第3話「出鱈目なリズム」 その3
闇だった。
どこまでも、果てのない闇。
冷たい。
苦しい。
息が出来ない。
(……なんで。)
膝を抱え、小さくうずくまる。
(なんで私……。)
(こんな想いまでして……。)
(歌ってるんだっけ……。)
返事はない。
ただ黒い闇だけが、ゆっくりと心を侵していく。
その時だった。
どこからともなく、小さな歌声が聞こえた。
> **前を向いて 涙を拭いて**
>
> **君は 一人じゃないよ──**
「……。」
聞き覚えのある声。
優しくて、少し不器用な歌声。
「……ピスケちゃん。」
その歌に導かれるように、闇が少しずつ揺らぐ。
景色が変わった。
目の前に広がるのは、十年前のライブ会場。
まだ幼かった自分。
母の手を握り、目を輝かせて歩いていた。
突然、悲鳴が響く。
黒い靄。
Noise。
逃げ惑う人々。
小さなミソラの足は恐怖で動かなかった。
目の前まで迫るNoise。
もう駄目だと思った、その時。
歌が聞こえた。
どこまでも真っ直ぐで、温かな歌声。
光がNoiseを包み込み、その身体が音と共に溶けていく。
助けてくれた魔奏少女は、震えるミソラの前へしゃがみ込み、優しく笑った。
「大丈夫?」
涙で何も言えないミソラに、その人はそっと頭を撫でる。
「魔奏少女っていうのはね。」
「誰かを笑顔にするために歌うんだ。」
その笑顔は、春の日差しみたいに温かかった。
景色が溶けていく。
(……そうだ。)
(私は……。)
拳を握る。
(歌いたい。)
(もっと歌いたい。)
(私は──)
「何があっても……!」
「歌いたいんだッ!!」
その叫びと同時に、闇が大きく揺れた。
---
現実。
黒い靄の中心へ向かい、ピスケが走り出す。
「ミソラさん!」
ルナが振り向く。
「やめなよ!」
「君まで飲まれるだけだ!」
それでも、ピスケは止まらない。
「それでも!」
その小さな背中に迷いはなかった。
「私は……!」
「ミソラさんを助けたいんですの!」
ルナは目を見開く。
その瞬間、黒い靄が大きく脈打った。
---
闇の中。
無数の声が響く。
『適性ゼロ。』
『またゼロ。』
『意味なんてない。』
『諦めろ。』
『魔奏少女なんて碌なもんじゃない。』
『歌って何になる。』
『お前、おかしいよ。』
『誰も期待してない。』
『誰も助けてくれない。』
『全部、無駄だった。』
声が重なり合い、やがて言葉ですらなくなる。
頭の中を掻き回すような不快なNoise。
「うっ……。」
「やめ……。」
耳を塞ぐ。
それでも止まらない。
「いやぁぁぁぁっ!」
その時。
背中へ、そっと温かな温もりが触れた。
震える肩を、優しく抱き締める腕。
「……。」
「ピスケ……ちゃん?」
振り返る。
涙を浮かべながら、それでも笑おうとしているピスケがいた。
「ミソラさん。」
「歌って。」
たった一言。
その声だけが、はっきりと届く。
ミソラは小さく頷いた。
その瞬間。
二人の胸から溢れ出した光が、静かに重なり合う。
桃色と深い金色。
二つの光は溶け合い、一筋の輝きとなって闇を照らした。
そして――
どこからか、懐かしい声が聞こえた気がした。
「ミソラ。」
祖父の声だった。
「お前は歌が好きなんじゃない。」
「……。」
「誰かが笑うのを見るのが好きだったな。」
幼い頃。
歌を歌うたびに笑ってくれた母。
拍手してくれた祖父。
一緒に口ずさんでくれた友達。
あの日、助けてくれた魔奏少女。
笑顔。
笑顔。
笑顔。
そのすべてが、一つの答えになる。
ミソラは涙を拭い、静かに微笑んだ。
「……そうだった。」
「私は。」
「誰かを笑顔にしたくて。」
「歌ってたんだ。」
その言葉と共に、二人の光はさらに強く輝きを増し、闇を切り裂くように空へと伸びていった。
---
二人の心奏力が重なった瞬間。
桃色と金色の光は一筋の輝きとなって闇を切り裂いた。
黒い靄が裂け、空へ光の柱が立ち昇る。
その眩い光景に、ルナは思わず息を呑んだ。
「……まさか。」
百年という長い時を生きてきた彼女ですら、その現象を見たことがない。
「心奏力が……共鳴した?」
