第4話 テルミン・ブブゼラ・タイキック その2
放課後の音楽室は、静かだった。
窓から差し込む夕陽が、譜面台の金属に淡く反射している。
その中でただ一人、転部智佳は鍵盤の前に座っていた。
「……みょーん」
テルミンの柔らかな電子音が、空気を揺らす。
それは音楽というより、感情の揺れそのものだった。
智佳の周囲には、うっすらと光の粒のようなものが漂っている。
心奏力。
まだ不安定で、形を成しきれていないそれが、彼女の指先に合わせて揺れていた。
「もう少し……こうかな……?」
その時だった。
――ギィ、と扉が開く。
「あら、先に人が居らしたのね」
静かな声。
振り返ると、そこに立っていたのは綾小路ピスケだった。
いつもの優雅な立ち姿。
音楽室という空間すら、彼女のために整えられていたかのような錯覚を覚える。
「綾小路さん?」
「貴方は……転部さんだったかしら」
「あ、はい!転部智佳です」
慌てて立ち上がる智佳。
手元のテルミンが「みょん」と間の抜けた音を鳴らす。
「ふふっ」
ピスケは小さく笑った。
「同級生なのですから、そんなに緊張なさらないでくださいませ」
「あっ……はい、そうですよね……」
なぜか背筋が伸びる。
余計に緊張する。
その空気を壊すように、再び扉が開いた。
「智佳ちゃんおまたせー!」
「……あら?」
ピスケが振り向く。
「ミソラさん?」
「それに……ピスケちゃんも!」
ミソラは元気よく音楽室へ飛び込んできた。
その瞬間。
智佳の周囲に漂っていた心奏力が、ふわりと揺れた。
「な、なんかすごい雰囲気だったね?」
「そ、そうかな……?」
「練習してたの?」
「うん、ちょっと……テルミンを……」
「テルミンですの?」
ピスケが首を傾げる。
ほんの一瞬だけ、静寂。
次の瞬間。
「それってどんな楽器なんですの?」
「えっ、説明難しいやつ!」
「みょーんって鳴るやつ!」
「説明が雑すぎますわ!」
「だってみょーんだもん!」
「楽器に対する冒涜ですわ!」
音楽室は一気に騒がしくなる。
さっきまでの静けさはどこにもなかった。
ただ一人、智佳は小さく笑う。
「……やっぱり、賑やかだなぁ」
窓の外では、夕陽が少しだけ傾いていた。
「テルミンって、どんな楽器なんですの?見せてくれた方が早いかと。」
ピスケが智佳の机の上を覗き込む。
「あ、これです!」
智佳は誇らしげに小さな機械を指さした。
「みょーんって鳴るやつ!」
「説明が雑すぎますわ!」
「みょーんしか出ないんだもん!」
「楽器として成立しておりませんわよそれ!」
ミソラが横から覗き込む。
「へぇー、面白そう!」
「いや、面白がるところじゃありませんわ!」
その時だった。
ピスケがふと外を見て、軽く息を吐く。
「……なるほど。」
「何がですの?」
「ならば、こちらも“音”で応じるまでですわね。」
「え?」
ピスケはどこからともなく、ジェットブーツを取り出した。
「持ち込み禁止!!」
「今さらですわ!」
「今さらじゃないよ!!」
◇
「じゃあ行きますわよ」
「どこに!?」
「50メートル……測定用廊下へ!」
「測定用の廊下って何!?学校壊れるって!」
次の瞬間。
廊下の奥から爆音。
ドゴォォォォン!!
