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≪第九部≫ウンディーネは日盛りに沈む ―スキャンダル編―  作者: 咲佐きさ


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第五話

「おかえりセデュ――うええ!?」

 予想より早いセデュの帰宅にウキウキと出迎えた僕は呆然と立ち竦む。トランクを抱えてセデュと一緒に玄関ホールに立つのは、僕のよく知る女の子だ。

 僕と同い年の、顔が可愛くて、声も可愛い、ダイアナだ。

「お生憎様、私はセデュイールに誘われたんですからね! あんたに文句を言う筋合いはないわけよ、この居候が!」

「彼女の身の安全を考えての処置だ。例の記事のせいで、酷い目に遭わされているらしい」

「ええーそれを言われると…仕方ないなア…」

 ふんと高飛車なダイアナに僕は肩を落としてぶつぶつ呟く。セデュが決めたことなら僕に拒否する権利はない。ここはセデュの家だし。ダイアナに迷惑かけてるのも事実だし。

セデュがダイアナを連れ込んだことで、また新しい記事のネタになりそうだけど…遂に同棲スタートとかなんとか…。…。

「…セデュはわたさないからね。あらかじめ言っておくけど」

「わかってるわよ、わたしは客人として振舞います。あなたたちの邪魔をする気はないから、安心しなさい」

「ホントーかなアー? 一緒に生活して、同じ職場に同伴出勤して、また噂になりそうだなアー?」

「もー鬱陶しいわね、セデュイールこのバカをなんとかして!」

「ルー、あまり絡むな。ダイアナ、夕飯は6時だ、かまわないか?」

「ええ、結構です。シャワーを浴びてもいいかしら? お部屋はどちら?」

「案内させよう。ヨランダ、頼む」

「畏まりました坊ちゃん。ささ、こちらへ、お嬢様」

 メイド長のヨランダに先導されたダイアナは迷いのない足取りで階段を上がっていく。はへえ、ほんとに同棲はじめちゃうんだ。いや仕方ないのはわかってるけど。どちらかというと僕のせいでもあるんだけど!

「ルー、…すごい顔だな」

「それってどんな顔さ」

「子供が泣いて逃げ出しそうな顔だ。心配しなくても、ダイアナがおまえのペースを乱すことはないだろうよ」

「そーゆーことじゃなくってさ…」

「ん?」

 何にもわかってなさそうなセデュに呆れる。こいつマジなのか。まさか、この期に及んで、ダイアナの気持ちに気付いてないなんてこと、あるのかな。女の子に熱視線を向けられるのが日常すぎて、特別なものだって思えなくなってるとか? ちくしょー、なんつー鈍感野郎だ。鼻持ちならねえ美男子だ。まあ敢えて教えてやることもないから、黙っておくけどね! 僕はけっこうイジワルなのだ。セデュに対する独占欲は人一倍強いんだからね!

「もーいいや。ちなみにダイアナの部屋って、本館の? 僕らの寝室の向かいの部屋?」

「そうなるだろうな」

「へー。じゃあとうぶんセックスはできないね。昨日たっぷりヤッておいてヨカッター」

「……」

 セデュは耳朶を真っ赤に染めて視線を逸らす。何回僕を抱いても初々しい彼の反応は可愛いけど、僕はなんか、それどころじゃないって感じだ。当面の間っていつまでのこと? いつまで僕は禁欲生活をつづけなきゃならないんだ? こちとら、ウン10年も童貞を守り通したセデュとは違って、ガマンが効かない性質(タチ)なんだぞう!

「…セデュのバカ。もーいい、ひと眠りするから、6時になったら起こして!」

「どうした? ルー、何が…」

「もーいいって言ってんだろ! ばーかばーか! オヤスミ!」

 バタバタと階段を駆け上がる僕をぽかんとした表情でセデュは見送る。これから当面できなくなるっていうのに、なんだその反応はー! もっとこう、口惜しそうにするとか、ヤダヤダって駄々こねるとか、ないのかー!? ないかー! セデュはそーゆータイプじゃないもんなー! もー僕ばっかりヤキモキして、ずるいぞちくしょー! …バカは完全に僕だな。はあ、嫌になる…。


 専属シェフのクロードの作るお夕食を食べて、シャワーを浴びて、シルクのベージュ色のパジャマに久しぶりに袖を通した僕は自室のベッドに腰かける。ここは僕のために用意された部屋だ。グランドピアノが2台鎮座する音楽室と隣り合わせになっていて、専用のシャワーと洗面所とトイレもついてる。セックスをするときはいつもセデュの部屋の近くの、ばかでかいベッドが真ん中に置かれた寝室を使っているから、ここのベッドに寝るのは久しぶりだったりする。

 ダイアナの部屋は、僕の部屋よりセデュの部屋のほうに近い、僕らが二人で使う寝室の、ちょうど真向いの部屋だ。

 …僕はダイアナを信用してるので、べつに、彼女がセデュに夜這いをかけるんじゃないかとか心配してるわけじゃない。もちろんセデュが彼女を襲うはずもないし。なんの心配もしていない。モヤモヤしてるのは、一人で寝るのが久しぶりすぎるせいだ。

