第二十一話
別荘の場所は知っていた。新婚当初に一度、それから夏の来るたび何度か、彼と共に訪ねたことがある。修道院を改装した、元は彼の父親の持ち物だったという壮麗な別荘で、結婚祝いに譲り受けたものだそうだ。
ポプラの木立のある門のない坂道をのぼり、ベルを鳴らすとヨランダが出迎える。彼女は実家から彼の世話にと結婚の際についてきてくれた有能な女中だ。年の頃は50前後で、主人に忠誠を誓っており無駄口は叩かず余計な詮索も口出しもしない。
彼女の顔を見て私は少しだけ安堵する。彼女がついているなら、ふしだらで野放図な乱痴気騒ぎなどは、行われてはいないだろうから。
「ここにセデュイールが来ているわね? ヨランダ、通して頂戴」
「奥様、申し訳ありません。坊ちゃんは…ただいま、外出中でして…」
ヨランダは扉を塞ぐように立ち、困ったように言葉を濁す。私を中に入れないよう、セデュイールから言付かっているのかしら。用意周到ですこと。
「セデュイール! いるんでしょう、私は話し合いに来たのよ、顔を見せなさい!」
「お、奥様…坊ちゃんは…」
扉から僅かに覗く玄関ホールに向けて声を張り上げる私をヨランダが引き止める。この屋敷の周辺には民家もない、素朴な田園風景が広がっている。いくら声を張り上げても、周囲に聞き咎められる恐れはないというわけだ。
「セデュイール! 隠れるのは卑怯よ、出てきなさい!」
「…フェリシア?」
思いもかけず、私の背後から彼の声が掛かる。
どうやら本当に彼は外出していたようだ。隣に、きょとんと無邪気そうに瞬く、華奢な男の子がいる。おそらくは例の男娼であろう。
「あなたは自分の立場というものがわかっているの、まだまだ大作のオファーは控えているのでしょう。こんな醜聞が世間に知られたら、あなただけじゃない、関係者全員に累が及ぶのよ。それがわからない? 今すぐこの子と別れて、家に戻ってきて頂戴」
「それはできない。君には感謝しているが、これだけは譲れない」
きっぱりと彼は言い放ち、私は瞬間呆気にとられる。今まで一度だって私の言葉に反対などしたことのない彼が、いつでも優しくて穏やかで、周りに気を配って如才ないセデュイールが、こんなにも強硬な姿勢を示すことなんて、嘗てあったかしら?
「わたしと離婚すればあなたは父の後ろ盾を失うのよ。それどころか、父の怒りを買って業界から干されることになるでしょうね。仕事がなくなって、どうやって生活するつもり? あなたのご両親も醜聞を起こしたあなたを受け入れはしないでしょう。その子をどうやって養っていくの?」
「なんとでもなる。生きてさえいれば」
「バカね、肉体労働なんてしたこともないあなたが、そんな生活に耐えられると思うの?その子が、あなたとともにそんな苦労を背負い込んでくれるとでも?」
「ルーには労働はさせない。あいつの指は、そんなことのために使うものじゃない」
「あなた、現実を見なさいよ。あなたはもっと、論理的な思考ができる男じゃなかった? そんな生活が不可能だってこと、あなただって気づいているでしょう?」
セデュイールは首を横に振り、私の言葉を否定する。いくら言葉を重ねても、彼は私の申し出を跳ねつけるばかりで、受け入れようとしない。それが彼にとって最善の策だというのに。今のままでは、彼を待っているのは破滅だけだというのに。
彼の心は硬く閉ざされてしまっている。傍らで黙ったまま、私たちのやり取りをどこかぼんやり見守っているあの子が、あの汚らわしい男娼が、あなたを変えてしまったというの? ほんの半年の間に、5年も積み上げた私たちの絆を、粉々に破壊したとでもいうの。
あなたの性的嗜好を、あなたの告白を聞き流して、むりやりにあなたを縛り付けた、これが罰だとでも言うの?
「…いくら話しても平行線ね。また明日、落ち着いて話し合いましょう」
私は連絡先を彼に渡して、くるりと踵を返す。敗走するわけじゃない、また明日、彼を説得する材料をかき集めて訪ねてくるつもりで。だってこのまま、帰れるわけがない。あなたをみすみす破滅に追いやるわけにはいかないの。
私はまだあなたを愛しているから。裏切られても、傷つけられても、あなたを愛しているのよ。
ポプラの下をとぼとぼと帰る私を、ある声が引き止める。少年のようにも、女性のようにも聞こえる中性的な声だ。坂道を駆け下りてくる長い脚、華奢な体躯は折れそうなほどで、すらりとした長身を見上げれば鮮やかなブロンドが日を照り返して目を射る。
癖のないブロンドに宝石のように見事なグリーン・アイズ。陽光の下でもその肌は水を浴びているように白く透き通っている。
パーツだけを見れば私ととても似通っているのに全体的な印象は、飄々として掴みどころのない、妖精みたいな男の子だ。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな」
その子はそう断ってから、それまでの沈黙が嘘であったかのように語りだす。湯水のような言葉はなかなか止まらない。吐き出したい思いを取捨選択なくすべて舌にのせているかのようだ。
「さっき話してたことなんだけど、ええと、何から言ったらいいかな。僕とあいつとは、貴女が考えてるような関係じゃないから。あいつは僕に指一本触れていないし、寝室も別だし、あの、ほんとに、あいつが愛してるのは貴女だから」
その子は確かにそう言った。
彼が私を愛していると。私の目をじっと見つめて、どこか泣きそうに顔を歪ませて。つくりものみたいな顔で笑って。
セデュイールはその子に触れていない、肉体関係はない、ただ慈善事業のように困窮したその子を救い上げ、その生活の援助をしていただけ。彼が職を失うのはその子にとっても困るのだ、彼の収入がなくなればその子はまた貧困生活に逆戻りだから。
つらつらとそんなことを並べ立て、男娼は私に手切れ金を要求する。もう二度と会わないからという確約と、彼との関係をバラしたらどれだけの違約金が発生するのかなどという、脅迫もおまけで付けて。
小切手を切って渡すと、その子はなんでもないふうにそれを受け取って。
ひどく寂しそうな瞳で、また笑った。




