第1話 世界一の魔奏少女!その3
二週間が過ぎた。
相変わらず私は、どの奏器にも適性を見出せないままだった。
それでも歌だけは、やめなかった。
朝も。
昼も。
放課後も。
夢だけは、誰にも奪わせたくなかったから。
そんなある日の昼休み。
校庭が、いつになく賑わっていた。
「急げ急げー!」
「もう出発しちゃうぞ!」
大勢の生徒たちが正門へ向かって駆けていく。
「何かあるの?」
近くにいたクラスメイトへ尋ねると、目を輝かせながら答えてくれた。
「知らないの!? 今日、サダメ先輩と喜歌先輩が海外公演へ出発する日だよ!」
「海外公演……?」
「うん! 姫嶋学園を代表する魔奏少女!」
「世界中からオファーが来るくらい有名なんだから!」
私は思わず人混みへ混ざった。
校門前には大型バスが停まり、その前には二人の少女が立っていた。
一人は長い黒髪を後ろでまとめた、凛とした雰囲気の少女。
もう一人は短めの茶髪を揺らし、生徒たちへ満面の笑みで手を振っている。
「サダメ先輩ー!」
「喜歌先輩ー!」
「頑張ってくださーい!」
歓声が飛び交う。
「みんな、ありがとう!」
喜歌先輩はいつものように元気よく両手を振り返した。
「お土産、期待しててねー!」
その一言で、生徒たちから笑いが起こる。
一方、隣のサダメ先輩は照れくさそうに咳払いを一つ。
「……浮かれるな、角岡。」
「海外でも姫嶋学園の名を背負っていることを忘れるな。」
「はーい、委員長。」
「私は委員長じゃない。」
真面目なやり取りに、また笑いが広がる。
きっと、いつもの光景なんだろう。
「皆さん。」
奏音先生が二人の前へ歩み寄る。
「お気を付けて。」
「学園のことは心配せず、最高のライブを届けてきてください。」
二人は同時に頭を下げた。
「行ってきます。」
その一言だけで十分だった。
学園中の拍手が、校庭いっぱいへ響き渡る。
大型バスはゆっくりと動き出し、正門を抜けていった。
私はその姿が見えなくなるまで見送っていた。
「……すごいなぁ。」
あんな風に。
たくさんの人を笑顔にできる魔奏少女。
私も、いつか――。
「識戸さん。」
不意に後ろから声を掛けられる。
振り返ると、そこには綾小路ピスケさんが立っていた。
「えっ?」
「……夢は、まだ諦めておられませんのね。」
優しい笑み。
まるで全部分かっているような、不思議な表情だった。
「もちろん!」
私は笑って答える。
「いつか絶対、世界一の魔奏少女になるんだから!」
その言葉を聞いたピスケさんは、小さく目を細めた。
「……そうですか。」
「でしたら、その夢をどうか大切になさってください。」
そう言い残し、彼女は校舎の方へ歩いていく。
「変な人だなぁ……。」
そう呟きながらも、私はどこか嬉しかった。
夢を笑わない人が、この学園にはいる。
それだけで、もう少し頑張れる気がした。
――その日の放課後。
私はいつものように歌の練習を終え、人気の少なくなった廊下を歩いていた。
窓の外では夕焼けが校舎を赤く染めている。
「さてと、今日も帰ろっかな。」
その時だった。
ジジッ……
廊下のスピーカーから、小さな雑音が漏れる。
「……?」
照明が、一瞬だけ明滅した。
スマートフォンの画面が勝手に点いたり消えたりを繰り返す。
胸の奥がざわつく。
何か、おかしい。
次の瞬間。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!!
けたたましい警報音が、校舎中へ鳴り響いた。
『緊急警報!』
『学園周辺に大型Noise反応を確認!』
『全生徒は直ちに――』
放送は激しい雑音に呑み込まれ、そこで途切れた。
バチィッ!!
校舎全体の電気が一斉に落ちる。
窓の外。
夕焼けだった空が、黒いノイズに覆われていく。
「……うそ。」
ドォォォォンッ!!
正門の方角から、爆発にも似た轟音が響いた。
◇ ◇ ◇
ビーッ! ビーッ! ビーッ!!
けたたましい警報音が校舎中へ響き渡る。
『緊急警報! 大型Noise接近!』
『全生徒は直ちに避難してください!』
放送は途中で激しい雑音へと変わった。
ジジジジジッ!!
天井の照明が激しく点滅する。
教室から悲鳴が上がった。
「きゃっ!」
「停電!?」
「何が起きてるの!?」
窓の外を見た誰かが、小さく呟く。
「あれ……何?」
黒い靄。
空そのものを侵食するように、巨大な黒い霧が学園へ近付いてきていた。
次の瞬間だった。
ドゴォォォォォンッ!!