「綾小路失格!!」
「誰!?」
「か……体が……」
「ピスケちゃーん!!」
騒ぎの中心で、ピスケは満足げに髪を整えていた。
「本日の記録、更新ですわね」
「何の記録!?」
◇
騒ぎのあと。
音楽室に戻ると、智佳はぽつりと呟いた。
「……やっぱりすごいなぁ、みんな。」
音楽室に、ようやく落ち着きが戻ってきた。
「……疲れましたわ」
ピスケは椅子に腰掛け、優雅に紅茶を口に運ぶ。
その姿は、さっきまで廊下でジェットブーツを暴走させていた人物とは思えない。
「普通に座ってるのに安心するのすごいね……」
ミソラが感心したように言う。
「わたくしは常に優雅ですわよ?」
「さっき廊下で爆走してたよね?」
「記憶違いですわ」
「圧力で消した!」
◇
智佳はその様子を見ながら、小さく笑った。
「……ほんと、すごいなぁ」
テルミンを軽く鳴らす。
みょーん。
その音はもう、最初より少しだけ落ち着いていた。
「でもさ」
ミソラが机に頬杖をつく。
「智佳ちゃんのそれも、ちゃんと音楽だよね」
「え?」
「さっきの授業のときも思ったけどさ」
「ちゃんと音、出してるし」
「……そう、なのかな」
ピスケが紅茶を置く。
「ええ。」
「少なくとも」
「叫ぶだけの楽器よりは遥かに優秀ですわね」
「それ誰のこと!?」
「秘密ですわ」
「絶対私だよね!?」
笑い声がまた広がる。
智佳は少しだけ胸の奥が軽くなるのを感じていた。
「……まぁ」
「悪くない、かも」
「でも……テルミンで魔奏少女になった人なんて、今までで11人しか居ませんのよ」
ピスケがさらりと言う。
「意外と居た!」
ミソラが即座に反応する。
「意外って何よ!?私はこれが一番適性高かったんだからね!」
智佳はむっとして胸を張った。
「因みに二番目に高かったのは何ですの?」
ピスケが何気なく尋ねる。
「ブブゼラ」
「智佳ちゃん……」
「憐れまないで!」
即答だった。
「去年持ってきたら没収されちゃったしさぁ……」
「まぁ……ブブゼラも一人は居ますし……」
「えっ、居るの!?」
ミソラが食いつく。
ピスケは少しだけ遠くを見るように目を細めた。
「……九十年前に」
「ほとんど始祖じゃん!!」
「歴史すぎるでしょそれ!」
智佳は勢いよく机を叩く。
「こっちはテルミンとブブゼラで中学から四年間頑張って来たんだよ!」
その言葉だけが、少しだけ重く落ちた。
ピスケは一拍置いて、小さく頷く。
「……不屈」
「褒めてる!?」
智佳が叫ぶ。
しかし、その空気の奥でピスケは静かに思う。
(諦めろなんて……言えませんわねぇ……)
◇ ◇ ◇
2人と分かれた後の帰り道。
夕暮れの街を、転部智佳は一人で歩いていた。
オレンジ色に染まったアスファルト。
長く伸びる影が、自分だけ少し遅れてついてくる。
「わたし……」
ぽつりと呟く。
「ホントに魔奏少女になれるのかな……」
テルミンのケースを、ぎゅっと抱きしめる。
その時だった。
――サイレン。
街のスピーカーから、警告音が響く。
『警告。警告。Noise反応を確認』
「え……?」
スマートフォンの通知が一斉に鳴り響く。
『避難してください』
『繰り返します、Noiseが発生しています』
「Noise!?に、逃げなきゃ……」
一歩後ろに下がる。
足が震える。
当然だ。
戦ったことなんて一度もない。
でも。
脳裏に浮かんだのは、一週間前の映像だった。
ネットに上がっていた動画。
ミソラとピスケが、巨大なNoiseを前に立っている姿。
歌。
光。
笑いながら戦う二人。
「ミソラにも出来たんだもん……」
ぎゅっと拳を握る。
「私だって!」
震える足で、一歩踏み出す。
二歩目は、少しだけ早くなった。
三歩目で、もう止まれなかった。
「待ってて……!」
悲鳴の上がる方へ。
智佳は駆け出した。