 べつにセックスせずに一緒に寝たっていいんだけど、セデュとおんなじベッドに入っていたら、ガマンしなきゃいけないって思ったら、余計ムラムラしちゃいそうだし。

 部屋の姿見には仏頂面の僕が映ってる。夕食の席でも僕は引き攣った笑顔しかできなくて、ダイアナは僕を無視してセデュとばっかり談笑していたっけ。…お客様に対して失礼すぎる、こんなんじゃダメだって思うのに、僕はうまく表情がつくれない。これもダイアナに甘えてしまっているせい、なのかな。

 はあとため息吐いて裸足の足先をシーツに載せる。膝を抱えていると、コンコン、と静かなノックの音が聞こえてくる。

「はーい、だれ? 鍵はかかってないから入っていいよ」

 ガチャリと扉を開けて入ってきたのはセデュだ。僕と色違いの、グレーのパジャマを着てる。彼のパジャマ姿を見るのもひさしぶりだ。最近はセックス前の、バスローブ姿ばっかり見てたから。襟のついた、ボタンで留めるタイプの清潔なパジャマを着たセデュはなんか、お育ちのいいお坊ちゃんってカンジがして可愛い。セットしてない前髪が額と眉を隠していて、10歳は若く見える。

「どーしたの。おやすみのキスでもしにきたの?」

 途端に機嫌が治った僕はにこにことセデュに問いかける。まったくゲンキンなヤツだ。サイテーのガキだ。自己嫌悪…。

「あまり食事もよく喉を通らないようだったろう、…ストレスのせいだな、外にいる記者どもに四六時中監視されて…」

「…それだけじゃあないけどね。でも仕方がないことだろ、しばらくは…」

「ルー、…お前がここに居辛いなら、別荘に避難しているか? すこし遠いが…」

 ベッドの僕の隣に腰かけたセデュが言う。愁いを帯びた表情は、ひたすら僕の居心地について、心配してくれているからなのだろう。でもそれって、最初に僕が恐れてたことじゃないか。セデュと離れ離れになるってことじゃないか。

「…別荘って、イタリアの? やだよ、遠すぎるよ…」

「お前を一人にはさせない。毎日会いに行くよ」

 なんでもないことみたいに断言するセデュに僕は首を横に振る。セデュが身体を壊したら元も子もない。

「そんなの、君の身体がもたないだろ。いくらなんでも…」

「イタリアからパリのスタジオに通えばいい」

「いいって、そこまでしなくたって…きみとダイアナをこの屋敷に、置いていきたくもないし…」

「ルー、…」

「嫉妬してるんだよーぼくは。それだけだよ。わかれよな…」

「……」

 セデュが戸惑うような顔で僕を見る。珍しい、叱られた犬みたいな風情だ。…幼い頃にはよく見た顔だ。自信満々な大人になってからは、滅多に見せなくなった君の顔。懐かしさになんだか胸がキュンキュンして、僕は顔を上げたまま瞼を下ろす。キスしていーよって合図だ。セデュは少しためらって、それから僕に近づいて、…

「コホン。ちょっといいかしらセデュイール?」

 冷静なダイアナの声に遮られた僕たちは飛び跳ねるように離れる。僕は枕を抱きしめてベッドの桟に凭れて脚を縮こまらせ、セデュは耳朶を真っ赤に染めてシーツに手を突き、ガバリと振り返る。さすがにラブシーンを彼女に見せるのはしのびない。というか恥ずかしい。胸がドキドキして頭に血が上る。まずいまずい、今はお客様が来てるんだった。いつもみたいにイチャイチャするわけにいかないんだった。反省…。

「ど、どうした? ダイアナ…」

 いつになく動揺したようなセデュの声が尋ねる。ちょっとどもってる。こいつも珍しい、天然記念物モノだ。ちょっと面白いぞ。

「おやすみなさいの挨拶に来たの。お邪魔だったかしら」

「お邪魔だよーわかってるならやめてよねー」

「黙りなさい居候」

 ぴしゃりとダイアナに叩き落された僕は口を噤む。照れ隠しの戯言だったんだけど、本気だと思われちゃったかな? それはそれで気まずいんだけど!

「ああ、おやすみ、ダイアナ、明日は7時に起こすが、かまわないか」

「ええ、現場入りが9時だから、ちょうどいいわ。あなたは何時入り?」

「私も同じ時間だ。車を出すから、一緒に行こう」

「わかりました」

 二人は気を取り直したみたいにテキパキと仕事の話をしてる。こうなってしまうと僕の立ち入るスキはない。僕は枕の飾りをくるくる弄りながら二人の会話が終わるのを待つ。こうしてみると本当にお似合いだよなーなんて、今更の感慨は、ぶるぶる頭を振って捥ぎ離す。

「――じゃあ私は寝ます。おやすみなさい。あ、寝るときは耳栓しているから、あなたがたはいつも通りでかまわないわよ」

 淡々と爆弾発言を投げられて僕らは立ち去る彼女を呆然と見送り、慌てて彼女に追いすがるように叫ぶ。

「いつも通りってナニ! 僕らだって、お客様のいる前でサカッたりはしないからね!?」

 もう耳栓を装着したのか、ダイアナが喚く僕を振り返ることはなかった。

 ちなみにその夜は、やっぱり僕らは離れて眠った。意識すると余計に恥ずかしくなっちゃって、ダメだった。ぎくしゃくおやすみの挨拶をして、セデュは部屋に戻る。なんだか数年前に戻ったみたいだ。じれったい距離を保ったままだったあの頃に。

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