第十一話
その日、セデュとダイアナが帰ってきたのは日付が変わるころだ。僕らが出かけている間に前もってセデュから、「遅くなるから夕食はいらない」と連絡があったそうだ。
ひとりぼっちのテーブルで食べる食事はあんまり美味しくない。それだったら使用人の皆と一緒に食卓を囲みたいくらいなんだけど、皆は恐縮しちゃって
「私どもはルーシュミネ様のお世話がお仕事ですので」
とか、
「使用人と同じテーブルに着くなど、おやめください」
とか言うばっかりだ。
…変装して外出している間は、ルージュもパールも僕と一緒にジェラートとか食べていたのに。
もそもそ食事を終えて――あんまり食欲のない僕は半分以上残してしまった――シャワーを浴びてパジャマに着かえ、ぼすりとベッドに沈み込む。
昼のうちにヨランダが洗濯してくれたシーツはぱりっと清潔で気持ちがいいけど、枕に突っ伏した僕の気分はさいあくだった。
昼間観た映画のせいだ。あの、刺激物みたいな、ひたすら観客の性欲を煽るような映像が頭の隅にチラチラして、消えてくれない。ルージュもパールも、まさかあんな感じの仕上がりの映画だったなんて想像もしてなかったのだろうから、彼女たちは何も悪くない。
劇場から出るころには3人ともなんだか気まずくてしばらくの間黙りこくっていたんだった。
――帰ってこない二人は今頃、何やってるのかな。
まだ撮影かな、それとも仕事が終わって、ふたりだけで食事に行ってるとか? 邪魔者のいない、二人っきりの食事をしているとか? ワイングラスで乾杯とかしちゃってさ。夜景の見える綺麗なレストランなんかでさ。…
あーヤダヤダ。また愚にもつかない妄想してる。とっとと寝ちまおう。いつ帰ってくるのかわからない二人を僕が待つ謂れもない!
そうしてうつ伏せで目を閉じて、泥のような眠りに呑まれて――どれくらい経ったろう。バタンと扉の閉まる音で僕は目覚めた。灯りの消えた真っ暗な部屋の扉の隙間から廊下の光がななめに射しこんでいる。セデュたちがやっと帰ってきた、のかな。
寝ぼけ眼で覗き込んだ時計は12時5分くらいを指してる。ずいぶん遅いご帰宅だ。さすがに撮影はもう終わっていたんじゃないか? 僕が1回だけ参加した映画の現場だって、こんなに遅くなることなかったもんな。
のろのろと起き上がった僕はその足で暗闇を進み、扉を開け、幽霊みたいな足取りでセデュの部屋に向かう。今日は――というか、今日も、朝には起きられなくてセデュの顔を見られてないから、24時間以上ぶりに、セデュに会いたくなっちゃって。セデュの匂いを嗅いで、抱きしめてほしくて。僕のこの、バカみたいな嫉妬を、蹴散らしてほしくって。
サアサアと軽い雨みたいな音がしている。神経質で潔癖症のきらいのあるセデュは、外出した後はいっつもシャワーを浴びるんだ。ズボラな僕とは違って、酔ってそのままベッドにダイブするような真似は決してしない。
…ダイアナと一緒にシャワーを浴びていたら、どうしよう。あの古城でのときみたいに。
なんだか急に不安になってきた僕はセデュの部屋の手前にあるダイアナの部屋に脚を向ける。扉は開いていて、中から軽やかな鼻歌が聞こえてくる。よかった。ダイアナは部屋にいる。なんだかひどく上機嫌な様子だ。…セデュとデートしてたから、だったりして?
「わ、いるなら声を掛けなさいよ。ビックリした。お化けかと思ったわよ」
鏡越しに廊下の僕に気付いたダイアナがびくりと跳ねて文句を言う。つやつやの肌がほんのり赤く染まっていて、櫛で梳かされていたブルネットはセットが崩れている。豊満なネグリジェの胸元が呼吸のたびに上下するのが目の毒だ。なんてでかいオッパイだろう。今日スクリーンで観たそれよりデカく見えるな…。
「何か用? レディの寝室を覗き見るなんて趣味が悪いわね」
「…こんな時間まで、なにしてたの…」
「セデュイールが連絡しなかった? 飲み会よ、仕事仲間との…」
「セデュはお酒、のめないのに? 一口でもう真っ赤になっちゃうくらいなのに?」
「何が言いたいのよあんたは」
はあっとため息を吐いたダイアナはぐるりと僕に向き直る。廊下の暗がりに立ったまま、じっとり彼女を見つめて動けない僕を。
「…今日オールアップの俳優が、引退するって言うもんだから、皆で飲みに行ったのよ。スタッフも監督も一緒にね。そんなに不安ならバロットにでも聞いてみなさい。あいつならあんたに嘘はつかないでしょ」
「べつに、ふあんとかじゃ…ないけどさ…」
「じゃあなんでそうウジウジ私に絡むのよ鬱陶しい」
フンとダイアナが吐き捨てる。別になんら悪いことなどしていないのに、勝手に逆恨みされて、粘着されたのだ。彼女の態度は正当だ。あー駄目だな僕は。どこまで堕ちるつもりなんだろう…。
「…きょう、観に行ってきたよ。『危険な関係』」
「あらそう、外に行けたの。よかったわね」
「なんか、すごかった。エッチな映画だった」
「…それを出演者に言って、どうしようってのよあんたは」
「ただの感想だよ。ほとんど君とセデュとのセックスシーンだった。あの古城を思い出したよ。あのときも、あんなふうにお芝居、してたんだもんね。二人で示し合わせてさ、僕に内緒で、ふたりっきりで、…」
埒もない言葉を重ねるうちにダイアナの顔が険しくなっていく。当たり前だ。彼女に喧嘩を売って、どういうつもりなんだ? 忘れろって言い聞かせたばかりじゃないか、あのときのことは…。
「それで、だから何? 傷ついたボクを慰めてーとでも言うつもり?」
「そんなんじゃない、けど…」
「あんたは私たちの仕事を見下してるんでしょう。音楽家は高尚で立派な仕事で、俳優は低俗で下品とでも思ってるんでしょう。それならそれでもいいけど、その鬱憤を私たちにぶつけないで。自分で処理しなさい。もし、セデュイールの前で同じことを口にしたら、わたしがあんたの口を縫い付けてやるから。覚えておきなさい」
「………」
毅然と言い放つダイアナに、僕は何も言えない。見下してるつもりはなかったけど、そう思われても仕方ないような言動ばかり僕はしてる。ダイアナを、セデュを、傷つけるようなことばかり僕は言ってる。嫉妬でぐちゃぐちゃになって、みっともなく、喚きたててる。僕だけ見てくれなきゃ嫌だ、他の人を抱かないで、僕を棄てないでって、キンキンうるさい涙声で叫んで、暴れてるんだ。癇癪を起こした子供みたいに。
きれいで、凛として、おとなで、自立してるダイアナが、僕にはまぶしい。僕もあんなふうになりたい。ダイアナに成り代わりたいなんて言ったら、彼女は烈火のごとく怒るだろうから、絶対口には出せないけど。
僕は結局、セデュに向ける顔もなくて、すごすごと自分の部屋に戻った。




