第七話
きっと私はファルコを睨みつける。セデュイールへの侮辱、誹謗中傷は許せない。たとえ共演者であっても。そんな気持ちだった。
「なんの根拠があってそんなデマを? あの人には奥さんがいたのよ」
「だから、それがバレて離婚になったってことだよ。不倫してたんだ、あいつは。それも汚らしいパリの場末の、男娼窟の男の子とね」
「――」
男娼窟、男娼窟ですって? フランスにはそういう場所があるって、噂では聞いたことがあるけど…アメリカにも、探せばあるのかもしれないけど…そんな場所に出入りしてたっていうの? あのセデュイールが? そんな、まさか、そんなバカなことがあるわけが――
「…お金で買った相手を、愛人にしてたっていうの?」
「そういうことさ。別荘に囲って、めくるめくような愛欲三昧の日々を送っていたってわけ! アイツもやるよなあ、あんな大人しそうな顔してさ…いや、あーゆームッツリタイプのほうが案外性欲が強いんだろうな! なにせフェリシアに愛想つかされるくらい、あからさまだったってことだもんなあ!」
「あいよく…」
「そうさ。セデュイールはその男の子のカラダに夢中になっちゃって、奥さんを放り出して、愛人のもとに走ったってこと!」
いやらしい男のいやらしい言葉で、セデュイールが汚されていくみたい。耳を塞ぎたいけれどできない。あの人がそんなことをするはずないって思いと、私たち女優陣に一切傾かなかったあの人の、本来の性的嗜好についての、嫌な直観めいたものが渦巻いてくる。
セデュイール、あなたは、本当に奥さんを棄てたの? 私の愛した男は、そんな人だったってこと?
「男同士のセックスってさ、男女とはまた違った快感があるらしいぜ。君聞いたことあるかい? ケツを使うんだけどさ、男のカラダには前立腺ってものがあって――」
「その相手の子は、どんな子なの…」
ぺらぺらどうでもいいことを捲し立てるファルコに取りあわず呟くと、水を得た魚のような饒舌がつづく。本当に、話したくって堪らなかったのだろう。なんて嫌な男。
「ルーシュミネ・リーヴェって、聞いたことある? 10年くらい前にさ、有名だったピアニストだよ。アメリカ人は知らないかなア?」
「リーヴェ…」
ピアニスト。私は音楽のことには詳しくない。子供の頃、私が熟読していたタブロイド紙に、載ったことがあったかしら…。
「10代で、ギャンブルだの未成年飲酒だの乱交パーティーだの薬物乱用だの、メチャクチャな乱行で話題になった男の子さ。それがピアノじゃ食っていけなくなって、男娼に身を落としたってこと。あ、最近は作曲家として芸能界に返り咲いたらしいけど」
「それって…」
「もちろん、裏取引の結果だろうね。リーヴェはセデュイールっていういい金ズルができて、ウハウハだろうなあ! セデュイールはその子にメロメロで、もう言いなりみたいだし。男娼から芸能人への転身なんて、目の覚めるようなシンデレラストーリーじゃない? 映画化してもいいくらいだよまったく!」
「……」
それって。それってつまり、セデュイールは、その男娼に、いいように操られてるっていうこと、じゃない?
彼が離婚したことはもう事実らしいから、それは認めます。原因となったのがセデュイールの浮気らしいのも、芸能界ではよくあることでしょう。
ただひとつ引っかかっていたのが、セデュイールはそんなことするような最低男じゃないってこと、なんだけど。
その、いやらしい世界で悪徳の悉くを尽くしてきたみたいな男の子に魅入られて、取り込まれて、操られてしまっているんだって考えたら、まだ納得できるというか、理解してしまえるというか…。
つまりその男娼が諸悪の根源だってことでしょう? セデュイールはなんにも悪くないわ! あのひとは自分の性的嗜好を隠して、堅実にやってきていたのに、その子にむりやり暴きたてられて、もしかしたら脅迫されて、肉体関係を結ばされて――離れられなくなってしまったのよ。そうに決まってる!
「…許せない、なんなのよ…わたしが今までどんな思いで…」
「おっ。闘志が燃えてきたねえ! ちなみに今のはオフレコだから、君にだけ特別に教えてあげたんだからね? 感謝してくれよー! セデュイールを襲撃するなら俺も手を貸すからさー!」
怒りに燃える私はハリウッドで再びセデュイールと共演することになった際、案の定――おそらくはセデュイールのコネで――映画の劇版を担当することになったルーシュミネに、パーティー会場で、啖呵を切って見せたのだ。
再会したセデュイールが私の覚えている彼よりも、なんというか、物腰が柔らかく、無防備な、あどけない顔で笑うようになったことに、見ないふりをしたままで。
目が醒める。枕元の時計は7時5分前を差している。7時に起こすと言っていたから、待っていたら、セデュイールがノックしてくれたり、するのかしら。
ベッドの中で耳栓を外してソワソワと待つ。7時ちょうどにノックしたのは、可愛らしいオレンジ色の髪の女の子だった。
「おはようございます! 7時ですよお、ご準備のお手伝いをいたしますね!」
ハウスメイドの、確かルージュとか言っていたっけ。きらきらした瞳で「あとでサインいただけますか!?」とがっつく彼女に鷹揚に応えつつ、内心ガッカリしながら身を起こす。
…まあ、セデュイールが起こしてくれるなんてそんな都合のいい話はないわよね。あのひと、寝起きの姿を見るのはレディに失礼だとか、思っていそうだし。
…昨夜、セデュイールはあのバカと寝たのかしら。耳栓をしていたから何も聞こえなかったけど、していてもおかしくないような雰囲気だったわよね。…というか、私がいるのにセデュイールを誘惑するなんてどういう了見なのよ! ちょっとくらい慎みってものを持ったらどうなの、あのバカは!
思い出したらムカムカしてきた。ルージュの差し出してくれるボウルで顔を洗い清潔なタオルで拭い、鏡の前でパフを叩いて完璧な朝の私を作りながらイライラと口紅を選んだ。今日はとびきり濃い色にしてやる。口紅を塗らないルーシュミネがおののくようなね!
ルージュに髪を梳かしてもらって、頭をセットして、紺色のツーピースに着替えた私はダイニングに向かう。セデュイールの屋敷は広く、迷路のように入り組んでいてひとりでは迷ってしまいそう。先導するルージュの後についていくつも部屋を通り抜け、シックでありながら重厚かつ豪奢な調度に目を丸くしながらセデュイールの成育環境に思いを馳せ――シャンデリアが輝くまばゆいダイニングの手前の応接間で、私は彼に行き会った。




