第6話 真相
智剣は焼き鮭を、沙羅は味噌汁を口に含んだ。
絶妙な塩加減と柔らかさに智剣はかすかに目を瞠り、すぐさま白米に箸をつけた。
「おいしい……!」
米もふっくらとしていて、ほのかな甘みがある。焼き鮭の塩味とよく合わさっていて、食欲をさらに掻き立てる。
「口に合ったようで良かった~」
厨房で羅漢が至極嬉しそうに言う。
沙羅も何度食べても飽きない優しい味に口元を綻ばせていた。
嚥下するたびに心や体が温かくなっていくのを感じて、智剣の涙腺が思わず緩んだ。
「ぐっ、ふ……」
天花が行方不明となってから、食事が喉を通らなくなった。仮に食事を摂れたとしても、それを心から楽しむことができなかった。
だが、自分自身の体だけでなく、心をも労わるような染み入る朝餉に不意に涙が流れた。
「智剣君……」
沙羅も一度箸を置いて、智剣の背をさする。
――もう泣きたくなかったのに……。
昨晩から自分は泣いてばかりだ。
カガリや沙羅にとっても天花は大切な人。辛く苦しい思いを抱えているのは自分だけではないのに、彼女たちは自分に涙一つ見せていない。
――なのにおれは……。
残酷な現実に打ちのめされて、弱りきった心のまま泣き顔を晒している。
智剣は無理やり涙を拭い、両目を擦った。これ以上、沙羅たちに涙を見られたくなかった。
いつまでも現実を受け入れられない、惨めな男だと思われたくなかった。
「気が済むまで泣けばいい」
そこで、カガリが口を開いた。
「妹の死を悲しめるのは今だけだ。自分の感情とちゃんと向き合い、受け入れろ」
それを批難し、嘲笑うような人間はここにいない。
冷厳な声音のなかに内包された気遣いと優しさ。
智剣は唇を震わせ、たまらず声をあげて泣いた。
その慟哭に、沙羅もまた静かに涙を流した。羅漢はやるせなさを滲ませた面持ちを伏せ、カガリは紫煙を重く吐き出した。
*****
ひとしきり泣いて、天花の死を悼んだ後は羅漢お手製の朝食をありがたくいただいた。
久しぶりの温かい食事。そして気が済むまで泣いたからか、不思議と心が楽になったように感じた。胃も心も満たされたところで、智剣は沙羅とカガリとともに食堂を後にした。
「お前の今後について相談する」
カガリはそう言って、講堂と呼ばれる講義専用の伽藍へと足を向けた。
年季の入った木造回廊を進み、空いている講義室に入る。木製の学校机と椅子が整然と並んだ、かなり昔の学校を思わせる内装だった。
「適当なところに座れ」
カガリが教壇に立ち、沙羅と智剣は最前列の中央席に座る。
「まずは智剣。お前がこれからどうしていくかを決める」
「ど、どうしていくかっていうのは……」
「そのままの意味だ。天花の葬送は終わった。お前はどくろ塾の塾生でもなければ、ましてや業界の人間でもない。ただの一般人だ。このまま一般人として何気ない平和な生活を送るか、どくろ塾の塾生として危険な道を行くか。どちらか選べ」
「カガリ先生⁉」
沙羅が愕然とした声をあげ、反論を唱えた。
智剣も唐突に人生の決断を迫られ、息を呑む。
「智剣君に私たちと同じ道を行かせるわけにはいきません。それでは天花の意志やこれまでの努力がすべて無駄になってしまいます」
「決めるのはこいつだ。アタシたちがどうこう言ってこいつの進路を妨げる権利はない」
沙羅の抗議を一蹴し、カガリは智剣を見据える。
「もちろん、これまでに起きたことをすべて話したうえでの話だ。お前の疑問にも全部答える。それで自分がこれからどうしていきたいかを決めろ」
「わ、わかりました」
智剣がおずおずと頷いたところで、カガリは黒板のチョークを手に取りかつかつと音を立てて文字や図を書いていく。
「え……」
だが、その過程を見て智剣は絶句した。沙羅も額に手を添えている。
カガリの板書で読み取れる字が一つもないのだ。
「カガリ先生」
「何だ」
「いい加減、その板書何とかなりませんか」
まるで乱雑に書き殴ったかのような歪で荒々しい筆致。
仮にも教師であろう者が、解読不能といっても過言ではない呪文の如き板書をしてしまうのはいただけない。
「チョークだといつもより字が汚くなるんだよ。これぐらい我慢しろ」
「ペンでも同じぐらいの汚さでまったく読めませんが」
「アタシがわかればそれでいいんだよ」
「板書を見て理解するのは私たちですよ。暴論で済まさないでください」
まったくもう、と沙羅は呆れ交じりに溜息を吐いた。
――沙羅さんはいつもこの板書を見ながら講義を受けてるのか……?
