは。
誰にも負けたくなかった。
歌だけは、ずっと好きだったから。
だけど。
「……。」
この歌だけじゃ、魔奏少女にはなれない。
その事実だけは、どうしても変わらなかった。
◇ ◇ ◇
「おはようございます、識戸さん。」
「お、おはようございます!」
朝。
教室へ入ると、金色のツインテールの少女――綾小路ピスケさんが、優雅に一礼してくれる。
「今日も朝練ですの?」
「えっ? あ、うん!」
「歌の練習!」
「そうですか。」
それだけ言って、彼女は微笑む。
不思議な人だった。
いつも静かで。
いつも誰にでも優しくて。
それなのに、どこか私のことを気に掛けてくれているような気がする。
……気のせい、かな。
「それでは、本日の実技を始めます。」
演奏室。
一人、また一人と演奏を終え、先生から評価を受けていく。
「良いですね。」
「以前より心奏力の流れが安定しています。」
「その調子ですよ。」
拍手。
笑顔。
喜び。
みんなが少しずつ、魔奏少女へ近付いていく。
「識戸さん。」
「……はい。」
「今日は見学でお願いします。」
「…………はい。」
もう、驚かなかった。
楽器を持てない私には、実技を受けることすらできない。
教室の一番後ろ。
私はただ、みんなの演奏を見つめることしかできなかった。
帰り道。
夕焼けに染まる校門。
私は一人、空を見上げていた。
「世界一の魔奏少女、か……。」
夢は、今も変わらない。
だけど。
夢へ続く道だけが、見つからなかった。
胸の奥が、少しだけ苦しくなる。
それでも私は、小さく笑う。
「……明日も、頑張ろ。」
その言葉だけは、まだ嘘じゃなかった。




