第5話 誰かと迎える朝
結局その日は一睡もできず、智剣は朝の六時には起き上がって身支度を整えた。
洗面所の鏡に映った自分はまるで病人のように顔色が悪く、ひどいクマができていた。
「大丈夫? クマがひどいけど」
沙羅が呼びに来たのは七時半ごろで、それまでは部屋の片隅で持ってきていた真剣をぼんやりと眺めていた。だが体は正直なもので、朝になって睡魔が襲い、沙羅が部屋をノックするまでうつらうつらとしていた。
「だ、大丈夫……」
「大丈夫じゃないわね」
そう言う沙羅も、化粧をしているとはいえあまり顔色が良いとは言えなかった。おそらく彼女も、親友の死によって苦悶の夜を過ごしていたのだろう。
「さ、沙羅さんこそ顔色があまり良くないよ」
「化粧で少しは誤魔化せるかと思ったけど、やっぱりそう見えてしまうのね」
小さく嘆息した後、沙羅は提案する。
「もう少し休む? カガリ先生には私から伝えておくわ」
「ありがとう。でも、おれは平気――」
平気だから、と気丈に笑もうとしたところで、ぐううううと盛大に腹の虫が鳴った。昨日、夕飯を食べないまま深夜に外出した反動が今になって来てしまった。
智剣が頬を紅潮させると、沙羅がふふと淑やかに笑みを零した。
「朝ご飯を食べに行きましょう。私もお腹が空いていたから、ちょうどいいわ」
沙羅に引き連れられて、智剣は庫裏の隣にある食堂へと足を踏み入れた。しょくどうではなく、じきどうと読むこれもまた伽藍の一つらしい。
中は和カフェのような構造で、木製の椅子とテーブルがそこかしこに配置されていた。奥には厨房があり、作務衣を来た坊主頭の男性の後ろ姿が見えた。
「おや、沙羅ちゃん。おはよう~」
智剣たちの存在に気づくなり、男性はこちらを振り返ってそれはそれは穏やかな笑みとのんびりとした声音で挨拶した。
歳は四、五十代といったところか。柔和に細められた目元と緩やかに上がった口角が印象的な優男である。
「羅漢さん。おはようございます」
羅漢と呼ばれた男性は笑みを深めた。後光が差していると錯覚するほど、その莞爾は仏の如く眩しい。
「そちらが智剣くんかな?」
「ええ。でも、どうして彼のことを……」
「ちょうど話していたものだから」
羅漢の視線を辿ると、隅の席にカガリがたばこを吹かしながら新聞を読んでいた。どうやら彼女はすでに朝食を済ませたらしい。テーブルの上には空になった皿やお椀があった。
「カガリ先生、おはようございます」
「おはよう」
「前に座っても?」
「ああ」
カガリの許しも得たところで、智剣と天花はカガリと対座する形で席についた。
カガリは新聞を折りたたみ、紫煙をくゆらせる。
「いつ戻られたのですか?」
「ついさっきだ」
「じゃ、じゃあ……一睡もしてないんじゃ……」
「お前らと話した後、仮眠をとる」
端的な答えを返すなり、怜悧な赤瞳が智剣を見据える。
改めて凝視されると、その冷厳な威圧感に気圧されそうになった。当然、智剣の双眸は逃げるように下を向く。
「その様子だと、お前も眠れていないようだな」
「え?」
「クマがひどい」
沙羅と同じことを指摘され、智剣はますます縮こまった。
「わけがわからないまま大事な家族を失ったんだ。普通に熟睡できるほうがおかしいか」
艶麗に吐き出された紫煙から芳醇な香りがする。
髑髏をも酔わす特殊なたばこを咥え直し、カガリは続けた。
「ここの飯を食って寝れば体力も気力もすぐに回復する。まずは食え」
カガリの言葉に示し合わせたかのように、羅漢が四角い盆を持ってこちらにやってきた。
「召し上がれ~」
智剣の前に配膳されたのは、色彩豊かな和食だった。
ふっくらと炊けた艶のある白米にぬか漬け、豆腐とわかめの味噌汁。それから鮭の塩焼きと出汁巻き卵が綺麗に盛りつけされていた。
「あ、あの……精進料理に魚や卵はだめなんじゃ……」
「建物こそ寺のそれだが、中身は単なる塾だからな。厳しい修行をする僧侶一人いないから、精進料理を出す必要もない」
「私は元僧侶ですけどねえ」
はははと呑気に笑う羅漢に目を向けると、「おっと、これは失礼」と彼は智剣と向き合う。
「どくろ塾の食堂料理人、一ノ江羅漢です」
「しっ、志道智剣です」
「よろしくね~、智剣くん」
羅漢はにこにこしながら「沙羅さんの分もすぐに持ってくるね~」と厨房に戻っていった。
――優しそうな人だな。
羅漢の第一印象を好ましく思ったところで、智剣は眼前の朝食に目を向ける。
料亭と遜色ない見栄えの美しさと芳しい香りに、ごくりと唾を呑みこんだ。
「そういえば、カガリ先生もまだ自己紹介していないのでは?」
沙羅が口火を切ったところで、カガリは「確かにそうだな」と手にしていた湯呑を置いた。
「業合カガリだ。どくろ塾の教師をしている。なりは業績の業、あいは合わせるの合。カガリはカタカナ。よく聞かれて答えるのが面倒くさいから先に言っておく」
――カガリって下の名前だったんだ……。
てっきり名字かと思っていた。それに特殊な読み方をする業合という名字もまた珍しい。
――下の名前がカタカナって、かっこいいな。
智剣がそう思っているなか、沙羅は不服そうに言う。
「それだけですか?」
「それだけって何だ。ちゃんと名乗ったし、間違われないよう字面も説明しただろう」
「そうじゃなくて、もっと他に説明しておくことがあるんじゃないですか」
沙羅が呆れ交じりの溜息を吐くと同時に、羅漢が彼女の朝食を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「ごゆっくり~」
羅漢がゆったりとした足取りで去っていくと、沙羅は恩師の他己紹介を始めた。
「カガリ先生は教師であると同時に、火天アグニと契約している十二師の一人なの」
「十二師?」
「仏神と直接契約した十二人の葬送師。実質、葬送師のトップよ」
「そ、そんなにすごい人なんだ……」
初めて出会った時からただならぬ気配や力を感じてはいたが。なるほど、葬送師の頂点に君臨しているともなれば納得がいく。
「あの……ぶっしんって何?」
「仏の神様って書いて仏神。仏神は魂に干渉する力をもっていて、法力という特殊な力で魂を浄化したり、滅したりすることができるの。葬送師は仏神が生み出した特殊な武器――法具を用いて髑髏と戦う。カガリ先生が持っている刀は火天アグニの加護を宿した法具のなかで一番強力で、〈紅蓮〉っていう名前が付けられているわ」
「じゃあ、沙羅さんが持っているのも」
「そうよ。私の刀は帝釈天インドラの法具〈夕電〉。インドラは雷を司る仏神様だから、その法力も雷が元になっている」
「へえ」
「解説もそこまでにして早く食え。飯が冷める」
カガリが紫煙混じりに催促してきたので、二人は彼女の言う通り両手を合わせた。
『いただきます』




