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≪第九部≫ウンディーネは日盛りに沈む ―スキャンダル編―  作者: 咲佐きさ


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第十四話

「すごかった、愉しかったよ、あんた誰? ああ、一杯奢らせてくれよ、今夜の記念に――酒はいける? 大丈夫? 未成年じゃねえよな、」

 きらきらした青い目が僕を見上げてつらつら並べる。自分の方こそ未成年にも見えかねない小柄な青年は、僕の背を押してカウンターまで引き摺って行く。

「マスター、こいつに酒くれ酒! 何がいい、ウイスキーとかいける?」

「カクテルちょーだい。あまーいやつがいいなア。舌が溶けそうなやつ。えへへ」

「もう酔ってる? まあいいや、マスター。じゃあアレだ、サングリアくれ! いやー、あんた素人じゃねえだろ? あの指遣い、プロだろあんた! なあそうだろ!」

「君こそ、すっごくヨかったよお、あの歌声、痺れるみたいに気持ちよかった…」

「おお、そっか! ありがとな! あ、俺には水でイイよ、マスター。飲むとあいつに怒られっから…」

 目いっぱいピアノを弾いて、出し切った僕はふにゃふにゃになりながら酒を煽る。焼きリンゴが入れられた酒はほんのり甘くて身体が火照ってくる。

「おいし…はあ、あっつい…」

「大丈夫かア? あんた見ない顔だよな、ここ初めて? おいおい、ここで脱ぐなよ、ちょっと待てって、わーこら、ダメだって!」

「何だア、ロッキー、また新しい恋人をひっかけたかア?」

 あんまり力の入らない指でジャケットを脱いで、ついでにセーターも脱ごうとしかける僕を歌手の指が抑え込み、揶揄うような声が周りからかけられる。ぼんやりと視線を巡らせると赤ら顔の腹の出たオジサンがいた。なんだかじっとりした目で僕を見てる。

「そんなんじゃねえって、初対面だっての! ほら手下ろせ、な? 深呼吸しろ深呼吸。すー、はー…」

「すー、はー」

「可愛い子じゃねえか、恋人じゃねえなら俺に寄越せよ」

「黙ってろ酔っ払い! マスター、水ちょうだい、水! こいつ何敗くらい飲んでた?」

「これで3杯目ですよ」

「ま、じか~」

 肩を落とす歌手にぐたりと寄りかかる。ふだんはこんなに弱くないのに、音楽に酔ってしまったせいかな。ふわふわとした浮遊感がある。きもちいい。空を飛んでるみたい。ピアノを弾いてるときみたい…。

