第十二話
僕はセデュに呼び出される。ピチュピチュ小鳥が囀っている。爽やかな朝だ。足取り軽く応接間に行くと、いつになくシリアスな顔のセデュがいる。朝から隙一つないグレーのスーツに、深緑色のハイネックのセーターを着て、眼鏡をかけてる。髪もキチンとセットされていて、滴るような色気のある端正な美貌が僕を見上げる。
「ルー、おまえに話がある」
「なになに? なんのこと?」
僕はなんだかイヤ~な予感がして、へらへら笑いながら彼の向かいに座る。長い脚を無造作に組んだセデュは繊細な指先を膝の上で絡み合わせたまま身じろぎもしない。なんだか、僕を叱責する前の父さんみたいな雰囲気だ。最近した悪事を僕は反芻する。どれだろう、どれに対するお小言だ? 一日中ごろごろしてピアノの練習も放り出していること? ダイアナにやつあたりしたこと? セデュとダイアナの仲を性懲りもなく疑ってること? でも、セデュが否定してくれるならそれでいいんだ、そんなの僕の勘違いだって、君の声で言ってくれたら、僕は安心できるから。嘘じゃないぜ、本当だよ。お小言でも、君が僕のこと、見ていてくれるなら、僕はそれで――
「ダイアナに子供ができた」
「ふえっ!?」
「だからもうお前とは暮らせない」
「………」
ぱちぱち瞬いて僕はセデュを見返す。おおまじめな表情は、とても嘘とか、冗談を言っているようには見受けられない。
こども。こども? セデュとダイアナの? じゃあその、えーっと、いつ頃仕込んだ子供、なのかな?
「お、おめでとう…臨月はいつ?」
「半年後だ」
「は!? あ、そう、そうなんだ…えっとじゃあ、ぼくがちょうど、いなかったとき、だねえ…」
「お前の荷物はまとめてある。住むところは自分で探せ」
ガラガラピッシャーンって、雷が近くで落ちる。いつの間にか外は曇って不吉な暗雲がたちこめている。僕は平然としたセデュを信じられない思いで見返して、必死に言葉を探す。
「いやあの、えっと、出て行かなきゃ、だめ、なの、かな…?」
「お前は何を言っているんだ」
「いや、だって、えっと、急すぎて、なにがなんだか…」
「これで父にも母にも妹にも、大手を振って紹介できる。世継ぎもできた。ダイアナには感謝しなくては」
「きみは、彼女を、愛しているの?」
「そうだが? 子供ができたと言っただろう」
当たり前のことみたいにセデュが言う。ざあざあと雨が降り始める。窓ガラスに叩きつけられた水滴がいくつも筋をつくる。もう豪雨だ。セーヌ川が氾濫しそうな勢いだ。
「うんそれは、聞いた、けど…えっと、あの、ぼくになにか、できることはない? きみたちはいそがしいだろうから、子供の世話、とか…」
「お前は何もできないだろう。お前に子供を預けるくらいならセラノに世話をさせるよ」
「そ、それはそうかもだけど。なんでもいいよ、なんでもするよ。きみの靴を磨くのでも、屋敷のお掃除でも、なんだってする…」
「お前に任せていては余計に仕事が増えそうだ。遠慮するよ。さっさと出て行ってくれ」
ピカッとまた雷が光って、薄暗い部屋を瞬間明るく照らす。僕を冷然と見つめたセデュの怖いくらいの美貌を、あからさまにする。
「え、や、やだ、いやだよ、そんな、そんなこと…」
「聞き分けのないやつだな、セラノ、こいつを摘まみだせ」
「やだ、いやだ、やめて、なんでもするから、ぼくをすてないで、やだよお、セデュ…」
「あらあんたまだいたの? 鬱陶しいわね、あんたなんかがいたら子供に悪影響なのよ。早くどこかに消えて頂戴! セラノ!」
今度はお腹の大きなダイアナが奥の扉から登場して、セデュに寄り添う。煩わしい蚊を追い払うみたいにシッシッ、って僕に手を振る。セデュはそんなダイアナを愛おしそうに抱き寄せて、座ったまま、彼女のお腹に耳を当てる。「今動いたか?」「ええ」「早く出ておいで、私の愛しい子」「ふふ、気が早いわよ、おばかさん」…
