第4話 テルミン・ブブゼラ・タイキック その3
夕暮れの住宅街。
普段なら買い物帰りの人々で賑わう通りは、今や悲鳴と警報に包まれていた。
黒い靄をまとったNoiseがゆっくりと街路を這い、人々は我先にと逃げ惑う。
「きゃああっ!」
「早く! こっちよ!」
智佳は息を切らしながら現場へ駆けつけると、目の前の光景に思わず足を止めた。
「こんなに……」
動画で見たことはあった。
テレビでも何度も流れていた。
けれど、実際に目の前で見るNoiseは、画面越しとは比べ物にならないほど恐ろしかった。
全身が震える。
逃げろと、本能が叫んでいる。
「……っ!」
その時、近くで幼い子どもの泣き声が聞こえた。
「ママぁ……!」
振り向けば、小さな男の子が人混みからはぐれ、その場に立ち尽くしている。
Noiseがゆっくりとその子へ向きを変えた。
「だ、だめっ!」
考えるより先に体が動いていた。
智佳は男の子を抱き上げると、近くの母親へ駆け寄る。
「早く避難してください!」
「で、でもあなたは……!」
「私は大丈夫ですから!」
母親は何度も頭を下げながら子どもを抱きしめ、人々の列へ走っていく。
それを見届けると、智佳は大きく息を吸った。
「よし……。」
肩からテルミンケースを降ろす。
震える手で蓋を開け、慣れ親しんだ楽器をそっと取り出した。
四年間。
毎日触れてきた、自分だけの奏器。
「お願い……!」
両手を掲げる。
夕暮れの風が髪を揺らした。
その瞬間。
智佳の身体から淡い光が溢れ始める。
小さく、小さく。
けれど確かに。
心奏力が音となって、街へ広がっていった。
智佳は大きく息を吸い込み、テルミンへと手をかざした。
「お願い……!」
指先から溢れた心奏力が淡い光となり、テルミンを包み込む。
――みょぉぉぉん……
どこか儚く、それでいて真っ直ぐな音色。
音に乗せられた心奏力が波紋のように広がり、Noiseへと降り注ぐ。
「ブアッ……!」
黒い靄が揺らぐ。
Noiseの腕が、まるで霧が晴れるように少しずつ崩れ始めた。
黒い粒子となって空へ溶けていく。
「効いてる……!」
智佳の表情が明るくなる。
「これなら……!」
もう一度、心奏力を込めようとした、その瞬間だった。
「――ブアアアァァァァッ!!」
Noiseが耳をつんざく咆哮を上げる。
空気ではない。
電子機器そのものを震わせるような、異質な振動。
「えっ……?」
テルミンが、小刻みに震え始める。
ブゥン……
ブブブブブ……
振動は瞬く間に激しさを増していく。
「う、嘘……止まって……!」
智佳は必死に押さえ込もうとする。
しかし、共鳴は止まらない。
まるでNoiseが、テルミンの発振回路そのものを書き換えているかのようだった。
「やめ――」
――バキィッ!!
「きゃあっ!」
ーードサッ…
乾いた音が夕暮れの街に響く。
支柱が根元からへし折れ、アンテナは宙を舞った。
光を纏っていた心奏力も、音とともに霧散していく。
「あ……」
折れた衝撃で後ろに倒れこんだ智佳の手に残ったのは、真っ二つになったテルミンだけだった。
「そんな……」
Noiseは崩れた腕をゆっくりと再生しながら、智佳を見据える。
さっき確かに削ったはずの傷は、もう跡形もなく消え始めていた。
Noiseはゆっくりと智佳へ歩み寄る。
黒い靄が足元を這い、逃げ場を塞いでいく。
「い、いや……」
折れたテルミンを抱きしめたまま、智佳は後ずさる。
立ち上がろうとしても、足に力が入らない。
「来ないで……」
Noiseが大きく腕を振り上げる。
その瞬間。
――ドドドドドドドドッ!!
