第4話 テルミン・ブブゼラ・タイキック その1
──綾小路家に招待され、ピスケと過ごすようになってから一週間後。
「……。」
鏡の前で、識戸ミソラは固まっていた。
「……戻らない。」
昨日車に乗せられてから、何度前髪をとかしても、何度水で濡らしても。
そこには見慣れた自分ではなく――
物理法則を無視した、堂道と全く同じ前髪の少女が映っていた。
「なんでぇぇぇぇ!?」
◇
「おはようございますわ、ミソラさん。」
校門で待っていたピスケが、こちらを見る。
「……。」
一瞬。
本当に一瞬だけ肩が震えた。
「……ふっ。」
「笑った!」
「い、いえ……。」
口元を押さえるピスケ。
「失礼……ふふっ……。」
「我慢しないでよ!」
「耐えられませんわ!」
「そんなぁ!」
ピスケは一度咳払いをすると、にこりと微笑む。
「とても……お似合いですわ。」
「慰めになってないよぉ!」
頭を抱えるミソラ。
そのまま二人は笑いながら教室へ向かった。
◇
「みんな席につけー。」
ホームルーム。
担任が教壇を軽く叩く。
「今日は海外から留学生が来ている。」
教室がざわつく。
「留学生?」
「海外から?」
「かわいい子だったらいいなー。」
ガラリ、と扉が開く。
長い銀髪。
無機質なほど整った顔立ち。
背には黒いギターケース。
静かな足取りで教壇の前まで歩くと、一礼する。
「ミスティ・クロウリーです。」
「よろしくお願いします。」
「…………。」
「以上です。」
教室中が静まり返る。
「短っ!」
誰かのツッコミに教室がどっと笑いに包まれた。
ミスティ本人だけが、不思議そうに首を傾げていた。
◇
「それじゃあ英語の授業を始めるぞ。」
教師が教科書を閉じる。
「せっかくだからクロウリーさん、何か話してもらえるか?」
「はい。」
ミスティは流れるような英語で教科書の例文を始める。
発音は滑らかで、教師ですら感心するほどだった。
「すご……。」
「何言ってるか全然分かんない。」
教室から拍手が起こる。
「じゃあ次、識戸。」
「はい!」
勢いよく立ち上がるミソラ。
大きく息を吸って。
「I have Apple!」
静寂。
「……。」
「……。」
教師がゆっくり眼鏡を押し上げた。
「識戸。」
「はい!」
「リンゴを一個持ってるのか。」
「はい!」
「嘘でしょミソラさん。」
ピスケが思わず額に手を当てる。
「えぇ!?」
「冠詞がありませんわ。」
「かん……し?」
「そこからですの?」
教室は再び笑いに包まれた。
ただ一人。
ミスティだけは真面目な顔で頷く。
「伝われば問題ない。」
「フォローになってるようでなってないよぉ!」
今日も教室は、平和だった。
◇ ◇ ◇
休み時間
「ミソラー。」
智佳は教室の入口から顔を覗かせた。
「今日も一緒に――」
そこまで言って、言葉が止まる。
「この紅茶、とても美味しいんですのよ。」
「ほんと!? 初めて飲んだけどすっごい!」
窓際ではミソラとピスケが楽しそうに笑っていた。
その光景を見て。
「……。」
智佳は少しだけ笑う。
「また今度でいっか。」
誰にも聞こえないくらい小さく呟いて、そのまま踵を返した。
「……。」
「どうしましたの?」
「え?」
「今、誰か居たような……。」
「気のせいじゃありません?」
「そうなのかな…」
次の休み時間、移動教室へと向かう途中の廊下
「あっ。」
「智佳ちゃん!」
「お、お疲れ!」
少しぎこちない空気。
「最近……。」
智佳は笑ってみせる。
「綾小路さんと仲良いね。」
「え?」
「いや、その……。」
「楽しそうだなーって。」
「うん!」
ミソラは何の悪気もなく笑う。
「ピスケちゃんね、すっごくいい子なんだ!」
「……そっか。」
智佳も笑う。
「良かったね。」
◇ ◇ ◇
昼休みの廊下は、いつもより少しだけ騒がしかった。
「今日は体力測定らしいですよ!」
「マジかー、握力死ぬわ」
「去年より上がってるといいなぁ」
そんな会話が飛び交う中、識戸ミソラは首を傾げていた。
「体力測定って、そんなに盛り上がるものなの?」
「普通はね。」
隣でピスケが優雅に紅茶を飲みながら答える。
「普通は、ですわ。」
◇
「まずは50メートル走から!」
体育教師の声が響く。
「ではクロウリーさんから!」
コースに立つミスティ。
軽くストレッチをすると、無言でスタート姿勢に入る。
「よーい……」
パン!
一瞬だった。
風が走ったかと思った次の瞬間、ゴールテープが揺れる。
「……5秒8。」
「え?」
「え?」
生徒たちが固まる。
「今……何が起きた?」
ミスティは息一つ乱さず振り返る。
「普通だ。」
「どこが!?」
◇
「次、識戸!」
「はい!」
元気よくミソラがスタート位置へ。
「よーい……」
パン!
「うわあああああああああ!!」
全力ダッシュ。
そして普通に7秒台。
「うん、平均。」
「安心したー!」
◇
「次は綾小路!」
ピスケが静かに前へ出る。
「……。」
手には何かを持っている。
「それは?」
「ジェットブーツですわ。」
「は?」
「50メートル2秒ですわーー!!」
ギュオオオオオオ!!
爆音。
空気が破裂するような加速。
ゴールテープが吹き飛ぶ。
「綾小路ーーー!!ジェットブーツは禁止だーーー!!失格!!」
「か……体が……」
「ピスケちゃーん!!」
「楽しかったですわーー!!」




