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≪第九部≫ウンディーネは日盛りに沈む ―スキャンダル編―  作者: 咲佐きさ


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第四話

「…うわ、まだいるよ。あいつら…」

 灯りを落とした部屋からカーテンの隙間を除くと、暗闇にいくつもの頭が蠢いているのが見える。

 シャワーの後にベッドで1回シて、遅めの夕食を摂って、またベッドに引き返してもう1回シて、ひと眠りしてもまだコレだ。家の前で夜明かしする気なんだろうか。特筆するようなことは何も起こらないって言うのに、ご苦労なことだ。

「まさかカーテンに影、映っちゃってたかな? 僕の上で腰振ってる君の姿が激写されちゃってたり?」

「灯りは消していたから、それはないだろう…」

 シーツに頬杖ついてぼんやり僕を見ていたセデュが言う。寝起きで少しぽやぽやしてる。隙だらけってカンジで、昼間見る姿と全然違って、とっても可愛い。さっきまで真剣な顔で僕に覆いかぶさっていたひとと同一人物とはとても思えない。

 なんだか逆に、外にいるあいつらに見せつけてやりたいかもって気持ちになってきて、慌てて気を引き締める。ダメダメ、僕らの関係がバレたらきっと今の比じゃない、世界中が僕らを糾弾して責め立てられるにきまってる。

 ダイアナとセデュだったら、まあ女の子たちは悔しがってハンカチを噛み締めるだろうけど、世間は祝福してくれるはずだ。結婚式なんか、壮大に挙げちゃって、テレビ中継なんかしちゃっても、拍手喝采を浴びるだけだろう。これが僕だったらそうはいかない。セデュと腕を組んでる姿を世間様に見つけられたら、ライスシャワーならぬ、卵とか腐った野菜とかが飛んでくるに決まってる。僕が男だから。僕が汚らしい過去持ちだから。あーあ、身体は満たされたばかりだって言うのに、気持ちがすうすうする。ブラックホールみたいに心の中に開いた穴が僕の満足とか悦びとかを吸い取っていく感じだ。

 ――こんなんじゃダイアナに申し訳がないな、僕は十分恵まれているっていうのに。

 ちゃーんとセデュに、愛されてるっていうのに。

他に何が欲しいんだ? 業突く張りの、欲張り乞食め。他人の祝福なんて要らない、僕らを知ってる幾人かに祝福されれば、それで十分じゃないか。

「…ルー、おいで…」

「……」

 僕の薄暗い思考に気が付いたみたいにセデュが腕を伸ばして僕を呼ぶ。

 黙然とベッドに近づいて、シーツに膝を載せ、セデュの腕の中に倒れ込む僕を彼が受け止める。

 汗はもう乾いて、すべすべの肌が重なる。貧弱な僕の身体とは違って、適度に筋肉のついた彼の胸が僕の胸に合わさる。どくどくと鼓動が伝わって、僕はなんだか泣きたくなる。

「きみが好きだよ、離れたくない…誰に責められても、ぼくを離さないで…」

「離さないよ、一緒にいよう…わたしはおまえに夢中なんだ、幾年経っても…」

 ごろごろとベッドで抱き合って、睦言を囁き合って、僕は不安を散らす。まだどこか夢心地のセデュに跨ってキスすると、穏やかな掌が僕を宥めて、…僕の体力のなさを十分理解しているセデュは、それ以上無体を働くことはなく僕を鎮めて、僕は眠りに誘われる。…


 パリン、とガラスが割れる音がスタジオに響いて、私は顔を上げる。

 小道具を渡され次のシーンの準備をしていたはずのダイアナが、蹲っている。不穏なざわめきを掻き分け彼女の傍に走れば、ダイアナは指先から血を滴らせていた。

「救護班、はやく!」

「衣装が汚れたな、撮影は中止だ、中止!」

 監督の怒号が飛び、スタッフが目まぐるしく右往左往する。なかなか現れない救護班に痺れを切らし応急処置にとハンカチを割いて彼女の指を縛り上げると、青白い顔をしたダイアナが私を見上げる。

「セ、デュイール…私は、大丈夫よ…これ、小道具でしょう…」

「こんなものはいくらでも替えが効く。血が止まらないな、病院へ連れて行こう」

「あなたは、撮影があるでしょう…私は大丈夫だから…」

 くすくすと嘲笑うような女性の声が聞こえ、そちらに視線を向けると蜘蛛の子を散らすように逃げていく後ろ姿が見える。複数人、共演している女優たちだ。ヒロイン役の彼女を追い落とそうと企んででもいるのだろうか。のろのろと現れた救護班はやる気もなさそうに彼女の手を取りハンカチを外す。ぺりぺりと固まった血が剥がれる音がし、ダイアナが眉を顰める。

「あーこいつはわりと深いですね、念のため病院行ってください」

「ええ、…ごめんなさい、撮影を抜けるわ。後はお願い…」

「監督!」

 スタッフと話し込む監督に声をかけ、病院に付き添うと告げる。別のシーンの撮影に移行しようと相談していたらしい監督に特に否やはなく、私は怪我をしたダイアナを抱えるように現場を出た。熱愛報道の効果かもしれない、彼女に付き添う私に批難の目を向ける者はいなかった。

 

「…しくじったわ。あんな見え透いた手にひっかかるなんて…ああ忌々しい」

 タクシーの扉が閉まると同時に、ダイアナは憎々し気な顔で悪態を吐く。それも当然だろう、おそらくは故意に怪我をさせられたのだ。現場でこういったことが起こるのはそう珍しくもない。俳優同士のいざこざなど日常だ。…彼女の場合は、その美貌に対するやっかみか、ヒロインを演じることへの嫉妬か、そのどちらかが所以なのだろうが、何の非もない彼女を狙うやり口は悪質だ。スタッフにもよく目を光らせておくよう忠告しなければ…。

「ごめんなさい、あなたの撮影にも穴を開けさせたわね。…べつに私はひとりでも大丈夫だったのに…」

「今日はこのまま直帰でよいそうだ。家まで送る」

「…あんまり、部屋には来てほしくない、かしら…」

「煩わしいならアパートの前まででいい、まだパパラッチが詰めかけているのだろう」

「いや、煩わしいとかじゃなくてね!? 嬉しいんだけど、あなたに気にかけてもらえるのは嬉しいんだけど! …」

 今はちょっと、と口ごもりながらダイアナは告白する。

 アパートのドアやら壁やらが昨夜のうちに荒らされ汚され、酷くみすぼらしい姿になってしまっていると。

「たぶんあの記事の影響ね。あなたのファンの仕業でしょ、こんなことしたって意味がないのに、もう鬱陶しいったらないわ…もちろんあなたは何にも悪くないから、気を悪くしないでね。こんな悪戯だってそのうち、ほとぼりが冷めたら収まるでしょうし」

「……ダイアナ、」

 気丈に言い張る彼女は窓の外を見ている。彼女の苦痛に何の感慨もなく過ぎ去る街並みは他人の顔で、ひどく空虚に感じる。

「君がいいなら、しばらくうちに来ないか。新しい家が見つかるまで滞在するといい。…ハウスメイドも、ルーもいる。もちろん無理にとは言わないが…」

 私の不始末のために被害を被っている彼女に、彼女の苦痛に寄り添いたい思いで、私はそう口にしていた。ぱちぱちと瞬いたダイアナが不思議そうに私の目を見て、次の瞬間には首まで真っ赤に染め上げる。

 ――30すぎの男に憐みを掛けられたようで、屈辱を感じていたのかもしれない。





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