第十八話
初めてのプロポーズが断られて、私は相当にショックだったけれど、立ち直るのもまた早かった。落ち込んでいたって生産性がない。彼の言葉を理解するために、これまでのことを反芻して、分析して…半日考えて、あなたが何かを恐れているのじゃないかというところに、思考が行き着いた。
資本家の嫡子でありながら父の跡を継がず映画業界に飛び込んだあなたは、大手のプロデューサーの娘である私の求婚を断ったあなたは、所謂、責任というものが、煩わしかったのではないかしら。
結婚すれば彼にとってはメリットであると同時に、家同士の繋がりも増える。責任も増す。家族を作れば当然だが、今までのように気楽な生活は送れなくなる。父の主催するパーティーには必ず出席が求められるし、セレブ達に好奇の目で眺め回され、如才なく振舞うことが求められる。そこで粗相をするような彼ではないけれど、責任感の強い彼だからこそ、そういったすべてが重荷となって、彼を押しひしがせたのではないかしら。
…なんていうのは、都合のいい私の妄想かしらね。
ともかく、彼の言葉の一語一句に納得がいかなかった私は、彼の言葉を無視することにした。
その日から事あるごとに、彼の気持ちが変わっていないか確認し、何度もプロポーズしたのだ。
私は彼を諦められなかった。諦めて手放すには、彼は魅力的すぎたから。
そうして、1年経過した頃だ。彼はある有名な監督――奇しくも彼が初めて出演した映画の監督だった――の映画で主演を張ることが決まり、私は彼の部屋にシャンパンを持参して彼を祝った。
つかず離れず、私と彼との間は続いていたからだ。相変わらず、性的接触は一切なく、手を握ることすらもないままに。
あまりお酒に強くない彼は2杯ほどシャンパンに口を付けてすぐにグラスを置いてしまう。
健康的な肌色がほんのりと朱に染まり、いつになくぼんやりとした瞳がひどく色っぽい。
私は彼の横顔に見惚れながら杯を干し、そしてまた言ったのだ。
「あなたの気持ちはまだ変わらない? まだ私と結婚はしたくない?」
彼は私の言葉を吟味するような顔をしてゆっくり瞬いて、くるりと振り返る。
溶けそうな瞳がにこりと寂しそうに微笑んで、いとけなく頷く。
「私は女性を愛せない。だからダメだ」
「……」
それは初めて聞く、彼の告白だった。
私は瞬間息を詰めて彼を見つめ、彼の言葉を脳内で幾度も再生した。
女性を愛せない、ということは、あなたは、男性なら愛せる、と、そういうことなの?
「あなたには好きな人がいるの?」
「…いる。もうずっと…」
ぽつんと彼の掠れた声が落ちる。彼はテーブルにだらしなく肘をついて顔を覆ってしまう。
「それは、男の人なの?」
「そうだ」
「一体誰? 私の知っている人? 俳優仲間? 監督? その人はあなたの気持ちを知っているの?」
「知っている。ふられたよ。何年か前に――」
「――」
このひとを振るような人間がいるなんて信じられない、と最初に思って、それも同性であればあり得るのか、と納得が後から来る。
何年か前というと、学生時代かしら。性的に未成熟な未成年の頃は、身近にいる人間に自己を投影して愛着を覚えるのも、よくあることだと聞く。彼は寄宿生活を送っていたと言うから、同室の友人にそういった情を覚えてしまったのかしら。あるいは先輩に…
「その人とは、今もつきあいがあるの?」
「ない。消えてしまったんだ。もう会えないんだ。おれは、あの子をずっと、さがしているんだよ…」
彼の声が揺れている。いつもピンと背筋をただして、鷹揚に微笑んで、世の喧騒から一線を画しているような彼が、その余裕を剥ぎ取られて、ひどく苦しんでいる。
その、幻覚のような、愛のために。
私は彼の震える肩を抱きしめる。初めて触れた彼の体温は温かく、ふわりと甘い香りがする。胸が切なくなる。彼をこんなにも苦しめているその男の人が、私は憎い。彼にはまっすぐ、前を見ていてほしい。顔を上げて、堂々と、陽光の照らす道を歩いていてほしい。
こんなふうな、仄暗い想いは忘れてほしい。
「消えてしまった人を追いかけるのはやめましょう。あなたは未来を見なくちゃ。あなたはこれから成功するわ、きっと世界中から愛される映画スターになる。私は信じているわ。あなたにはそれができるの。あなたは選ばれた人なのよ…」
「…フェリシア、おれは、…私は、」
「あなたの手助けをするわ。あなたのために尽くすわ。なんでもしてあげる。私があなたを愛するの。あなたからの愛はなくったっていい。あなたは別の人を愛したっていい。今のありのままのあなたが、私は好きなのよ」
「……」
「結婚しましょう。私と生きてゆきましょう。ね、Ouiと言って。セデュイール、いとしいひと、私の大切なあなた、もう傷つかないで、ひとりで苦しまないでいいの…」
私に抱き寄せられたセデュイールはぼんやりとした眼差しで私を見て、もういちど「フェリシア」と私を呼んだ。
「私は君を愛せない」
「知っているわ」
「君を抱くことも、口づけさえもできない。世継ぎを作ることも不可能だ」
「それでもいいの」
「…君は自分の人生を、墓場にするつもりなのか」
「私にとっては楽園よ。あなたといられるならいつだって」
私はきっぱりと言い切った。けれど、真実、そこまでの覚悟ができていたわけじゃない。
彼の思いは幻だと、結婚したくない口実か、気の迷いだと、私と共に過ごすようになれば情が湧いて、きっと女性を愛せるようになる筈だと――神に背き、同性を愛するような不自然で愚かな行為を改めてくれる筈だと、信じ込んでいたのだ。
愚かなのは私だった。彼はその後も、私に性的に触れることは、終ぞなかった。