光は脈打つように鼓動を刻む。
まるで、新しい命が生まれるように。
ルナは荒ぶる髪を押さえ、小さく笑った。
「ふふっ。」
「百年見てきても、こんなのは初めてだ。」
その笑みはどこか嬉しそうだった。
「本当に面白いね、君たちは。」
次の瞬間。
光が弾ける。
眩い粒子が舞い上がり、その中心から一人の少女がゆっくりと姿を現した。
純白を基調としたライブドレス。
幾重にも重なったフリルが風を受けて揺れる。
手には黒と金のドラムスティック。
背後には巨大なドラムセットが、光の粒から次々と組み上がっていく。
最後のシンバルが澄んだ音を響かせた。
「お嬢様。」
聞き慣れた声が響く。
堂道だった。
どこからともなく現れた老執事は、いつものように一礼する。
「既に準備は出来ております。」
ピスケは小さく笑う。
「ありがとう、堂道。」
「執事として、当然の務めでございます。」
その言葉に頷くと、ピスケはゆっくりとNoiseの群れへ向き直った。
くるり、とスティックを回す。
口元には、いたずらを思いついた子供のような笑み。
「それでは皆様。」
「ライブのお時間ですわ。」
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――ドォンッ!!
最初の一打。
それだけで空気が震えた。
目に見える衝撃波が放射状に広がり、先頭のNoiseが一瞬で霧散する。
「えっ。」
ミソラは思わず声を漏らした。
もう一打。
ドォォン!!
爆音と共に、十数体のNoiseがまとめて吹き飛ぶ。
三打。
四打。
五打。
リズムを刻むたび、Noiseが紙吹雪のように消えていく。
ドラムを叩いているだけ。
それなのに、誰も近づくことすらできない。
「す……すごい……。」
ミソラは呆然と立ち尽くす。
ピスケは楽しそうに笑いながら、スティックを高く掲げた。
「キルゼムオールですわーーーーーっ!!」
ドォォォォォンッ!!
特大の一撃。
街を埋め尽くしていたNoiseは、一瞬で光へと還っていく。
「えええぇぇぇーーーっ!?」
思わず叫ぶミソラ。
その声が街中に響き渡る。
「す、すごい……。」
「昨日まであんなにおっとりしてたのに……!」
しかし。
歓声は長く続かなかった。
消えたはずの黒い靄が、再び地面から這い上がる。
ひとつ。
またひとつ。
消え残ったNoiseたちが互いを飲み込み始めた。
「……あら?」
ピスケの笑みが少しだけ消える。
黒い塊は際限なく膨れ上がり、やがてビルほどもある巨大なNoiseへと姿を変えた。
重々しい咆哮。
街全体が揺れる。
「こ、こんなの……!」
ミソラが息を呑む。
巨大Noiseが拳を振り上げる。
ピスケも構えるが、先ほどまでのような余裕はない。
その時だった。
胸の奥で、何かが響いた。
「……あれ?」
聞いたことのない旋律。
誰も歌っていない。
それなのに、自然と歌詞が浮かんでくる。
「これ……。」
「知らない歌……?」
隣を見る。
ピスケも驚いたように胸へ手を当てていた。
そして、ゆっくりと微笑む。
「ええ。」
「これが……セッションですわ。」
「セッション?」
「二人の心奏力が重なった時だけ生まれる、世界に一つだけの音楽。」
その言葉を聞いて、ミソラははっとする。
「……そっか。」
「それで、さっき落ち込んでたんだ。」
屋敷で見せた、あの寂しそうな横顔。
ピスケは少し照れくさそうに笑った。
「……一人では。」
「この歌は、生まれませんもの。」
「私は、ずっと。」
「誰かと一緒に奏でてみたかったんですの。」
ミソラは力強く頷く。
「じゃあ。」
ピスケへ手を差し伸べる。
「一緒に歌おう。」
その一言だけで十分だった。
ピスケも笑顔でその手を握る。
「ええ。」
「最高のライブにいたしましょう。」
二人の指先が触れた瞬間、再び桃色と金色の光が交わる。
巨大Noiseが咆哮を上げる中、二人は同時に叫んだ。
**「「──Play to Session!!」」**
その瞬間、新たな旋律が街中へと響き始めた。『アンチェイン・ハートビート』のイントロが、力強いドラムと共に世界を震わせる。




