再び動き出す歯車
今夜も、夕食の時間がやってきた。ミストは席に着き、オルドが食器をミストの前に置いた。
「ありがとうございます。」
オルドはミストの向かいの席に着いた。そして、ペストマスクを外した。この時だけが、オルドの素顔がさらされる瞬間だ。
そして、食事が始まった。豪華なわけでも、貧しいわけでもない。至ってただの、普通の食事だ。だからこそ、温かい。
「…前から思っていたんですけど、どうしてオルドさんはマスクを着けているんですか?」
「あぁ。昔、友人に貰ってね。それから気に入って着けている。」
それから続く、沈黙。食事の時は話すことがない。ミストが来た日から、そうだった。元々一人で暮らしていたオルドからしたらどうということはない。ただ、ミストはこの時間が少し気まずかった。
「…あの、オルドさんって体がしっかりしてますよね。」
「ん?」
オルドが皿から顔を上げ、ミストに視線を向けた。ミストは一気に緊張してしまい、すぐに下を向いた。
「いや、あの、体幹がしっかりしてるし、筋肉も凄くて…」
「あぁ、それなりにトレーニングはしていたからね。自然とこういう体になったんだ。」
そして、再び始まった、沈黙。その時、オルドがふと思い出したかのように、店の奥へ歩いて行った。帰ってきたときには、右手にあの箱が握られていた。
「そうだ、これをミストに見せたかったんだ。」
オルドは箱を開け、ミストに手渡した。箱の中にはあの壊れた時計が入っている。ミストは時計を手に取り、自然と時計を操作した。しかし、時計は動かない。
「…やはり、使い方がわかっているようだね。」
「あ、なんというかその…無意識に触ってしまって。」
「何か思い出せることはないかい?」
「えーと…昔、こういう時計を持っていたような気がするようなしないような…」
オルドは確信した。やはり、ミストと遺物は何らかの関わりがある。過去から来たということはまだ確定ではないが、遺物とミストは何かの縁で繋がっているのだろう。
ミストは時計を箱にしまい、オルドへ返した。オルドは再び、その箱を店の奥にしまった。それからほどなくして、夕食の時間は終わった。
夕食が終わり、ここからはそれぞれの自由時間だ。入浴や就寝準備のほか、それぞれが明日の準備をする。
オルドは明日の店の準備をする。コーヒー豆の在庫が足りているか、カップは綺麗に整えられているか、ゴミが落ちていないか。店を隅々まで確認する。豆の香りを嗅ぎ、異常がないことを確認するのが習慣だ。
ミストは自分の部屋に籠り、地図を開く。今日行ったクロックワーク大通りに、赤いマーカーで小さなバツ印をつけた。行った場所に印をつけるのが、ミストの日課だ。同時にこの時間は、明日はどこへ行こうかを考える時間でもある。
各々が自分の時間を過ごす中、街中に低い金属音が響き渡る。時計塔の音だ。オルドはカウンターの傍にある古時計を見る。時間は深夜十二時だ。
「…そろそろ、寝るとしようか。」
オルドはペストマスクを外し、そのままベッドへ入った。ミストも寝たのだろうか。店の中は静寂に包まれた。コーヒー豆の香ばしい香りだけが、店に残っている。オルドは今日も豆の香りを嗅ぎながら、眠りについた。
◇◇◇
「…朝か。」
窓から差し込む日の光で、オルドは目が覚めた。ベッドの脇に置いてあるペストマスクを手に取る。洗面所へ向かい、寝癖を直す。服を着替え、いつものコートを羽織った。最後にペストマスクを被り、左腕に腕時計を着けた。
「今日は…目玉焼きだな。」
オルドは冷蔵庫から卵を一つ取り出した。そして、フライパンに油を引く。ミストが起きる前に朝食を用意するのが毎日の日課だ。食パンをトースターに入れ、ジャムを戸棚から取り出す。トースターの歯車が勢いよく回り始める。
「相変わらず、音がすごいな。」
オルドが皿に目玉焼きを乗せた時、ミストが一階へ降りてきた。まだ寝癖だらけで寝ぼけた顔をしている。
「ふあぁ…おはようございます…」
「おはよう。朝食はできているよ。眠気覚ましに顔を洗ってくるといい。」
ミストが洗面所に向かった隙に、オルドは出し忘れていたブドウジュースをグラスに注いだ。コーヒーショップなのだからコーヒーを出さないのはオルド自身も少々疑問を感じているが、起きた直後にコーヒーを飲むのは好みではなかった。
ミストが席に着くころ、店の前からバイクの轟音が響いた。そして、店の前に何かが投げられる。毎朝届く新聞だ。オルドは扉を開け、新聞を拾い上げる。椅子に座り、新聞を見ながらブドウジュースを流し込んだ。
「…ボンス・ブラスタンが脱走、だと?」
新聞の見出しを見たオルドは、ブドウジュースを吹き出しそうになった。見出しには、【爆破魔ボンス・ブラスタン 刑務所脱走 警察に緊張走る!?】と書かれていた。「ボンス」という名前を聞いて、ミストはオルドの傍へ駆け寄った。
「ボンスって、あの爆破魔の!?」
「…あぁ、逃げたらしい。」
オルドの声色はいつもよりも低くなった。ペストマスクの内側には、鋭い瞳が光っている。ミストもオルドの異常を感じ取っていた。
「じゃあ、これからはまた街が危険に晒されますね。警察が捕まえられるんでしょうか。」
「…難しいだろうね。これまでもあいつは何度も警察から逃げている。」
オルドは新聞を読み終え、ミストに渡した。ミストも新聞を食い入るように見る。オルドは窓の外を見つめる。その目はどこか、遠くの空を見つめていた。