地面を揺らすほどの重低音が街中へ響き渡った。
「……え?」
Noiseの動きが止まる。
夕暮れの交差点に、金色の心奏力が弾けた。
「Go To HELLですわーーーーッ!!!!」
轟音。
怒涛のドラムロールが炸裂する。
音の奔流が一直線にNoiseへ叩きつけられた。
「ブアァァァァッ!!」
黒い身体が大きく吹き飛び、さっき智佳が削った傷口から一気に崩れ始める。
霧となったNoiseが道路いっぱいに舞い散った。
「ま、またあの人……!」
智佳が目を見開く。
金色の光の中から、一人の少女が軽やかに着地した。
スティックをくるりと回し、得意げに笑う。
「お待たせしましたわ。」
金色の心奏力が街へ降り注ぐ。
ミソラの歌声と、ピスケのドラム。
二人の演奏が重なるたび、Noiseは次々と霧散していった。
「これで最後っ!」
ミソラが歌い上げる。
最後の一体が光の中へ溶け、街に静寂が戻った。
智佳は呆然とその光景を見つめる。
「す、すごい……」
ミソラは笑顔で親指を立てた。
「智佳ちゃん! 怪我ない!?」
「う、うん……ありがとう……」
その時だった。
ミソラが何かに気付いたように前髪へ手を伸ばす。
「あれ?」
「どうしましたの?」
「見て! ピスケちゃん!」
くるりと振り返る。
「変身したら前髪直った!」
「……。」
ピスケは一瞬固まった。
「ずっと堂道の前髪でしたの!?」
「えっ!? そんなに!?」
「ご本人に謝りなさいませ。」
「えぇぇぇぇっ!?」
智佳は思わず吹き出した。
ついさっきまで命の危険があったとは思えないほど、二人はいつも通りだった。
しかし。
「……あれ?」
ミソラが首を傾げる。
「どうかしましたの?」
「なんか……今日は前よりあっさり倒せなかった?」
「わたくしも少々気になっておりましたわ。」
1週間ほど前に相対した大型Noise。
あの圧倒的な圧迫感に比べれば、今回のNoiseは拍子抜けするほど脆かった。
その時、小さな笑い声が聞こえた。
「ふふっ。」
ルナがいつもの姿でふわりと現れる。
「そいつらは普通のNoiseみたいだね。」
「普通の?」
「前に戦ったのはアノマリーから生まれたNoiseだよ。」
「Noiseの中でも特別な存在。」
「だから同じNoiseでも強さは全然違う。」
「そっか……。」
ミソラは少しだけ安心したように笑った。
その様子を。
一つの影が高層ビルの屋上から静かに見下ろしていた。
銀色の髪が夕風になびく。
「……。」
ミスティ・クロウリー。
その視線は、ただ静かにミソラたちを見つめている。
ふと。
背後の空間が歪んだ。
Noise。
黒い腕が無音のまま振り下ろされる。
しかし。
「……ジェミニ。」
振り返ることすらしない。
その一言だけで。
背中の魔奏器が淡く輝く。
ギター。
そしてベース。
二つの音色が重なり合い、美しい二重螺旋となって空へ駆け上がる。
――ギィン。
――ゴォン。
たった一音。
それだけでNoiseの身体は音もなく崩壊し、夜風へ溶けて消えた。
ミスティは一度だけ街を見下ろす。
「……悪くない。」
そう呟くと、夕闇の中へ静かに姿を消した。
◇ ◇ ◇
ミソラは首を傾げた。
「あれ……?そういえば」
「どうしましたの?」
「なんで私がミソラだって分かったの?」
「変身してるのに。」
智佳はきょとんとした顔で答える。
「え?」
「先週上がった動画で、変身が解けるところまで映ってたよ?」
「…………。」
ミソラの笑顔が固まる。
「え?」
「動画なんて上げてないよ?」
「自分で上げなくてもさ。」
智佳は苦笑いを浮かべながら、道路の向こうを指差した。
「こういう現場って、大体誰かが撮ってるもんなの。」
「ほら、あそこ。」
スマートフォンを構えた人が、こちらへレンズを向けている。
「へぇー!」
ミソラの目がきらりと輝く。
「そうなんだ!」
ピスケが嫌な予感を覚える。
「……ミソラさん?」
「よし、それなら!」
「え?」
ミソラは勢いよくカメラへ駆け寄る。
「ミソラさん!?」
ピスケの悲鳴が夕暮れの街へ響いた。