「えへへ、またうたってよ、もっとききたいな、それで、いっしょに、やろうよ。ぼくがひくからさ…毎晩でもイイよ、何回でも、…」

「こいつはいい、たいしたビッチを捕まえたもんだなア、ロッキー! 俺も混ぜてくれよオ」

「黙ってろっての! もーいいや、俺はこれで上がるよ、マスター、後は頼むぜ」

「おまかせください」

 執事みたいに畏まって黒髪のバーテンダーは頷き、ロッキーはがたりと席を立つ。そのままぐいと引っ張られて、僕はふらふらしたまま、店の外に連れ出されていた。

「どこ、いくのお? ピアノがあるとこがいいな、つぎも…」

「あの店の奥はきったねえからなア、ホントは休ませた方がいんだろうけど…あんた、悪ぶってるけど、いいとこの坊ちゃんだろ? 家はどこだ、送ってやるよ」

「…かえりたくないな、なんか…」

「……」

 歌手は黙って僕の顔を覗き込む。心配してくれてるんだ、やさしいな、声もよくて、歌が上手で、思いやりがあって、いいやつだ。それにくらべて僕は…。

「かえっても…ぼくはまた、やつあたりしちゃいそうだし…」

「やつあたり?」

「なんでもないの。今夜はのみたいんだよーぼくは! もっともっと、ぜんごふかくになるくらい! 酔って路上でねてやるんだ! パパラッチなんてしったことかー!」

「路上で寝るのはやめろよ、身包み剥がされるぞ」

「もーいーよ、どーでもいい…」

「……あー、」

 ぐたりとなる僕を、見捨てていけないらしいお人好しの歌手は、ぐいと僕の手を引いて歩き出す。

「俺の家、すぐそこだから。とりあえず寝てけよ。頭がすっきりしたら、気分も変わるだろ」

 足早に歩き出す小柄な彼に手を引かれながら、僕はぼんやり空を見上げる。黒い夜空にはぽっかり、まんまるのお月様が浮かんでいた。




 ぱちりと目覚める。身体が重い。そんなに飲んでないはずなのに。寝る前に、なんか、大暴れしたような気が、しなくもないせい、かな…?

 きょろきょろ見渡す部屋にはどぎつい隈取のあるアメリカ先住民のお面だとか、紫色の羽のついたドリームキャッチャーだとかが下がっている。毛布も編み込んであるみたいな原色で、部屋の隅には電子ピアノ、その上にレコードがごちゃごちゃと置かれている。

 毛布を掻き合わせて、おそるおそる下を覗き込む。僕は真っ裸だった。真っ裸で、見知らぬベッドに寝ていた。さあと血の気が下がる。寝入る前の記憶が曖昧で、よく思い出せない。えーとたしか、バーに入って、演奏して、歌手と意気投合して、酒を飲んで、それから、それから――どうしたっけ? やばい、思い出せない、僕はまたやらかしたのか? 10代の頃みたいに、行きずりの相手とワンナイトしちゃったのかー!? なんつー貞操観念のゆるさだ。お前幾つだよ。26です、はい。セデュというものがありながら――なんにも悪いことはしてないセデュを、疑って糾弾しておきながら、自分はコレか。恥を知れよ。ろくでなしめ。クソ、ゴミクズ、ガマンのできないチンポ野郎…。

「あー起きたか? 朝ごはん作るからちょっと待ってろよー」

 ベッドに蹲って頭を抱える僕に、呑気な声が呼びかける。聞き覚えのある声は、昨夜のあの歌手のものだ。小柄で赤毛の、ぱっと見未成年にも見える彼の…。

 ジュウジュウと何か焼ける音と、食欲を刺激する良い匂いが流れてくる。朝ごはん。もうそんな時間か。セデュはもう仕事に行ったかな。帰ってこない僕を、彼はどう思ったろう…。

 のろのろ起き上がり、ベッドの下に打ち捨てられていた下着とジーンズ、ハイネックのセーターを身に着ける。なんだかぎくしゃくした気持ちで部屋を出ると、すぐそばのキッチンでエプロンを付けた赤毛の青年がフライパンを持ち上げて、目玉焼きを皿に移すところだった。

「卵とベーコンだけど、大丈夫か? 嫌いなものとかある?」

「…ない…」

「そっか! じゃあ手を洗って席に就けよー、もうすぐできるからなー」

 溌剌とした声で言われる。なんのやましいところもないって感じの声だ。僕は彼に抱かれたのかな。それとも抱いた? 思い出せない、なんにも…。まるで恋人みたいに尽くしてくれる彼に申し訳ない。手作り料理を振舞うなんて、尽くしたがりのカノジョみたい…。

「洗面所、どこ…」

「廊下出てつきあたり。狭いからすぐわかるよ」

 もうひとつ卵を割りながら彼が言う。ジュウウと卵の焼ける音、香ばしい匂い。グウとお腹が鳴って、僕はすごすご洗面所に向かう。バストイレ付き洗面所のちょっと隅がカビてる鏡に向き合って手と顔を洗っていたら、のっそりと手元に影が落ちる。ばっと振り仰ぐとすぐそこにのっそりと立った人影があって、僕は思わず叫んでいた。


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