黒い肌の朴訥な、運転手のセラノが気の毒そうに僕を見て、襟首掴んで放り出す。呆然とした僕の面前で扉は閉まり、錠の降りる音がする。
「やだ、セデュ、ダイアナ、あけてよ、いやだよ、ぼくはどこにもいかないぞ! ここにいるんだ、いさせてよ、おねがいだから…」
びしゃびしゃ物凄い勢いの雨が容赦なく僕を叩きのめして、ぐしょ濡れになった僕は扉に縋りつく。
「みっともなーい。大人なのに泣き喚いちゃって。プライドとかないんですかあ?」
くすくすとロレンツォ君が哂う。
「図々しい子だよ、いつまでしがみついてる気なんだい」
叔母さんが僕をなじる。
「なんだこいつ、邪魔だよ、どきな!」
記者が僕を突き飛ばして僕はぬかるんだ土に手を突く。気づいたら僕は穴の底にいた。驟雨が吹き込み、ぐちゃりと足元が沈む。穴の底には頭多袋が折り重なるように犇めきあっていて、僕はその上にいる。腐った肉のにおいがする。頭の上にはぽっかりまるい明るさが開いていて、見上げるとそこからひきりなしに雨が降ってくる。穴の深さは、3メートルくらい。立ち上がっても縁に手が届かない。がりがりと横の土を掻いてもべちゃべちゃの土が崩れるばかりで、僕は上に上がれない。
「いやだよ、だしてよ、なに、なんで、なにが…」
「ゴミはゴミ箱に、ゴミはゴミ箱に♪」
「土を掛けましょう、二度と日の目を見られぬように♪」
「臭いモノには蓋をして、腐った肉にはお似合いの末路を♪」
雨合羽を着てスコップを抱えた人たちが歌いながら僕に土を掛けていく。口の中に土が入ってぺっぺっと吐き出す。ミミズがにょろにょろ、僕の指の上を這う。それから無数に湧いたハエとか、蛆虫とかが、頭多袋の陰から這い出して、僕に寄ってくる。
「ぼくはゴミじゃない! にんげんだ!」
喉が嗄れるくらい叫んでも哄笑が返されるばかりだ。チクショウ、誰か聞いてくれ、僕は死肉じゃない、生きてるんだ。セデュを愛しているんだよ!
「愛しているならそのひとの幸せを一番に考えなさいな。それがあのひとを救うことになるの」
黒い傘を差したセデュの奥さんの声が穴の底に落とされる。決然と、女神の通告のように。
歌声がこだましてる。嘲笑が僕を取り巻く。キャハハ、アハハ、ハハハハハ。
僕はそれ以上声も出せなくなって、潰れた喉でヒュウヒュウ喘ぎながらあかるいほうに手を伸ばす。爪の間に土くれがこびり付いてひどく汚れてる。ほんとにゴミみたいだ。あっそうか、そういえば、ぼくって、ゴミだったっけ…。
ごちんと頭から床に追突して、ずるずると身体があとにつづく。僕はベッドからずり落ちていた。ひでえ悪夢を見ていた。いや、ミュージカル仕立ての悪夢って。何だってんだ一体。僕は劇作家の才能はないみたいだ…。
鼻の下がぬるぬるして、触れると血がこびり付く。鼻血だ。鬱陶しい。朝からなんつー有様だ。
ティッシュを丸めて鼻の穴に突っ込んで、姿見をふと見ると、もうひでえ顔が映ってた。なんか全体的に浮腫んでて目の下には隈があって、鼻の穴にはティッシュが突っ込まれてて額にはちょっとたんこぶがある。髪はぼさぼさ。バケモノみたいだ。ウケる。
枕元の時計は7時半を指してる。セデュとダイアナは、まだ邸内にいるかもしれない。
僕はちょっとだけ迷って、フラフラと立ちあがる。せっかく二人がいるうちに起きられたんだから、朝ごはんとか、一緒に摂ってもいいよね? 邪魔することにはならないよね? 夢で見た、お腹の大きなダイアナが頭にふと浮かんで、僕は頬をバチバチ叩いた。現実の彼らを見たら、きっと安心できる…はずだ。




