記憶のない帰路
オルドは、それから闇市場の外れにやってきた。追手が来ている様子はなかった。オルドは息を整え、再び歩き始める。
それから、小さな店にやってきた。「CLOSED」と書かれた看板が下げられているが、オルドは構うことなく入っていく。これが、彼らの秘密の暗号のようなものだった。
店の中は真っ暗だった。オルドはそばにあるソファーに腰を掛ける。それから少しすると、奥から人がやってきた。それは、老人だった。
「どうも、お邪魔してます。」
オルドは帽子を上げ、軽く会釈をする。老人は特に表情を変えることなく、傍にある椅子に腰を掛ける。
「…今日は、何の用だ?」
「…ここに来るまでに、刺客に襲われました。恐らく、奴らでしょう。」
「…そうか。」
老人は、オルドが襲われたと聞いても表情を変えることはない。ただ、部屋の時計を見つめているだけだった。
「…で、見つかったのか、手掛かりは。」
「…いえ。これといっては何も。」
オルドは申し訳なさそうに言った。老人は深くため息をついた。時計の音が、静かに鳴り響く。オルドは腕時計を見つめる。もうすぐ、闇市場が本格的に動き出す時間だ。
「…困ったことになったな。手掛かりが何もないとなると、ミストのことが何もわからん。奴は何か思い出したのか?」
「いえ…それもまだ、何も思い出せないそうで。そもそもなぜ記憶喪失になってしまったのか、原因がわかりませんからね。」
オルドはそう言って、ソファーから立ち上がった。そのまま、入り口の扉に手を伸ばす。
「…気をつけてな。」
「えぇ、ポールさんもお気をつけて。」
オルドは扉を開け、ポールの店を後にした。もうすぐ夜になる。ミストが帰ってくる時間だ。
オルドはそのまま、少し速足で帰宅した。もう、刺客がいる様子はなかった。決して警戒を解くことなく、オルドは歩いていった。
オルドが家にたどり着き、コーヒーカップを磨いている時、店の扉が開いた。オルドが扉の方に視線を送ると、ミント色の髪色をした青年が入ってきた。
「ただいま、オルドさん。」
「お帰り、ミストくん。ささ、コーヒーでも飲むといい。外は寒かっただろう?」
オルドはコーヒーをミストに差し出す。ミストは席に着き、コーヒーを一口飲む。そして、ほっとした様子で話し始めた。
「おいしい。どうしてオルドさんのコーヒーはこんなにおいしいの?」
「さぁ、それは私にもわからない。」
オルドは再びコーヒーカップを磨き始める。ミストは、オルドの店で世話になっている青年だ。オルドがミストと出会ったのは約三か月前。街中で倒れているところをオルドが発見した。
その時のミストの恰好や持ち物はこの世界の物とは違っていた。どれもが博物館に飾られるほど古いものだった。この時、オルドの中にはある考えが浮かんだ。この青年は、過去から来たのではないか、と。
ミスト自身、記憶は全くないそうだ。自分の名前はわかる。言葉も通じる。ただ、住んでいる場所、何をしていたのか、それらは思い出せない。三か月が経った今も、記憶が戻る兆しはない。
そして今日もまた、ミストが思い出すことはできなかった。
まだ、過去から来たとは断定できない。そう考えたオルドは、ミストにこの街を好きに歩かせることにした。もしかしたら、景色を見て何か思い出すかもしれないと考えた。しかし、未だに成果は現れていない。
「今日はどこへ行ってきたんだ?」
「大きな時計塔の周りにある店を回っていました。」
「あぁ、クロックワーク大通りだね。あそこはこの辺りで一番の人気スポットだから人が多かっただろう?」
「はい。人が多くてあまり店の中を見ることができませんでした…」
クロックワーク大通りには巨大な時計塔がある。この時計塔を見たことがない人の想像の十倍は大きい、と言われるほど巨大な時計塔だ。この都市、蒸気都市クロックヘイムの中心地、旧歯車街のシンボルと言ってもいい。他の街からの観光客が多く、クロックワーク大通りは常に人で溢れかえっている。
「今度行くときは朝一で行くといい。朝方は人が少ないからね。」
「はい。そうしてみます。」
オルドはそう言って、コーヒーカップを棚にしまっていく。ミストはコーヒーを飲み終え、オルドにコーヒーカップを手渡した。オルドはミストの手を見る。少し、震えていた。
「…どうした?」
「あ、いえ…その、僕がずっといたら、迷惑かなって。」
「はは、前にも言っただろう。私は構わない。むしろ、話し相手が居てくれて嬉しい。」
「そう、ですか。」
申し訳なさそうに肩を落とすミストに、オルドは笑って肩を軽くたたいた。ミストは少し、ほっとした表情へと変わった。
それから、ミストは二階の部屋へ向かった。二階の一室は、ミストが使っている。オルドの部屋はミストが使っている部屋の真向かいだ。
オルドはそれから、夕食の支度を始めた。オルドの得意料理、シチューが作られている。
ミストは部屋に上着と荷物を置いてきた。ミストが階段から降りてきた時、既に料理はテーブルに並べられていた。




