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≪第九部≫ウンディーネは日盛りに沈む ―スキャンダル編―  作者: 咲佐きさ


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第十六話

 そうして僕は、連絡先を交換して、うきうきと彼らの家を出た。気が付けばもうお昼時で、ロッキーは昼食もご馳走してくれる気でいたみたいなんだけど、それはさすがに図々しすぎるから、辞退したのだ。

 赤毛のウイッグとスカーフを入れた紙袋をぶんぶん振って、鼻歌なんか歌いながら足取り軽く僕は帰る。ルームシェアってことにすれば、セデュの屋敷に僕がいたって問題ないんじゃないか? 彼らみたいにさ! ダイアナがいるんだし、男が他に一人紛れ込んだところでパパラッチは気にもしないだろ! セデュの屋敷が見えてきた。相変わらず記者の群れが門の外で待ち構えてる。ご苦労なことだ。なんにも撮れっこないのにさ!

 そのまま門に入ろうとして、じとりと男たちから一斉に睨まれた僕はくるりと踵を返す。ま、まあ、なにも自分から火種を蒔くことはないよな。彼らにしてみたら、赤毛の女中がひとり出て行ったきり戻っていないってことになってるんだし。ちょっと変装するくらい、もうたいして苦じゃないもんな。

 公衆トイレに駆け込んでウイッグとスカーフを身に着けて、何食わぬ顔でまた屋敷に戻る。服装は…同じだけど…まあ気づかれないだろう、たぶん…。

 門外のベルを鳴らすとほどなく別館からセラノが出てきて門を開けてくれる。それから時を置かずに扉が開き――つかつかと足早にこちらに来るのは、セデュだ。あれ、今日ってオフだったっけ? まだ仕事に行ってなかったのな?

「ルー、…」

 僕が何か言う前に、セデュは僕の二の腕を掴んで引き寄せて、そのままきつく抱きしめる。

 アッと思う間もなく、パシャパシャとシャッターが切られまくる。ここは外で、記者たちが餌に飛びつくハイエナみたいに屯してる場所で、唖然とした目、興奮したような目、血走った目が一心に僕らに注がれている。

「坊ちゃん、こちらへ…」

 ヨランダに駆け寄られてやっと正気に返ったのか、セデュはぱっと顔を上げて、僕の二の腕を掴んだままずるずると邸内に戻っていく。やがてバタンと扉が閉まり、怒号のようなざわめきが外に巻き起こるのが、扉越しに聞こえた。遠雷みたいな籠った音で、男たちが何か叫んでいる。特ダネだ、新しい愛人が、女中と女優との三角関係、レヴォネ氏の爛れた生活、云云かんぬん…。

「セデュ、ちょっと、なんであんな…」

 すぐそばで、同じ喧騒を聞いているはずのセデュにくるりと振り返ると、またぐいと抱き寄せられる。さっきよりもきつく、しがみ付くみたいにして。

「…ルー、よかった、お前が…またどこかに、消えてしまったかと…」

「……」

 セデュの声は震えている。その指先も。僕を腕に閉じ込めて、そのまま二度と、離したくないとでもいうみたいに。

「…ごめん、ぼくはどこにも行かないよ。ごめんね、…」

 僕はセデュの背中に手を回す。僕のだいすきな男の人を、宥めるみたいに抱き返す。

 僕はこんなに愛されてる。こんなことで確かめるなんて卑怯で卑劣で、サイテーだって思うけど。どうしようもないロクデナシだって、思うけど。

 正攻法じゃもう僕は満足できなくなっちゃったのかな。僕の想いが愛じゃないから。セデュに引っ付いて養分を掠めとるだけの、狡い虫みたいなもんになっちゃったから。

 ぱたぱたと軽い足音がして、階段ホールに顔を出したダイアナが僕らを見つけて――彼女の雷が落ちるまで、そう時間はかからなかった。



「あんた何考えてるの!? 行方も告げずに外出して、一晩も戻らないってどういう了見よ!? こっちがどれだけ心配したと――セデュイールがどれだけ心配したと思ってるのよ! あんたに振り回されて、このひとはもう憔悴しきってるのよ、なんでそれがわからないの!?」

「ダイアナ、いいんだ、私は平気だ。ルーが戻ってきてくれたなら、もう…」

「ダメよ、あなたが甘やかすからこいつはつけあがるのよ! 一度きちんと思い知らせなきゃ駄目!」

 ダイアナに叱責された僕はソファに沈み込んで項垂れている。一語一句ご尤もすぎて返す言葉もない。ふたりは忽然と消えた僕を心配して、昨夜はパリの街を駆けずり回っていたそうだ。そして今日は仕事を休んで、マチウやバロットにも協力してもらって、パリ郊外にも探索の手を伸ばそうかと話し合っていたらしい。

 彼らが眠らず僕を探していた間、僕はひとんちに転がり込んでバカ騒ぎしてグースカ寝てたというわけだ。なんつー厚顔無恥だ、自分勝手で、図々しすぎる。26にもなって、周りの迷惑も考えられないのか。もうしません、ごめんなさい…。

 結局、セデュのとりなしも火に油を注ぐ結果になるだけで、メイド長のヨランダが割って入るまで、ダイアナの叱責は止まらなかった。

 

 出勤してすぐ、デスクに置かれたタブロイド紙にぱらぱらと目を通す。一面にはスキャンダラスな彼の写真と、煽情的な文字が躍る。「新しい愛人の登場」「泥沼の三角関係」「閉ざされた愛欲の館」…

 写真に写る彼が抱きしめているのは肩まである赤毛の、透けるように色の白い華奢な子だ。印刷の荒い写真でもその線の細い肢体と、見開かれた緑色の瞳がくっきりと判別できる。

 薄い身体に長身、記事では女性であるかのように書かれているけれど、この子はおそらくあのときの――あのブロンドの男の子で、間違いはないだろう。艶やかな赤毛はウイッグね。身分を隠して、変装して、まだセデュイールの傍にいたのね。

 私は彼に映画館で会った。あのときはサングラスをしていたから確信が持てなかったけれど、きっとあの子で間違いない。セデュイールのあられもない姿をスクリーンで目にして、青褪めていたあの子を思い出す。あのひとと縒りを戻したくならないのかと尋ねた、どこか必死な声を思い出す。

 あの子とセデュイールの繋がりは切れていなかった。私が安堵しながら感じていた違和感は的中していたってことね。

 それは俳優としての彼の今後にとっては喜ばしいことではないのだけれど――人間としてのセデュイールにとっては、きっと、これ以上ない幸福なのだろう。

 ひょっとしたらダイアナとの熱愛報道も、仕組まれたことなのかもしれない。初めからあのひとはあの男の子だけが好きで、熱烈に愛していて、彼女は囮なのかも。

 私は受話器を取り上げる。ここでひとりで思い悩んでいても何も始まらない。すっかり暗記してしまったダイヤルを回す。彼の自宅ではない、事務所の番号だ。

 応答した女性の声に私は名乗り、セデュイールの所在を確認する。…






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