校門付近で爆発にも似た轟音が響く。
ガラスが砕け散り、衝撃が校舎を揺らした。
「きゃあああっ!!」
「逃げて!!」
廊下は一瞬で混乱に包まれる。
「落ち着いてください!」
「避難経路を――」
先生の声すら、悲鳴に掻き消される。
その時。
黒い霧の中から、人の背丈ほどもある異形が姿を現した。
全身を黒く歪ませた、まるで影そのもののような怪物。
「Noise……!」
誰かが震える声で呟く。
一体。
二体。
三体。
いや――。
「う、嘘でしょ……。」
校庭を埋め尽くすほどのNoiseが、次々と学園へ雪崩れ込んでくる。
電子掲示板が火花を散らし、監視カメラは勝手に回転を始める。
スマートフォンは耳障りなノイズ音を鳴らし続け、画面は真っ黒になった。
世界から"音"が狂っていく。
そして。
「あかり!? あかりっ!!」
一人の女子生徒が、倒れ込んだ友人へ駆け寄る。
「あかり、しっかりして!」
肩を揺する。
返事はない。
少女は苦しそうに胸を押さえ、涙を流しながら何かを呟いていた。
「ごめんなさい……。」
「全部……私のせい……。」
「違う!」
「そんなことない!」
「あかり!!」
その声は届かない。
Noiseは人の心の闇を増幅する。
後悔も。
恐怖も。
絶望も。
容赦なく。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」
学園は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
私は、その光景をただ呆然と見つめることしかできなかった。
Noise。
人の心の闇を増幅し、絶望へ突き落とす存在。
それは教科書で何度も学んだ知識だった。
でも。
実際に目の前で見る絶望は、そんな言葉では表せなかった。
「識戸さん!」
奏音先生の声が飛ぶ。その声に反応してハッと我に帰る。
「早く避難して!」
「は、はい!」
私は震える足を必死に動かした。
走る。
ただひたすら走る。
その時だった。
『――……ソ……ラ。』
「……え?」
誰かが。
私を呼んだ。
気のせい?
立ち止まった私の耳へ、もう一度声が届く。
『……ミソラ。』
女の子の声だった。
か細く、それでも不思議とはっきり聞こえる声。
「誰……?」
周囲を見渡しても誰もいない。
だけど声は続く。
『こっち。』
旧校舎の方からだ。
あそこは今、立入禁止区域のはず。
「まだ誰か残ってるの……?」
一瞬だけ迷う。
でも。
もし本当に取り残された人がいるなら。
「待ってて!」
私は旧校舎へ駆け出した。
廊下は静まり返っていた。
外から聞こえる悲鳴だけが遠く響いている。
「どこ!?」
「返事して!」
古びた校舎を走る。
声は少しずつ近付いてくる。
『もう少し。』
『そのまま真っ直ぐ。』
「……!」
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴッ!!
足元が大きく揺れる。
「きゃっ!?」
古い床板に、大きな亀裂が走った。
ミシッ。
ミシミシッ。
「う、そ……。」
バキィィィン!!
「きゃあああああっ!!」
床が崩れ落ちる。
私はそのまま暗闇へと投げ出された。
◇
ドサッ。
「いったたた……。」
ゆっくりと目を開ける。
「……ここ。」
見上げると、崩れた天井から細い光が差し込んでいた。
そこは、学園の地下深く。
誰にも知られていない巨大な空間だった。
壁一面には古い楽譜が刻まれ、天井には無数の音符を模したレリーフが並んでいる。
まるで、この場所だけ時間が止まっているみたいだった。
そして。
部屋の中央。
一人の少女が、マイクスタンドにもたれ掛かるように座っていた。
薄紫の髪。
優しく細められた瞳。
どこか気の抜けた笑みを浮かべながら、私を見る。
「あ、来た来た。」
まるで、待ち合わせでもしていたような口ぶりだった。
「待ちくたびれたよー。」
「百年って、意外と長いんだよ?」
「…………え?」
頭が追いつかない。
少女は立ち上がると、軽く伸びをして笑った。
「はじめまして、識戸ミソラ。」
「私はルナ。」
「君を待ってた。」
「え……。」
「え、私?」
「そうそう。」
ルナは当たり前のように頷く。
「やっと会えたねー。」
その笑顔は、どこか懐かしくて。
初めて会ったはずなのに、不思議と安心できる笑顔だった。
だけど私は、まだ知らない。
この出会いが、私の運命だけじゃない。
世界そのものを変える物語の始まりだったことを。
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