だとすると、カガリの口頭説明で内容を理解するしかない。ノートを取るのも至難の業だ。
――これなら板書する意味もないんじゃ……。
智剣が極論を心のなかで呟いたところで、カガリはチョークを持ったまま古代文字にも似た難読文字、カガリ字を指した。
「これまでの事情を説明する前に、予備知識として軽く授業しておく。まず、髑髏っていうのは非業の死を遂げた人間の成れの果てだ。具体的に言えば、事件や事故などで白骨化した遺体に怨念で穢れた魂が宿り、現世を彷徨う。あとは生身の人間が髑髏の攻撃を受けたり、あるいは髑髏に触れられてしまった時も髑髏になる。その髑髏の悪行を止め、葬送してやるのがアタシたち葬送師。ここまでは知っているな」
「は、はい」
「で、髑髏のなかで強い個体のことを狂骨と呼んでいる」
カガリは『どくろ』と書かれたであろう文字の隣にあるカガリ字をチョークで指さした。
「髑髏と狂骨で大きく違うのは、前者には自我がなく、後者には自我があるということ。狂骨には生きていた時の記憶や人間としての知性がある」
「自我、ですか……」
「見た目はあまり変わらないからな。強いて言うなら、纏う死影の濃さ、量くらいだ」
「死影?」
「髑髏たちを覆っている影のことよ」
沙羅の補足に、智剣はなるほどと頷く。
「さらに、狂骨のなかで最も強い個体が三体存在する。三大狂骨だ。わかるか」
「え、えっと……確か、菅原道真、平将門、崇徳天皇……でしたよね?」
「ご名答」
カガリは再びチョークを走らせて三大狂骨の名を書き連ねていくが、やはり字そのものの原形を留めていないのでさっぱりわからない。
「狂骨は浄化し、葬送できないほど魂が穢れてしまっているから、魂そのものを滅するしかない。奴らが強力で滅することが困難な場合は、特殊な方法で封印し、京都にある葬送師協会本部の〈有漏ノ禁域〉で厳重に管理する」
「協会……うろのきんいき?」
「まあ、今はそういうものがあるとだけ思ってくれたらいい。三大狂骨が跋扈していた平安の世では、その強大さゆえに当時の葬送師では魂を滅することができなかった。だから長年〈有漏ノ禁域〉で封印されていたんだが、七年前、そのうちの一体である平将門の封印が解けて現世を彷徨うようになってしまった」
「えっ、どうして……!」
智剣が訳を問うと同時に、カガリと沙羅の面差しに翳が落ちた。
「ある葬送師が封印を解いてしまったんだ。話すと長くなるから、今はこれだけ言っておく」
つまり、葬送師の禁忌を犯してしまった者がいる。
同じ立場である彼女たちからすれば、それがどれだけ複雑で口にすることさえ憚られるものか、想像するに難くない。
「ここからが本題だ。単刀直入に言うと、お前の妹は平将門と戦って髑髏にされてしまった」




